体験記・ナガエ・私の物語(7)
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「どんなに、きみがすきだかあててごらん」<br> | 「どんなに、きみがすきだかあててごらん」<br> | ||
ちいさなウサギは、おおきなウサギにきいてみたくなった。<br> | ちいさなウサギは、おおきなウサギにきいてみたくなった。<br> | ||
「そんなこと、わからないよ」<br> | 「そんなこと、わからないよ」<br> | ||
と、デカウサギ。<br> | と、デカウサギ。<br> | ||
− | これは童話だ。 | + | これは童話だ。<br> |
チビウサギとデカウサギが互いにどれだけ相手が好きか言いあう話である。<br> | チビウサギとデカウサギが互いにどれだけ相手が好きか言いあう話である。<br> | ||
童話は自分が児童期にひらがなを一音一音四苦八苦しながら読んだ頃とはまた違った感想を抱かせてくれる。<br> | 童話は自分が児童期にひらがなを一音一音四苦八苦しながら読んだ頃とはまた違った感想を抱かせてくれる。<br> | ||
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髪が茶色く染まった後でお姫様にでもなったようなほんの一瞬の気分を味わうために私は染めたのだ。<br> | 髪が茶色く染まった後でお姫様にでもなったようなほんの一瞬の気分を味わうために私は染めたのだ。<br> | ||
そう思おう。仕方ない。<br> | そう思おう。仕方ない。<br> | ||
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無職というものが許せなかった。<br> | 無職というものが許せなかった。<br> | ||
無職の人を非難しているわけではないが、私は何か追いつめられた気分になったのだ。<br> | 無職の人を非難しているわけではないが、私は何か追いつめられた気分になったのだ。<br> | ||
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息を止め、用紙を見ると、振込み用紙だった。<br> | 息を止め、用紙を見ると、振込み用紙だった。<br> | ||
その下にある紙を見ると、「合格」と書かれた文字がとびこんできた。<br> | その下にある紙を見ると、「合格」と書かれた文字がとびこんできた。<br> | ||
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受かったことを言うと、母はこれであんたもプー太郎じゃなくなるのねと皮肉めいた口調で喜びを表し、父は入学金の30万をすぐ振り込んできてやると言った。<br> | 受かったことを言うと、母はこれであんたもプー太郎じゃなくなるのねと皮肉めいた口調で喜びを表し、父は入学金の30万をすぐ振り込んできてやると言った。<br> | ||
しかし、私の心には不安と迷いが生まれた。金を振り込めば、入学することになる。<br> | しかし、私の心には不安と迷いが生まれた。金を振り込めば、入学することになる。<br> |
2021年12月19日 (日) 09:33時点における最新版
目次 |
私の物語(7)
著者:ナガエ(女性)
飛び立つ時
私は家のこたつに足を入れながら右手に印鑑を持っていた。
こたつのなかはもんもんとし、足がべたついている。
“退学願”
高校を再受験するなら今の高校を退学しなくてはならない。
手に持っている印鑑を押し、提出したら私は学生ではなくなる。
無職になるのだ。何か肩書きのようなものがなくては心細い。
女子高生になりたいと思いながら入学したのに、こんなに簡単に退めてしまっていいのだろうか。
“女子高生”は、ブランドだ。
女子高生であり続けるためには、高校に在籍していなければならない。
“退学”、“無職”。
その文字が私を苦悩させた。
“何のために退めるんだ?”
逃げるために、学校から、友人から、そして自分から?
・・・・・・違う! 私は過去にケリをつけるために、踏みはずしたレールをもう一度つくりなおして踏みしめるために退めるんだ。
私は自分を納得させた。
どこからかあの眼鏡をかけた少女の声がする。
「お前は、肩書きがほしいだけだ。無職はハジだから。フリーターになりたくないから。高校再受験して退学がチャラになると思ってるんだ。
お前は、夢も希望も本当は何も持ってないくせに、高校生になればどうにかなるって思ってるんでしょう。世間の目が気になるから・・・・・・」
私は、襟首をつままれたような気分になった。
希望とは心から喜んで、自分に嘘をつかないで希望と呼べるものではならないかもしれない。
“私の見つけた希望。退学? 再受験?”
「いいのよ別に。私は退めるの。もう決めたんだから」
私は言うと持っていた印鑑を印肉につけ、退学届けの用紙に押し付けた。
「本校の試験は緊張して受ける試験ではないので、自然体でみなさん、リラックスしてうけてください」
広々とした体育館でマイク片手ににこやかに教師か教頭かわからない人物が言っている。
私はとうとう再受験に踏み切ったのだ。
前回この学校へ見学に来てからまだ1か月経つか経たないかくらいだ。
試験の前日は、落ちたらどうしよう、そればかり考えてしまい、眠ったのは午前3時頃だった。
寝不足の方が落ちる確率が高くなりそうだと思いながらも、寝つけなかった。
何度も目覚め、何度も学校の資料を見た。そして試験当日の朝を迎えてしまったというわけだ。
出てくるときに鏡で自分の顔を見ると目の下にくまができていた。
―――眠い。それにこんな顔じゃ、落ちる。受からない―――
私はかなり心配性なところがある。
だが、それを打ち消すほどの根性をもっているのかもしれない。
―――でも私は受験する。
そうして、私は試験会場である学校へ来ている。
私の予想以上に受験者が多い。
この高校の試験には親子面接がある。
だから会場には親子そろって並ばされた。
私は母と並んだ。
周囲を見渡すと父も並んでいる人が大勢いる。
私の緊張感はますます高まった。
父はたばこを吸えないし、面接なんてあらたまった場所へ行きたくないと言い張り、車で待っていることになった。
試験会場である学校までは遠く3、4時間要するのだ。
そこまで送ってくれたのは父である。
試験にこない父が許せなかったが、「ここまで送ってやったのは誰のおかげか」とか言われれば、言い返す言葉が見つからなかった。
父を試験に連れていくのをすんなりあきらめたのはそれだけではないかもしれない。
私は実の父を恥じているのかもしれなかった。
見学に来たときのように、何を口走るかわからない。
試験でだって、何を言うかわからない。私は父を信用していないのだ。
私は試験には中学時代の制服を来ていった。
退めた高校はブレザーだったのでセーラーは懐かしかった。
セーラーを着ただけで、私の気分は現役中学3年生だった。
もう私は16歳なのだ。
まだ16歳。世間は言うだろう。けれど私にとってはもう16歳なのだ。
何をどこで踊り間違えたのだろう。
時間が月日が流れるのは早い。
修正液で消せない、やり直せない時間を私ははうように越してきたのだ。
私の近くに並んでいる子たちはほとんどが15歳だろう。
受かったとしても、彼女たちに追いつかなくてはならないのだ。
合格することを思うと、本来なら嬉しいはずなのに少しばかりの哀しみが、波のようにおしよせた。
最初行われた試験は作文だった。
原稿用紙が一人1枚ずつ配られたが、1枚以上超えても裏に続きを書けばよいということだった。
私は鉛筆を持ち、どうしようかと止まってしまった。
作文のテーマが「最近見た気になるニュースについて」だったからだ。
私は学校に行かなくなってからテレビなんてドラマ以外見ていなかったし、興味のある報道やニュースはこれといってなかった。
私が止まっている間に周りの子たち鉛筆をものすごい勢いで動かしている。
刻々と時間が経っていく。
試験が行われている部屋には時計がない。
それを知ってか知らずか他の子たちの腕をみると時計がはめられている。
普通、試験に腕時計をしていくのは常識である。
私は寝不足のせいかそんなことさえ忘れてしまっていたのだ。
筆が進まない。
仕方がないとあきらめかけ鉛筆を置こうとしたとき、アイデアが浮かんだ。
思いつくまま書いていくと、1枚をゆうに越えた。
書き終えた後、達成感と受かるかもしれないという手応えを感じた。
受かるかもしれないな、そう思いながら次は親子面接を受けた。
「何か考えてきた?」
私は母に尋ねた。母は笑いながら「ない」と答えた。
どうしてこんな時に笑っていられるんだろうと思ったが、笑っていられるということは余裕があるのだろうと思い、番号を呼ばれると面接を受けた。
入学希望の理由は? 本校は遠いがなぜ受験したのか? 全寮制ですが上手くやっていけると思いますか?
などとほとんど去年受験勉強し、面接の練習をした時と似たような質問をされた。
「お母さんはなぜこの高校にお子さんを入学させようと思われたんですか?」
という質問をされたが、母は口ごもり、
「本人が希望するので・・・・・・」
とだけ答えた。髪の毛はまだ茶色かったので黒く染めて試験に来ていたが、
「髪の毛を染めたことはありますか?」
と聞かれてぎくりとしたが「ありますが、この学校に入学できたら、校則に違反するようなことはありません」と正直に答え、フォローを入れて話した。
母にされる質問は一般的なものだったが、どの質問にも口ごもっていたため、落ちるかもしれないと思った。
落ちる、確信してしまったのは最後の質問だった。
「この高校すべったらどうされますか」
「お父さんはなぜ来られていないんですか」
最後の実技試験はダンスだった。
ジャージに着替え、背番号をつけさせられ体育館に集合した。
ステージに見本となる人が踊り、それを見ながら踊りを覚えるというものだった。
一人ずつ踊らされ、試験されると思ったが違った。
小学校の時にやったマイムマイムなんかも踊ったりして、試験らしい試験ではなく場がなごんでいた。
踊りを確実に踊ることよりも、どれだけ協調性があり楽しんで踊っているかを採点基準にしているのだろう。
そう直感した私は楽しくもないのに、
笑顔であることに努め、踊った。
試験が全て終了し、車に戻ると力が抜け、すぐ眠ってしまった。
受かる、と思ったり落ちる、と思ったりしたが、受かってもおかしくないし落ちてもおかしくない感じだった。
合格発表は2月下旬。待つしかない。
車に揺られ眠り続けていた私だったが、家に着いてものろのろと車を降り、また人形のように眠り続けた。
合格通知
「どんなに、きみがすきだかあててごらん」
ちいさなウサギは、おおきなウサギにきいてみたくなった。
「そんなこと、わからないよ」
と、デカウサギ。
これは童話だ。
チビウサギとデカウサギが互いにどれだけ相手が好きか言いあう話である。
童話は自分が児童期にひらがなを一音一音四苦八苦しながら読んだ頃とはまた違った感想を抱かせてくれる。
成長するまでに見てきた汚い、醜いものを洗浄してくれるような不思議な気分にさせられる。
成長とは何だろう? 夢を希望を失い、欠けていくことなのだろうか。
童話は、生きる力を補充してくれる。
大きくなっても小さい頃から変わることのない大切な何かが描かれているのだ。
だが、何なのか定義することは難しい。
「どんなに、きみがすきだかあててごらん」
私は声に出して読んだ。この本は、自分で買ってきたのではない。
ページをめくりながら、これを私に届けた人物の思いをさぐろうとした。
これを郵便で送ってきたのは、担任のクボという先生だった。
女子ばかりのクラスだったからなのか女だった。
まだ若く、今年がクラスを受けもつのははじめてだったらしい。
若さ特有の神経の持ち主で、不登校に陥った私を責めることもなかったし何も言わなかった。
登校拒否とは違うが、私と同じクラスの人で退めた子がいる。
自分の受けもつクラスから退学者が2名出たなんて、担任は気が重いだろう。
私は学校に行けず落ちこぼれているという劣等感を持っていたがその子は持っていない様子だった。
何度か家へ電話がかかって、遊びに行きたいと言っていた。
イタビィとその子を呼んでいたが、イタビィは学校へ行けないという悩みは持っておらず、自ら望んで学校へ行かない人物らしかった。
学校へ登校しないのは私と同じだが、根本は違っている。
将来のこととか不安にならないのかと尋ねたら、ないといってのんきそうに電話の向こう側で笑った。
しかし、彼女も学校という一つの枠から去り、迷路の中に一歩踏み入れたことは確かだろう。
担任はイタビィにもこの童話とも絵本ともつかないものを送ったのだろうか。
そんなことはどうでもいいが、私はこの本を送ってくれたクボに感激していた。
後になって知ったが、私には内密にということで母が担任や進路指導の先生に学校で呼び出され、問題児はさっさと退めてほしいだとか、こういう子(つまり私)のように育つのは育て方がわるいからだとかいうことを遠まわしに説教されたと言い、私にグチをこぼしてきた。
人間の裏と表は違うのだ。
それを母から聞いた私は高校の教科書とその送られた絵本を庭で燃した。
確か本がクボから届けられるのと同じ時期、頭皮がぼろぼろとめくれてきた。
顔の皮膚もかさかさになった。
髪の毛を茶色くカラーリングしたせいだろう。
美容院でしみに痛みを感じたとき告げればよかったのだ。
後悔先にたたずというが、髪の毛を染めたせいで以前にもましてブサイクになったよう気がする。
体は太ったままできれいで、かわいらしい洋服も着られない。
座ると腹のぜい肉が段になる。
髪が茶色く染まった後でお姫様にでもなったようなほんの一瞬の気分を味わうために私は染めたのだ。
そう思おう。仕方ない。
退学は受験日1日前にしておいたので私はもう無職だ。
「何やってる人?」と尋ねられても、どぎまぎしながら答えなければならないのだ。
無職というものが許せなかった。
無職の人を非難しているわけではないが、私は何か追いつめられた気分になったのだ。
数か月の辛抱だ。あと何日か。
私は日めくりカレンダーを合格発表の日までめくり破いた。
待ちに待った2月中旬。
私はストーブをつけ、もちを焼きだるまのようにこたつのなかに転がっていた。
郵便屋が来るのは午前11時、もうそろそろ来てもいいはずだ。
ザックザック、積も雪を踏む音がする。
来たっ、私はどんぶくを脱ぎ少し身震いすると、玄関へ向かった。
ピンポーンッ。絶対郵便局だ。
私は胸を高鳴らせた。
ガチャ、戸を開くとヘルメットをかぶった男の人が立っている。
「お待ちかねのものです」
やっぱり郵便屋だった。
受けとると、いちもくさんにはさみをつかみ、こたつへもぐりこんだ。
受かっているかな、封筒を電気にすかして見てみる。
封筒の厚さは厚いとはいえない。
落ちているかもしれない。目を封筒から近づけたり遠ざけたりしてみた。
思いきって、はさみでおそるおそる封を切った。
まず上からのぞく。何やら赤い線の入った用紙が見える。
落ちたかもしれない。
その用紙を指でつまむと封筒から取りだした。
息を止め、用紙を見ると、振込み用紙だった。
その下にある紙を見ると、「合格」と書かれた文字がとびこんできた。
受かった、受かった。一人喜んでいた。
日も暮れ父と母が職を終え帰ってきた。
受かったことを言うと、母はこれであんたもプー太郎じゃなくなるのねと皮肉めいた口調で喜びを表し、父は入学金の30万をすぐ振り込んできてやると言った。
しかし、私の心には不安と迷いが生まれた。金を振り込めば、入学することになる。
果たして学校へ行けるだろうか。でも無職からは卒業できるのだ。
翌日、私は金を振り込んできてもらった。
合格したにもかかわらず、全てが夢のように感じられ、入学し、あのパンフレットなかの大学のキャンパスのような高校へ通うことに実感できなかった。
だが、私は病院の医者にあてて手紙を書き、投函した。
それも、合格できて嬉しいと。
受かったこと、合格したことは自分の能力、存在を認められたような気がして嬉しいと思ったことは確かだ。
しかし、通学するとなると不安と緊張が入り混じる。
いま振り返ると、この時に入学を辞退しておけばよかったのかもしれないと思う。
ヨッサンの拒食症
私は引越しの準備を開始した。
まず洗面用具、洋服、布団、勉強道具、その他趣味などに必要なもの。
全寮制の高等学校。上下関係がきつそうだと思いながら準備を進めるのは気が重かった。
中学時代を思い出す。校則にはない先輩後輩の間での暗黙の校則がいくつも存在した。
例えば、2年にならなければスカートを短くおってはいけないとか、夏服には半袖と長袖の2種類あるのだが、半袖を着てもいいのは3年になってからとか。
それらに違反したものは、女子更衣室に呼びだされ“しめられる”のだ。
だからばかばかしいと思いながらも、大半の者は先輩の目に触れないように忠実にその校則に従うのだ。
3年になるまでの辛抱だと呪文のように唱えながら。
そして3年になると、新しく入ってきた後輩が校則を破らないかどうか目を光らせ“しめる”のだ。
時代や流行によって多少の変化はあると思うが、それこそ伝統のように受け継がれていく。
これらは私が通っていた中学校にだけ特別存在していたというわけではないと思う。
教師の目が届かない所で、社会でやっていくだけ忍耐を習得していくのだ。
ただ今の私にこれだけのことを耐え忍ぶ力とエネルギーが残されていない気がした。
私は自分の気持ちにケリをつけなければと思い、急いで荷物をつめた。
帰宅日の約1か月後まで実家を離れるので、親友のカナコに私は手紙を書いた。
ヨッサンにも手紙を書いた。すぐ2人から返事が来て、私は読みながら泣いてしまった。
カナコからの手紙はとってもあったかい手紙だった。
自分をつくるのは自分。
だから好きなようにすればいい。
でもね、息づまることはある。
そんな時は話してね。
遠く離れても親友でいよう。
私ときたらなんだろう。こんなにいい友達がいるのになぜこんな寂しいと孤独だと感じてしまうのだろう。
わからない。どうしてなんだろう。
ヨッサンは拒食症の苦しみを手紙に書いてきてくれた。
いつになったら食事に対するこだわりがなくなるのかわからない・・・・・・辛い。
手紙を読んで知ったことだが、ヨッサンの家庭は母子家庭で、父は早く亡くなり、妹を含め3人で生活しているそうだ。
それに加え母は足が悪く障害者手帳をもっており、ヨッサンには負担だったという。
父がいないということは長女のヨッサンには、何かいつも重いものを抱えているような気分だったかもしれない。
拒食症発症のプロセスは実に多様で、個人個人によって異なるだろう。
ヨッサンの場合、母を助けなければという思いでおしつぶされそうになっていること、妹とのこじれた関係、そして何より父の不在がトラウマになっているとヨッサン自身は述べている。
原因となるできごと、育ってきた環境、その人物がもっている素因や性格、いろいろな要素がからみあい、なぜその症状として形成されるかは一概には断定できない気がする。
心の病気とは原因とぶつかりあえば解決しそうな気もするが、根が深い場合、幼少期からのことまで掘り下げていくことになりそうだ。
先ほどから原因原因と言っているが大事なのはどうすればよくなるか、だ。
ヨッサンは受験もせまる中3の10月に退院したが、いまだに拒食症とたたかい続けている。
そんなヨッサンが私に励ましの言葉として自己開示してくれたのだ。
病んでいることを主治医以外の誰かに話すのはとても勇気がいっただろうと思う。
私とヨッサンはきっと信頼し合えるほどの仲になったのだと、私はまたも一方的にかもしれないが喜んだのだった。
(つづく)
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