体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(1)
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'''著者:高村ぴの(女性・栃木県)''' <br> | '''著者:高村ぴの(女性・栃木県)''' <br> | ||
+ | 接客業――。<br> | ||
+ | この系の職種に就いてかれこれ6年になる。<br> | ||
+ | 私は、対人恐怖症という心の病と人間不信嫌いを抱えている。<br> | ||
+ | そのような人間にとって、接客業とはもってのほか言語道断であり、絶対に出来ない仕事と私と同じ心の病を抱えている本人もそうでない人も、誰もが最初からそう思うであろう。<br> | ||
+ | いいや既にそういう職には、就けないと決めつけてしまっているかもしれない。<br> | ||
− | + | 私も最初は、この系の職種に就くまでは、そう思っていた。<br> | |
+ | むしろ自分のような人間がはたして社会に出てまともに生活していけるのかということさえ危うかった。<br> | ||
− | + | でも現に私は、その接客業を営み、働いている。<br> | |
+ | フリーターの身分なので大そびれたことは、言えないし語れないが、会社で全て完備された労働条件下で働く正社員と短時間で補助的に雇われているパートやアルバイトとでは、唯一給与などの待遇面で違うだけで働くということに関しては、本質的には同じなのではないだろうか。<br> | ||
− | + | 私がはじめて接客業についてたのは、まだ15歳のまだ中学を卒業したばかりの頃であった。<br> | |
+ | もちろん働いてお金をとることの大変さや社会の厳しさなど何も知らないまま社会に出た。<br> | ||
− | + | 高校は全日制の高校へ進学したのだが、入学して一週間もしないうちに辞めてしまい、退学してからしばらく家に引きこもりがちの生活を送っていた。<br> | |
− | + | しかし、先行きの見えない娘に苦渋する母の姿を見ていた私は、いたたまれなくなり、また母に見捨てられてしまうのではないかという強い不安と近所の目も気になって働こうと決心した。<br> | |
− | + | 家族は私の傷心の過去のこともあって、無理して外へ出ることはないと言ってくれたのだが、私の中でそれは通用しなかった。<br> | |
+ | 自分の存在の意味を考えると心が破けそうであった。<br> | ||
+ | またお金が必要といった単純な理由もあった。<br> | ||
− | + | 高校を退学した翌年、通信制の高校へ入学したのだが、入学金は多額ではないにしろ母には頼れなかった。<br> | |
+ | なぜなら女手一つで私を育て、必死で働き、貯めてきたお金で母は、私が好きな絵を学べる高校へ入学させてくれた。<br> | ||
− | + | にもかかわらず、そのような母の恩情を私は心の病を理由に裏切ってしまった。<br> | |
+ | もう母には縋れないと自分の中で言い切っていた。<br> | ||
+ | 私は、母にとても苦労をかけていた。<br> | ||
− | + | しかし母のことばかりを思いやられないほど私自身も苦しかった。<br> | |
+ | 職に就くことへの困難さや母まで苦労かけた心の病になった原因は、いじめであった。<br> | ||
− | + | 小学校時代に太っていることが原因でいじめに遭った。<br> | |
+ | 殴る蹴るの暴力、「ブス、デブ!」「お前なんか学校に来るな!」と暴言を浴びせられて、女子には汚くもないのに不潔と言われ、バイ菌扱いをされて仲間外れで友達も一人もいなかった。<br> | ||
− | + | 中学校に入学してからもいじめられた同級生たちと同じ中学校に入学したために、引き続き再びいじめが始まった。<br> | |
+ | 小学校時代はいじめられても我慢して学校にむりやり親に行かされていたのだが、いよいよ我慢しきれなくなり、同時にいじめのストレスと心の傷からノイローゼに陥った。<br> | ||
− | + | 中1の時に不登校になり3年間、不登校と保健室登校を繰り返しながら中学校を卒業した。<br> | |
+ | このときから私は、人間不信嫌いに陥り、他人にも心を開けなくなってしまった。<br> | ||
+ | 心の病にもなり、外出することさえ誰かがついていなければ一人で街に買い物さえいけなくなってしまった。<br> | ||
− | + | 私が心の病に陥るまで、母も家族もなかなか理解してくれず「お前は狂っている」と罵られていた。<br> | |
− | + | その状態のまま全日制の高校へ進学したのだが、他人の視線に異常な恐怖心を感じ、一人でバスにも乗れなくなってしまった。<br> | |
− | + | 高校では、いじめられなかったのだが、教室に入ると毎日のように一斉に浴びていたクラスメートの白い目の視線が脳裏に焼きついていて、恐怖で誰も私のことを見ていないのに、被害妄想から高校の教室にさえ恐怖で入れなかった。<br> | |
− | + | 入学して1週間で退学した。<br> | |
+ | それでも自分の中で高卒の学歴だけは取得しておきたいという強い願望があったので退学した翌年、通信制の高校へ入学することにした。<br> | ||
− | + | また中卒だとまったく雇ってくれない、相手にしてくれないわけではないのだが、なかなか自分の思うような職場にも入れず、職種が限られてしまったり待遇面での条件も給与や時給の面などもあまりよくないので、高卒の学歴だけは、取得しておいた方がいいと考え入学することにした。<br> | |
− | + | いずれにしても学生になっても社会に出て働いても人と会うことは、避けられなかった。<br> | |
+ | 人が嫌い怖いということをある程度抑えなければならなかった。<br> | ||
− | + | 過去を断ち切れなくても私の過去は、働くことにも雇ってくれる人や職場の人たちにも関係ないことで「私は、心が傷付きやすいのでどうか慎重に気遣って扱ってください」「対人恐怖なのでみんなと離れた所で仕事をさせて下さい」などと履歴書には、書けない。<br> | |
+ | それでは、絶対に職に就けない。<br> | ||
+ | 履歴書ごと面接の時点ですぐ追い出されてしまう。<br> | ||
− | + | 当時の私にとって辛いことだが、自分の全てを妥協しなければ働けなかった。<br> | |
+ | でもそれは、最初からそう思っていたわけではない。そこまで心はできていなかった。<br> | ||
− | + | むしろ辞めたい意識の方が断然強かった。<br> | |
+ | だが、そう考えなくなってきたのが、バイトを始めてから2年経過したところであった。<br> | ||
+ | また私が初めて働いた場所が、とても恵まれていたからかもしれない。<br> | ||
− | + | 母と私はそのバイト先が見つかるまで職探しに苦戦していた。<br> | |
+ | 母も私が普通の精神状態でないことを誰よりもよくわかっていたから、職が見つかるまで相当苦しんだとと思う。<br> | ||
− | + | 職安、折り込み求人誌、求人本、街頭を隅から隅まで見て探しまくった。<br> | |
+ | 接客は、絶対に嫌だと私は思っていた。<br> | ||
+ | 母も接客関係の職に就いているのだが、何かとお客さんに対する苦労話をきかされていた。<br> | ||
+ | 接客は、大変な仕事という先入観があった。<br> | ||
− | + | 母は、私と違って楽天的、社交的で快活なサバサバとした性格なので、お客様に対するストレスや愚痴は言ってもそれほど落ち込んだり仕事を辞めたいという素振りは一切見せず、楽しいこともあるよとよく言っていた。<br> | |
− | + | でも人とまともに話すことすらできなかった当時の私には、無理としか思えなかった。<br> | |
+ | だから人と接する機会が少ない工場や事務系の仕事、あるいは内職などの触手を中心に探していた。<br> | ||
− | + | だが、どういうわけか決まって母も私も目に入るのが、洋菓子店の販売員やホームセンターでもレジや品出し業務、書店の店員など接客関連のものばかりであった。<br> | |
− | + | 工場は、どちらかというとハードで肉体労働のイメージがあった。<br> | |
− | + | もちろん工場すべてがそうとは限らないが、緊張すると異がすぐに痛くなるため母は、「工場じゃトイレ頻繁に行けないよ」と言った。<br> | |
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− | + | 母も私が生まれる前まで何年か工場に勤務していた経験がある。<br> | |
+ | もちろん人と話す機会も職場の人たち以外にほとんどないし、短時間のアルバイトなら2、3時間の我慢ぐらいできる。<br> | ||
+ | そう頭で簡単に考えられてもどうしても自由にトイレに行けないことやそういった職場もみんな家から遠く、母の送り迎えにも負担がかかると思い、眼中にはあまりなかった。<br> | ||
− | + | 事務系の仕事も電話で顧客と対応することもある。<br> | |
− | + | またほとんどが、高卒以上や正社員の募集が多かった。<br> | |
+ | 一番身近でかつトイレにもすぐに行ける接客業が、人と応対を除いて自分には、合っている気がした。<br> | ||
− | + | 昼間は、同級生や知人に会うのが嫌なので夕方にして結局、母の送り迎えとなって負担をかけることになってしまった。<br> | |
+ | 顔見知りがあまり来ないような比較的、家から少し遠い場所を選ぶことにした。<br> | ||
− | + | そこで見つけたのが、よく買い物に行っていたスーパーの中にテナントとして入っていた小さな衣料品店の店員募集であった。<br> | |
+ | 特に求人ポスターには「高校生以上、年齢20歳から」などのバイトを希望しているとは、書いていなかった。<br> | ||
− | + | 経験のないレジ業務や何より対人恐怖の不安もあったが、どうしても自分でお金を稼ぐ、母を少しでも立ち直ったかのように見せて安心させたい―心で店長に面接をその場で思い切ってお願いした。<br> | |
− | + | 母は、「アルバイトだから合わなければすぐに辞めても大丈夫だよ。やるだけやってみたら」と意外にも心配そうな表情は、見せなかった。<br> | |
+ | そして私の苦難と自分自身との闘いが始まった。<br> | ||
(つづく)<br> | (つづく)<br> | ||
− | ⇒体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(1) | + | ⇒体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(1)<br> |
− | ⇒[[体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(2)]] | + | ⇒[[体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(2)]]<br> |
− | ⇒[[体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(3)]] | + | ⇒[[体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(3)]]<br> |
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2016年12月19日 (月) 20:29時点における最新版
アルバイト体験記・対人恐怖との葛藤(その1)
著者:高村ぴの(女性・栃木県)
接客業――。
この系の職種に就いてかれこれ6年になる。
私は、対人恐怖症という心の病と人間不信嫌いを抱えている。
そのような人間にとって、接客業とはもってのほか言語道断であり、絶対に出来ない仕事と私と同じ心の病を抱えている本人もそうでない人も、誰もが最初からそう思うであろう。
いいや既にそういう職には、就けないと決めつけてしまっているかもしれない。
私も最初は、この系の職種に就くまでは、そう思っていた。
むしろ自分のような人間がはたして社会に出てまともに生活していけるのかということさえ危うかった。
でも現に私は、その接客業を営み、働いている。
フリーターの身分なので大そびれたことは、言えないし語れないが、会社で全て完備された労働条件下で働く正社員と短時間で補助的に雇われているパートやアルバイトとでは、唯一給与などの待遇面で違うだけで働くということに関しては、本質的には同じなのではないだろうか。
私がはじめて接客業についてたのは、まだ15歳のまだ中学を卒業したばかりの頃であった。
もちろん働いてお金をとることの大変さや社会の厳しさなど何も知らないまま社会に出た。
高校は全日制の高校へ進学したのだが、入学して一週間もしないうちに辞めてしまい、退学してからしばらく家に引きこもりがちの生活を送っていた。
しかし、先行きの見えない娘に苦渋する母の姿を見ていた私は、いたたまれなくなり、また母に見捨てられてしまうのではないかという強い不安と近所の目も気になって働こうと決心した。
家族は私の傷心の過去のこともあって、無理して外へ出ることはないと言ってくれたのだが、私の中でそれは通用しなかった。
自分の存在の意味を考えると心が破けそうであった。
またお金が必要といった単純な理由もあった。
高校を退学した翌年、通信制の高校へ入学したのだが、入学金は多額ではないにしろ母には頼れなかった。
なぜなら女手一つで私を育て、必死で働き、貯めてきたお金で母は、私が好きな絵を学べる高校へ入学させてくれた。
にもかかわらず、そのような母の恩情を私は心の病を理由に裏切ってしまった。
もう母には縋れないと自分の中で言い切っていた。
私は、母にとても苦労をかけていた。
しかし母のことばかりを思いやられないほど私自身も苦しかった。
職に就くことへの困難さや母まで苦労かけた心の病になった原因は、いじめであった。
小学校時代に太っていることが原因でいじめに遭った。
殴る蹴るの暴力、「ブス、デブ!」「お前なんか学校に来るな!」と暴言を浴びせられて、女子には汚くもないのに不潔と言われ、バイ菌扱いをされて仲間外れで友達も一人もいなかった。
中学校に入学してからもいじめられた同級生たちと同じ中学校に入学したために、引き続き再びいじめが始まった。
小学校時代はいじめられても我慢して学校にむりやり親に行かされていたのだが、いよいよ我慢しきれなくなり、同時にいじめのストレスと心の傷からノイローゼに陥った。
中1の時に不登校になり3年間、不登校と保健室登校を繰り返しながら中学校を卒業した。
このときから私は、人間不信嫌いに陥り、他人にも心を開けなくなってしまった。
心の病にもなり、外出することさえ誰かがついていなければ一人で街に買い物さえいけなくなってしまった。
私が心の病に陥るまで、母も家族もなかなか理解してくれず「お前は狂っている」と罵られていた。
その状態のまま全日制の高校へ進学したのだが、他人の視線に異常な恐怖心を感じ、一人でバスにも乗れなくなってしまった。
高校では、いじめられなかったのだが、教室に入ると毎日のように一斉に浴びていたクラスメートの白い目の視線が脳裏に焼きついていて、恐怖で誰も私のことを見ていないのに、被害妄想から高校の教室にさえ恐怖で入れなかった。
入学して1週間で退学した。
それでも自分の中で高卒の学歴だけは取得しておきたいという強い願望があったので退学した翌年、通信制の高校へ入学することにした。
また中卒だとまったく雇ってくれない、相手にしてくれないわけではないのだが、なかなか自分の思うような職場にも入れず、職種が限られてしまったり待遇面での条件も給与や時給の面などもあまりよくないので、高卒の学歴だけは、取得しておいた方がいいと考え入学することにした。
いずれにしても学生になっても社会に出て働いても人と会うことは、避けられなかった。
人が嫌い怖いということをある程度抑えなければならなかった。
過去を断ち切れなくても私の過去は、働くことにも雇ってくれる人や職場の人たちにも関係ないことで「私は、心が傷付きやすいのでどうか慎重に気遣って扱ってください」「対人恐怖なのでみんなと離れた所で仕事をさせて下さい」などと履歴書には、書けない。
それでは、絶対に職に就けない。
履歴書ごと面接の時点ですぐ追い出されてしまう。
当時の私にとって辛いことだが、自分の全てを妥協しなければ働けなかった。
でもそれは、最初からそう思っていたわけではない。そこまで心はできていなかった。
むしろ辞めたい意識の方が断然強かった。
だが、そう考えなくなってきたのが、バイトを始めてから2年経過したところであった。
また私が初めて働いた場所が、とても恵まれていたからかもしれない。
母と私はそのバイト先が見つかるまで職探しに苦戦していた。
母も私が普通の精神状態でないことを誰よりもよくわかっていたから、職が見つかるまで相当苦しんだとと思う。
職安、折り込み求人誌、求人本、街頭を隅から隅まで見て探しまくった。
接客は、絶対に嫌だと私は思っていた。
母も接客関係の職に就いているのだが、何かとお客さんに対する苦労話をきかされていた。
接客は、大変な仕事という先入観があった。
母は、私と違って楽天的、社交的で快活なサバサバとした性格なので、お客様に対するストレスや愚痴は言ってもそれほど落ち込んだり仕事を辞めたいという素振りは一切見せず、楽しいこともあるよとよく言っていた。
でも人とまともに話すことすらできなかった当時の私には、無理としか思えなかった。
だから人と接する機会が少ない工場や事務系の仕事、あるいは内職などの触手を中心に探していた。
だが、どういうわけか決まって母も私も目に入るのが、洋菓子店の販売員やホームセンターでもレジや品出し業務、書店の店員など接客関連のものばかりであった。
工場は、どちらかというとハードで肉体労働のイメージがあった。
もちろん工場すべてがそうとは限らないが、緊張すると異がすぐに痛くなるため母は、「工場じゃトイレ頻繁に行けないよ」と言った。
母も私が生まれる前まで何年か工場に勤務していた経験がある。
もちろん人と話す機会も職場の人たち以外にほとんどないし、短時間のアルバイトなら2、3時間の我慢ぐらいできる。
そう頭で簡単に考えられてもどうしても自由にトイレに行けないことやそういった職場もみんな家から遠く、母の送り迎えにも負担がかかると思い、眼中にはあまりなかった。
事務系の仕事も電話で顧客と対応することもある。
またほとんどが、高卒以上や正社員の募集が多かった。
一番身近でかつトイレにもすぐに行ける接客業が、人と応対を除いて自分には、合っている気がした。
昼間は、同級生や知人に会うのが嫌なので夕方にして結局、母の送り迎えとなって負担をかけることになってしまった。
顔見知りがあまり来ないような比較的、家から少し遠い場所を選ぶことにした。
そこで見つけたのが、よく買い物に行っていたスーパーの中にテナントとして入っていた小さな衣料品店の店員募集であった。
特に求人ポスターには「高校生以上、年齢20歳から」などのバイトを希望しているとは、書いていなかった。
経験のないレジ業務や何より対人恐怖の不安もあったが、どうしても自分でお金を稼ぐ、母を少しでも立ち直ったかのように見せて安心させたい―心で店長に面接をその場で思い切ってお願いした。
母は、「アルバイトだから合わなければすぐに辞めても大丈夫だよ。やるだけやってみたら」と意外にも心配そうな表情は、見せなかった。
そして私の苦難と自分自身との闘いが始まった。
(つづく)
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