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カテゴリ:事件事故

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アニメや絵やセクマイ傾向に関してはどう答えたらいいか難しいです。松田さんがそれに関しての何を知りたがっているのか分からないので、例をあげてもらえると答えやすいのですが、自分なりに説明してみます。
 
 
 
中学、高校の頃は、弟と自販機でアニメキャラの消しゴムやカードを集めたり、親に買ってもらったキャラのオモチャで遊んでいました。仙台に行ったという友達の弟からもカードをもらったりしました。学生時代以降もビデオ録画したアニメを観たり、アニメ映画を劇場で観たり、漫画本を古本屋で買って読んだり、アニメ専門店でグッズを買ったり、絵はオリジナルキャラクターが大半ですが初めの頃は漫画のキャラで練習しました。
 
珍しい経験は、父がアニメ会社に連れて行ってくれて、見学はできませんでしたがお気に入りのキャラのセル画を特別にもらうことができました。
 
また、大好きな漫画のキャラが使っている銃のモデルガンを欲しがったら父が買ってくれて、弟と遊んでいました。
 
弟とそれぞれガンダムのプラモも作りました。
 
松田さん達と一緒にコミケにも行きましたね。松田さんのセンターの作品展にも出させてもらいました。丸岡さんとはよく漫画やアニメの話をしますね。
 
漫画教室の夏の体験授業にも少し参加したことがあります。
 
絵はカウンセラーの先生に見せなくなってからも描き続けていますので、誰にも見せていない絵も大量にあります。
 
一人で楽しむことを好んでいましたので、仲間と同人誌を作ったりコスプレ(キャラのかっこう)をしたりなどしませんでしたし、描いた絵をネットに載せることもせず、人に見せたくありませんでした。
 
私にとってはアニメや漫画よりも、自分のストーリーと自分のキャラの絵が大事ですが、漫画もおおいに刺激になり参考になりました。
 
でも今では漫画よりもドラマや映画の方が楽しいです。
 
 
オリジナルストーリーと絵は、文章と同じで自分と向き合う作業でしたが、こちらの方が無意識に近い心の領域です。
 
頭で考えて作るものではなく、イメージの中で自然と進んでいくストーリーを追っていきました。気楽に描く時期を経て精神的に苦しまされていた時期は、キャラのイメージが固まってくれば絵にすることができましたが、イメージ通りに絵にできなければ自分の心の命が救えずに死んでしまう状況で追い詰められていたので、表現をすることが命がけでした。そのキャラの顔がイメージの中でどんどんリアルになっていきましたが、どんなイメージでも忠実に描かなければ意味がなく、無我夢中で画力が上がっていきました。絵はヘタの横好きでよかったのですが、こういった事情があったので、上手にならざるを得なかったです。イメージ力と集中力と客観性と冷静さが必要ですので楽しく描けるものではなく、心の命をつないでいく生きるために必要な作業でした。描き上がった時にはクタクタで、やるべきことをやったという達成感はありましたが、幸せなものではありませんでした。けれどその積み重ねで、自分の様々な心の領域を捉えてつかんでいくことができたので、手応えはあり精神的に安定してきたのだと思いますし、結果的に心が満たされていったと思います。
 
ストーリーも絵も、抑圧された心の解放と肯定というものかもしれません。
 
それがいずれ描かなくなっていき、松田さんの所のパソコン教室に関わるようになった頃、絵を描くために集中する夜中の時間確保のための昼夜逆転を続けていくことに価値がなくなっていました。昼に友達に会う経験をしたくなり、絵が描けなくなることを覚悟で昼型生活に変えていきました。けれどいずれまた描くようになり、寝る前の数時間や昼間でも絵が描けました。以前のように命がけのものではなくなりましたが、1ヶ月以上のイメージ集中の期間が必要になることもありました。イメージが固まってきた頃にはオーバーヒートして熱を出した状態で描くことも多かったです。マイケル・ジャクソンのオリジナルイラストもその中の渾身の1枚です。これが後で出てくるセクマイの話の中の「男性の取り込み」になり、また、性別関係なく「人物の消化吸収の作業」というものになります。
 
10月24日の2通目のメールにも書いた「心の完全回復の過程」という心の死と再生を体験しましたが、それもストーリーを追っていく中で起こったことです。その神聖な世界に突入する前兆の絵も描いています。その絵は、心の死をこれから体験するなど想像もしなかった時に描いたもので、私のイメージの世界の方が私の理解や認識よりも先を行っていることの証明になります。けれど、そうやって得体の知れないイメージが私を導いていってくれたのは心が死ぬまででした。心の再生後は一時期非常に心細かったです。その後も私を引っ張っていくようにストーリーは展開しますが、この時のような不可抗力の精神の大きな流れとは違って、もっとこぢんまりとした世界で、心の小さな領域ごとの取り組みになっているようです。
 
絵は全てとっておいてありますので年代別に説明できそうですが、今回はおおまかに説明しました。
 
 
 
セクマイの話をするには、子供の頃の性に対する感覚から説明した方がいいように思えたので、セクマイとは関係のなさそうな説明もはさみます。何が基準でセクマイと呼ぶのかグレーな部分も多いので、松田さんが判断してください。
 
肉体関係といった深いところまではお話できませんが、簡単に説明すれば、女性らしくするのが嫌いで、普通の男性に恋愛感情を持てず、オネエのような女性的な男性に惹かれるということです。母親の愛情に飢えていた反動で女性性を強く感じる人に惹かれるのかな?と感じます。芸能人のオネエのマツコ・デラックスさんが超人気になりましたが、今の時代の人達が求めるものを私はもっと強く求めているのかもしれません。
 
 
小学生の頃から自分の女性性を嫌っていたのか興味がなかったのか、同級生の女の子から「私、早く結婚したいの。ウエディングドレスを着たいから」と言われた時、そんなどうでもいいものを一回着るためだけに面倒臭い男の人と一生生活することになる結婚に憧れるのか、と呆れたものです。それくらい、子供の頃から女性らしいオシャレや異性への憧れがまるでありませんでした。結婚なんてネガティブなイメージです。同じ頃「クラスの男の子の中で誰が好き?」と聞かれた時も、一人の男の子に捕われている女の子が視野の狭い哀れな子に思えて、「男の子のことなんて放っておけばいいのに」と感じました。それと、もうお話したことですが、女の子の友達とは自分がミッキーマウス役の男の子でいるのが楽しかったです。
 
成人式ではネクタイにジャケットとズボンでした。写真も残っていますが、今でも自分のセンスはいいと思っていて満足です。
 
就業支援で、女性は化粧とスカートが必須だと聞いて、化粧とスカートが嫌いな私は一生就職は無理だと諦めました。
 
男性が圧倒的に多いバイクの世界で、オフロードバイクに乗っているのは気分がよかったです。
 
若い頃、性被害と呼べる、弄られたりじっくり見られたという被害をそれぞれ受けていますが(一人は鍼灸師で施術中です)、「やだな」と思う程度でした。不快感はあっても心の傷がありません。相手が好きだったわけでもありません。むしろ「ここで傷つくべきなのに…」と困りました。そのずっと後、仲間達のいる中で岡田さんから太腿をいくら撫でられても、断りもなく膝枕をしてきても、何も抵抗を感じません。恋愛感情はありませんでしたが、子供っぽい無邪気さを感じたのかもしれません。岡田さんもさすがにビビッたようで「結婚したことあるの?」と聞かれたほどです。自分自身に女性としての自覚が欠けている以上の何かを感じました。周囲に人がいる路上でいきなり服が脱げて裸になっても、驚くだけで心に傷はつかない気がします。
 
その後、自分の中の男性性を徹底して掘り起こすためにオリジナルキャラクターを通じて模索していました。その時トランスジェンダーの人に興味を持ち、セクマイの会を探して2か所ほど参加してみました。そこで特殊な人が好きになって付き合ったり、惹かれる人はいつも女性的な男性だったりして、私にはセクマイ的な要素があると感じました。けれど、セクマイの会では私のセクシャリティを判断してもらえませんでした。
 
 
変わった話になりますが、姓名判断の総画が33画の女性(私)はエネルギーが強過ぎて子供は愛せても男性は愛せないらしいです。男性より強いので、男性と結婚してもその人を弱らせて早死させてしまうそうです。その上、堀内家は女性が強く、男性(父の兄と、父の姉と妹の配偶者)が結構早くに亡くなっています。
 
後天的なセクマイの多くは成長過程でつまずいた人に思えてなりません。男性だとゲイから性被害を受けたのをきっかけにゲイになってしまったり、女性だとレイプなどの性被害が原因でレズビアンになるケースも多いようなので、親から受けた精神的苦痛だけでもセクマイの原因になりそうです。私がそんな気がします。
 
私は女性らしくないだけで自認は女性ですし、好きになる人がオネエ的な男性というだけなので普通の女性と言っていいのですが、ちょっと特殊な男性も含まれますし(どんな男性かお話できませんが、文章から察してくれていると思います)、どんな素敵な男性でも性的な魅力は全く感じないアセクシャル気味で、セクマイと一緒にいると落ち着くのもあり、セクマイ傾向と言っています。
 
普通の男性に憧れても恋愛感情ではなく、細マッチョに憧れたら自分も筋トレをしたり絵で筋肉を表現して、魅力ある男性(映画キャラなど)と同じようなキャラを作るなどして、自分の中の一部にしてしまいます。女性作家は結婚しない方がいいと言われていますが、そんな女性作家のような感性で男性を見ているのかもしれません。男性から与えられるのを望むのではなく、男性を取り込んでしまうのです。
 
 
自分でもなぜセクマイ傾向があり普通の男性を愛せないのか、今でも謎のままで分析中ですので、まとまりのない文章になってしまいました。
 
肉体関係に関するお話もできずに、特に分かりやすい傾向を伝えられませんが、お伝えした性質だけでも厄介です。日本社会や日本人男性が求める「女性らしさ」の枠が狭すぎる気もします。
 
たぶん、こういう私を受け入れてくれる優しい男性に出会えたらセクマイ傾向もなくなるだろうと期待しています。
 
 
 
聞かれてもいないことも多く話してしまいましたし、松田さんからの質問やお話に対して、見当違いな回答やズレている話をしてしまっているかもしれません。その食い違いが大きくなってきたら対話に変えた方がいいかもしれません。まだメールでやり取りできそうでしたら、また質問など送ってください。できればそれについての何が知りたいのか(精神的なことか、現実的なことか、それを通じた人間関係か、など)、もう少し詳しい質問をしてもらえれば、的外れな回答は避けられると思います。
 
今回も何度も読み返し書き直ししましたが、もう送らせてもらいます。また補足をお送りするかもしれませんが、お返事は遅くて結構です。松田さんの用事を優先してください。
 

2021年11月11日 (木) 07:49時点における版

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