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| − | エンゲルスが示した家族家事労働と19世紀の限界
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| − | 1992年春『こみゆんと』( ネットワーク誌)を創刊しました。そのころのことです。不登校の子を持つ母親から手紙をもらいました。「子どもの不登校のおかげで家庭内のおかしなことが明るみになり、それが解消されるとともに不登校はなくなった。子どもが学校に行かなかったことは、本人だけではなく家族にとってもよかった」という主旨でした。
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| − | 幼児は泣くことであらゆることを表現します。周囲の人は、その泣き声により何かあると知り、対応します。泣き声は何ら問題行動ではありません。不登校も同じです。少なくとも幼児の泣き声に相当するものが含まれています。
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| − | 振り返るとこのときに感じたことが、私が不登校やひきこもりに関心を寄せていった大きな動機になると思います。その後、不登校やひきこもり経験者の個別事情から、その改善、解消策を求めていきました。それにつづいてこの数年、その社会的背景から問題をとらえ直そうと試みました。その私なりの1つの到達点をここに記録します。
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| − | 日本においては、1960年前後の高度経済成長期が、社会の底辺から変動させてきたことを知りました。それは家族制度にも大きな変動をよび起こしました。
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| − | ここで私は家族の歴史についてF.エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』を参考にしました。それを巡って身近な社会経済的な事態を調べていきました。多くのエッセイも書きました。そこで改めて『起源』に立ち戻ってみました。『起源』では家族に関していくつかの重要なことを指摘しました。同時に、私には3つの点への記述がないことにも気づきました。それは19世紀という時代条件のなかでは言及ではなかったことです。それは20世紀後半から明白になり、現在の焦点になっていることです。
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| − | まず、エンゲルスが明らかにした要点を明示します。
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| − | (1)家族状態は、変遷の歴史がある。それは19世紀にバッハオーフェンやL.モルガンにより明示されました。
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| − | バッハオーフェンは、これを人間の宗教的●義の変化により説明しました。モルガンは、それを人間の生活状態の変化により説明し、文化史として、人間には野蛮、未開、文明の3つの段階を経験していると述べました。
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| − | (2)文明期の人間(人類)は、生活に必要な物質の生産力を高めた結果ですが、それは人間が生活に必要な物を自ら生産し、その生産に必要な道具を発明したことによります。
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| − | 男女の性的役割による分業が成立し、これが男女の社会的地位の差を生み出す基になっていること、男女平等のためには、ここを改善すること、女性の生産活動への参加が必要である点を明らかにしました。
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| − | *実際には、経済のサービス産業化により、女性の社会参加はとくに発達した先進社会では進んでいます。しかし、男女平等は進んでいる北欧であってもまだ相当の差があります。
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| − | エンゲルスが『起源』で述べられなかった点は、かかに●●します。
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| − | (1)『起源』では、家事については簡潔にふれましたが、それは家庭生活の運営に関する部分——すなわち主に衣食住に関する家事についてでした。子どもの生産——私はこれを家族の世代継承機能とし、その行動を家族内ケア(子育て、家族の健康ケア、介護など)の面にはふれていません。これら2つの家事を労働として評価していませんでした。
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| − | その理由は、これらの家事の社会的分業が19世紀にはある程度の規模に普及していなかったためです。20世紀に入りまずは衣食住に関する社会的分業が発展し、20世紀後半になって家族内ケアの社会的分業が聞かれました。こういう事情によって家事が労働として評価できる評価できる基盤ができたのです。
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| − | (2)エンゲルスの時代には国内総生産(GDP)という理解もありませんでしたし、従って『起源』ではこれにふれていません。GDPとは、一国の広い範囲に市場経済が定着していることが条件です。19世紀にはそれもまた先進国の一部でした。21世紀の現代でも、これは未達成の地域(自給自足地域の広がりや物々交換経済)があります。GDPが公式に成立したのは1993年のことであり、それまでには半世紀の経過があります。
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| − | GDPの確立は●●不十分ですが、これに比●して家事労働の評価が考えられていますので、理論上であってもGDPの役割は欠かせないのです。
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| − | (3)エンゲルスは、家族制度の将来については具体的には記述していません。これは現代に生きる私たちにとっても想像の域を超えるわけではありません。私に言えることは、この家族制度を変える原動力は家族内ケアのところです。エンゲルスの時代においては、男女平等に基づく社会は女性の社会的労働への参加でしたが、ここに家事労働、ことに家族内ケアの評価が加わることで、人間の将来の家族制度を考えることができるということです。
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| − | 若い世代には家族内の「わずかな」不具合を察知する鋭敏な感覚をもつ人が少なからずいます。当初その感じ方が、異●●●問題行動とさえ感じられるものです。社会的常識や慣習としてそれと気づかずに続いている生活の中にもそれはあります。彼ら彼女らのその感覚は決して無視してはならないのです。幼児の泣き声を無視してはならないのと同じです。
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