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| − | 幼児期の虐待を越えて成人した人たち
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| − | とつぜんある言葉を思い出した。「私の成年後見人になってもらえませんか…」とおそるおそる言ってきたときのことです。どう答えたのかははっきり覚えていませんが、「いいよ」と明快な答えはしなかったし、要するにはっきりした返事はできませんでした。あのときが決定的なときではないか、と今になって思う。
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| − | 椎名篤子『凍りついた瞳2020』の第3章の一節は「Story3 死を乗り越えた子どもたちへ」という実践による体験物語です。その中に「〇〇さん、私の里親になってよ」と20歳の児童養護施設を終えた人から声をかけられた部分を読んだときです。「松田さん、…成年後見人になってもらえませんか…」とPさんが話してきたときのことを思い出した。あのときは何度かある決定的な意志表示であったと今にして思い返されます。
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| − | Pさんははじめは統合失調症といい、●の医療機関では双極性障害と診断されました。私が目の前で確認できたことは、解離性の状態、つまり複数の名前で自身の●●を語っていることです。これは乳幼児期に虐待を受けた人によく表われる症状です。
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| − | 成年後見人については当時は(今も)私は聞いてはいるが、内容はよくわかりません。Pさんの親族にも私の周囲の人にも妙な受けとめ方をされるのではないかとちゅうちょする気持ちでした。
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| − | 法的な要件を満たしていないだろうし、成年後見人●●がベストかどうか迷う気持ちもありました。そんなことがまざりあって、「いいよ」とは答えられなかったのです。私にはそれだけだったかもしれませんが、Pさんにはもしかしたら最後の切り札だったのかもしれません。私はこれを後悔すべきだったのです。実現できないにしても、もっと調べてみるべきだった。もっとあれこれバタバタしてみるべきだったのです。後悔すべきはいろいろあります。いい状態のときもあったし、困っていたときもありました。しかし、この重みを長く感じないできたのです。Pさんの例をもとに『ひきこもり当事者と家族の出口』(五十田猛,子どもの未来社,2006)で、私はこう書いています。
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| − | 生命恐怖の時代を切り抜ける子どもの対処のしかた
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| − | いま、日本のあちこちで子どもの虐待が生じています。なかには命を落とす子どももいます。
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| − | そういう対比のなかで、Pさんの子ども時代の過ごし方——つまり生命恐怖への対処法——をみれば、私はむしろ「よくがんばった。絶妙の方法で危険で狭く長い道を切り抜けた」とほめてあげたいと思います。
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| − | 私がPさんとはじめて出会った当時は、いわゆるマニック・ディフェンス(躁的防衛)の状態でした。家では元気な姿を、人前でもそれなりに元気な姿をみせ、ひとりでいると寝込み、症状に苦しんでいました。子ども時代の「いい子」状態が少し姿を変えて続いていたのです。(p61)
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| − | Pさんの例は、Pさん独自の要素もありますが、一般的な少年期までに虐待・生命恐怖に置かれた子どものその時代の過ごし方、切り抜け方だと思います。それを極言すれば、「親のいいなりの道を選ぶこと」になります。
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| − | 私たちは、親のいいなりになっている子どもを、自立性の低い、自分らしさを発揮していない子ども(人)とみがちです。しかし、子どもにしてみれば、やむにやまれない一種の正当防衛として、「自分で自分の心を殺す」道を選んだのではないかと思えるのです。
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| − | たしかに現時点はたいへんでしょう。しかしまた、いま生きているのです。ここが出発点ではないでしょうか。(p62)
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| − | 第3章は、「死を乗り越えた子どもたちを支えるために」になっている。Pさんが、この章で紹介された程度の虐待を受けたかどうかはわかりません。少なくとも乳幼児期のことはわかりませんし、子ども時代の体験の断片をいろいろな機会に話してくれたなかに、その片鱗を見るだけです。
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| − | 不登校情報センターに通ってきたひきこもり経験者には、乳幼児期に「死を乗り越えた」と言える体験者がどれほどいるのかはわかりません。それでもそれに近い状態の人がいるとは確信できます。その彼ら・彼女らが成人後どのような状態になるのか。人さまざまで、ある人は一般の社会人として生活が可能な範囲に入り、他方では40代50代になって入院生活と在宅をくり返す状態になっています。その両者の間に、社会との不均衡な関わりをもち、ウツなどの心身状態とつき合いながら生活を続ける人がいます。
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| − | 『凍りついた瞳2020』では、「死を乗り越えた」人たちへの、複数の人たち、ある程度は社会福祉の制度を生かしながら、それぞれの人の献身的な努力で続ける人たちを描いています。
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| − | 私はこの本を一気に読み進むことができませんでした。描かれている事態は、私が見聞きしたのとは全然別のことなのに、あまりにも生々しく、それを消化し、心が落ち着くのに時間を要したからです。そのつど感想を書いてきました。バラバラの統一性を欠いたものです。それだけ衝撃の強い、この分野に関心を持つ人には特におすすめしたいと思います。
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