カテゴリ:周辺ニュース
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| + | 家事育児には経済生活とは別の基準が必要 | ||
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| + | 2025年12月18日朝日新聞「声」欄の投書です。18歳の女子高校生「家事育児 分担よりも一緒の意識で」。家事や育児に夫(男性)が参加すると「イクメン」などと称賛されるが妻(女性)はそうではない、おかしいではないかという感想です。男性が家事や育児を「手伝う」や「分担」という感覚ではなく「家族全員が主体的に関わっていく」「よりよい生活を一緒に目指す」そういう当事者意識がもっと広まってほしいという内容です。 | ||
| + | 男女ジェンダーの平等に関して世の中かなり進んできた、その表われがあるというのが感想の第一です。私の高校時代や20代のころ、つまり半世紀前までは思いつかなかった意見でもあります。 | ||
| + | その上で私の感想を2点追加します。1つは「男性だけが家事や育児をすると称賛される状況」は、この移行する時代に一時的に見られる現象になるという見方です。人間がものごとを理解するには、移行期というものがあります。多くの人が一挙に変わるというのではなく、先端部分と中心部分と、遅れる部分があり、時代の流れの中で変わっていくということを認めていいと思うからです。 | ||
| + | もう1つ私が重要だと思う点があります。家事育児が、社会的生産や社会的活動とは異なった分野として、等位に考えられなくてはならない点です。社会的生産は、人間の生活を支える不可欠な部分がありそれが欠かせないことは説明の必要がないかもしれません。その社会的生産の労働は20世紀に入って金額という定量的表示を用いる価値基準が生まれ20世紀の終わりにはGDP(国内総生産)に定式化されました。 | ||
| + | しかしGDPは国によって、場合によっては国内地域や経済分野によってそれを測るメジャーが異なる不完全、不公平なものです。しかし金額による数値で表わされますので便利に、あるいは安易に比較材料に用いられています。しかし同じように家事育児も人間の生活、というよりも人間が生存する、人間社会が続いていく上で欠かせないものであることもまた間違いはないのです。両者を並べて片側が上、もう片側が下、ということはありません。 | ||
| + | この理屈はわかっているはずですが、家事育児は社会的生産活動に比べると低位におかれて考えられてしまうのです。両者は並べて対比すべきものではなく、異なる二つの分野として不可欠であることを認める——現状はそれとは違いますので、その方向に理解をすすめる必要がある。これが私の意見です。 | ||
| + | そのためには、家事育児——私はこれを家事と家族内ケアの二つの部分の全体と理解していますが——この部分を表わす基準を設けられないかとあれこれ思いをめぐらしています。これなくしては男女ジェンダー平等の根拠において、総体として女性の得意分野をおぼろな状態にしたままにして語ることを続けてしまいます。 | ||
| + | 家事育児はもともと労働ではなかった。類人猿の時期に道具を用いて労働を始めた後に類人猿は人類に進化していきました。人類は労働を発展させる過程で家事育児も労働の一種にまでしました。それでもなお家事育児の全体は労働とはなりません。それは労働とは異なる価値基準で考えられるべきものではないでしょうか。 | ||
| + | 「声」欄の投書を転載しておきます。 | ||
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| + | 家事育児 分担より一緒の意識で | ||
| + | 高校生 中川美悠(広島県 18) | ||
| + | 昔と比べて、夫婦2人で家事や育児をする家庭が増えてきたようです。しかしSNSなどを見ると、男性が家事育児をするとなると、まだまだ「イクメン」などと周囲から称賛されている気がします。 | ||
| + | 女性が家事育児をやっても、当たり前のことだとして、称賛されることはなかなかありません。 | ||
| + | 家事や育児は本来、夫婦2人のことだと思っています。それにもかかわらず、男性だけが家事や育児をすると称賛される状況に違和感を感じました。 | ||
| + | 私は、「手伝う」や「分担」という言葉が、男性の家事や育児を特別視することにつながっていると感じます。男性も女性も、家事や育児を「手伝う」「分担」するという感覚ではなく、家族全員で「家のことに主体的に関わっていく」「よりよい生活を一緒に目指す」。そんな当事者意識がもっと広まってほしいと思います。 | ||
| + | 2025.12.18 朝日「声」 | ||
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2025年12月23日 (火) 18:18時点における版
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| 所在地 | 〒 |
| 代表・運営者 | |
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目次 |
周辺ニュース
ページ名 文京区地域教育支援担当 東京都文京区 ()
第6回家庭教育講座
▼発達障害の「いま」と「これから」日
日時:11月6日(木)午前10時~11時30分(15分前から受付)
会場:アカデミー文京
内容:発達障害を正しく理解し、発達障害と診断された子どもとの接し方を具体的な事例を基に考える
講師:柏木理江氏(東京都発達障害者支援センター相談支援員)
対象:年中児~中学生を子育て中の区内在住・在勤者
定員:50人(先着順)
申込:当日直接会場へ
※保育[対象…2歳以上、定員…10人(申込順)]希望者は、10月30日(木)までに電話又はFAXに「記入例」3〜5(3は子ども分も、5は子どものみ)を明記し、下記へ
※手話通訳希望者は、10月21日(火)までに電話又はFAXに「記入例」3〜5を明記し、下記へ
問合せ:教育総務課地域教育支援担当
【電話】03-5803-1302【FAX】03-5803-1366
〔区報ぶんきょう 2025年10月10日号〕
周辺ニュース
ページ名 [[]] ()
家事育児には経済生活とは別の基準が必要
2025年12月18日朝日新聞「声」欄の投書です。18歳の女子高校生「家事育児 分担よりも一緒の意識で」。家事や育児に夫(男性)が参加すると「イクメン」などと称賛されるが妻(女性)はそうではない、おかしいではないかという感想です。男性が家事や育児を「手伝う」や「分担」という感覚ではなく「家族全員が主体的に関わっていく」「よりよい生活を一緒に目指す」そういう当事者意識がもっと広まってほしいという内容です。 男女ジェンダーの平等に関して世の中かなり進んできた、その表われがあるというのが感想の第一です。私の高校時代や20代のころ、つまり半世紀前までは思いつかなかった意見でもあります。 その上で私の感想を2点追加します。1つは「男性だけが家事や育児をすると称賛される状況」は、この移行する時代に一時的に見られる現象になるという見方です。人間がものごとを理解するには、移行期というものがあります。多くの人が一挙に変わるというのではなく、先端部分と中心部分と、遅れる部分があり、時代の流れの中で変わっていくということを認めていいと思うからです。 もう1つ私が重要だと思う点があります。家事育児が、社会的生産や社会的活動とは異なった分野として、等位に考えられなくてはならない点です。社会的生産は、人間の生活を支える不可欠な部分がありそれが欠かせないことは説明の必要がないかもしれません。その社会的生産の労働は20世紀に入って金額という定量的表示を用いる価値基準が生まれ20世紀の終わりにはGDP(国内総生産)に定式化されました。 しかしGDPは国によって、場合によっては国内地域や経済分野によってそれを測るメジャーが異なる不完全、不公平なものです。しかし金額による数値で表わされますので便利に、あるいは安易に比較材料に用いられています。しかし同じように家事育児も人間の生活、というよりも人間が生存する、人間社会が続いていく上で欠かせないものであることもまた間違いはないのです。両者を並べて片側が上、もう片側が下、ということはありません。 この理屈はわかっているはずですが、家事育児は社会的生産活動に比べると低位におかれて考えられてしまうのです。両者は並べて対比すべきものではなく、異なる二つの分野として不可欠であることを認める——現状はそれとは違いますので、その方向に理解をすすめる必要がある。これが私の意見です。 そのためには、家事育児——私はこれを家事と家族内ケアの二つの部分の全体と理解していますが——この部分を表わす基準を設けられないかとあれこれ思いをめぐらしています。これなくしては男女ジェンダー平等の根拠において、総体として女性の得意分野をおぼろな状態にしたままにして語ることを続けてしまいます。 家事育児はもともと労働ではなかった。類人猿の時期に道具を用いて労働を始めた後に類人猿は人類に進化していきました。人類は労働を発展させる過程で家事育児も労働の一種にまでしました。それでもなお家事育児の全体は労働とはなりません。それは労働とは異なる価値基準で考えられるべきものではないでしょうか。 「声」欄の投書を転載しておきます。
家事育児 分担より一緒の意識で 高校生 中川美悠(広島県 18) 昔と比べて、夫婦2人で家事や育児をする家庭が増えてきたようです。しかしSNSなどを見ると、男性が家事育児をするとなると、まだまだ「イクメン」などと周囲から称賛されている気がします。 女性が家事育児をやっても、当たり前のことだとして、称賛されることはなかなかありません。 家事や育児は本来、夫婦2人のことだと思っています。それにもかかわらず、男性だけが家事や育児をすると称賛される状況に違和感を感じました。 私は、「手伝う」や「分担」という言葉が、男性の家事や育児を特別視することにつながっていると感じます。男性も女性も、家事や育児を「手伝う」「分担」するという感覚ではなく、家族全員で「家のことに主体的に関わっていく」「よりよい生活を一緒に目指す」。そんな当事者意識がもっと広まってほしいと思います。 2025.12.18 朝日「声」
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