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Center:2010年1月ーアスペルガー的な事態への対処方法

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目次

(1)アスペルガー状態への対処法

〔2010年1月12日記載、『ひきコミ』2010年2月号に掲載〕


不登校情報センターのHP内のブログ「片隅にいる私たちの想造展」に、「『ひきコミ』投稿・文通者へアンケート」という文を載せたところ(1月3日)、ロキソニン.Jrさんからコメントが寄せられました(1月5日)。
アンケート自体をこのブログに載せたわけではなく、アンケートはアスペルガー的なことを調べるものではありません。
ロキソニン.Jrさんのコメントがそこに傾いているのでコメントへの回答もその傾向になりました。
ロキソニン.Jrさんの文章は、省略体(?)ともいえる文章なので意味をうまく読み取れないところもありますが、おおよそ理解したとしてそれへの回答を書きます(同じブログにおいてコメントの要点は指摘しておきました。
この回答を書くために改めてロキソニン.Jrさんのコメントを読み返したのですが私の理解レベルは変わりません)。

(1)アスペルガー状態への対処法

アスペルガー気質(障害・症候群)への対処法から始めましょう。
ロキソニン.Jrさんはこの期に及んだら、私のようにノンキにしていないでアスペルガー状態に的確に対処したらいいと思っているようです。
しかし私はそういう方法を知りません。
「だったらそんな支援活動なんてするな!」といいたいのでしょうか?
世にはそれに対して教育学的に対応をする人がいます。
同様に福祉学的に、医学的に、家族学的に、心理学的に、身体療法学的に‥‥対応をする人がいます。
その範囲で方法を知っている人はいるのでしょう。
それをもって対応方法を知っているとするのは、八百屋さんが植物食品総合小売販売を名乗るようなもので、私には気恥ずかしくてとてもできません。
しかし、これらの〝専門家〟による対処に頼るやり方に偏るのはやめた方がいいというのが私の気持ちです(医師資格のない人に脳外科手術を勧めるような極端なことをいうわけではありません)。
〝専門家しか対処すべきでない〟というのは、事態をさらに悪くします。
気分的には即効性のある効果抜群の対処方法は“怖い”です。人体改造を思い起こさせます(Tヨットスクールはその一種のように思いますが違うのでしょうか)。
もっとも医学医療や心理療法、身体療法の各専門分野において、より効果的な、しかも副作用が比較的少ない方法が探究されるのは歓迎です。

その一方、素人だから出来ることもあります。
プロの友だち(専門家)というのはいないですが、友だちができるのは(引きこもりにもアスペルガー症候 群にも)それだけで相当に高度な対処方法です。
それも含めて私が期待する当事者への直接の対処法を例えれば、“劇薬よりもマイルドな漢方”となります。
いずれにしても即効性は少ない方法です。教育学的な方法とはそのようなものです。
アスペルガー症候群が発見される以前にもそのような人は多くおり、当時から生きづらい面はあったと思いますが、大部分は“障害者”ではありませんでした。
いまも障害者レベルではない人は多くいると思います。
先天的にアスペルがー気質をもって生まれた人が生育過程(とくに対人関係)のなかで、社会生活できる力をうまく身につけられなかったときに、社会生 活の障害を感じるようになります。
先天的な気質に加えて後天的な条件、生育環境の社会的な条件がアスペルガー気質の人の相当部分が社会的不適応の状態、さらには障害のレベルになるのです。
障害者とは初めから“いる”のではなく、その状態を理解されず、生活・生存のために他者の援助を必要とするようになったときに“なる”のです。
アスペルガー気質の人は自動的にアスペルガー障害になるのではなく、生育過程の社会的な環境のなかでうまく身につけられず、人によっては障害レベルになるのです。
かつてはそこまでの社会的な環境ではなかったけれども(私の推測では70年代以降の)日本社会の変化が一般には子どもの成長を、特殊にはアスペルガー気質の人の成長を停滞させてきたのです。
特殊例はアスペルガー気質に限らず他にもあるはずです。
社会的にある困難を解決すれば別の困難が浮上してその解決を迫る。
それは単純な繰り返しではなく、いろんな困難が生まれ、浮沈を繰り返すように見えて、それでもそこに人間の前進が貫かれている、それが社会進歩の弁証法です。

かつてはアスペルガー気質に生まれても多くの人は障害レベルにはならなかった。
〝やんちゃ坊主〟が少なくなったのはそれと関係する気がします。
いまは乱暴な子どもはADHDやアスペルガー症候群によく分類されます。
20代から40代ぐらいの人はこの社会的な認識・理解の移行期、その空白期・谷間におかれた人たちです。
ただ世の中がこの間に明から暗に一瞬に転換したのではありません。
近年は重い障害を持って生まれた赤ちゃんもかなり生存し、成長をつづけるようになりました。
社会の各分野に前進と進歩はあるのです。
その背後にかつては問題のなかったこと、生活現象として無意識のうちに解消されていたことがそうはならなくなってきているのです。
どの部分も平均的に前進するのではなく、ある部分はより早く、ある部分は進み方がおそい、その一方で新たな事態が生まれているのです。
現代の日本はアスペルガー気質が高い割合でアスペルガー障害になる社会環境といえるでしょう。
このような背景のなかで私は私にできる“支援”をしています。「自分にできることをする」というのは、こういう背景をもったスタンスです。
十分かと問われればはるかに及びません。
それでも万全な対処方法を持った人が支援すべきであるというのであればそういう人を探してください。
もし万全を自称する人がいるとすれば私はその人の科学への無理解を感じます。

科学とはそのような絶対的なものとは違います。
そういう絶対があると思うのは科学よりも信仰に近いでしょう。
科学が絶対ではないというのは反科学とは違います(ちなみに数学や言語は科学ではなく約束事です。その約束事である数学や言語により科学は表現されます)。
ロキソニン.Jrさんがここまでのことを了解してくれると嬉しいのですが、はたして…。

(2)進化論に関連して

次の点に進みます。
私が「人間の進化」とか生物学者に任せておけばいいことにまで「首突っ込んで対抗心を燃やす」というあたりです。
どの程度の本気さかげんで言っているのかわかりませんから、正面からこれに答えるほどのこともないのかもしれません。
でも思うところがありそれについて述べます。
ロキソニン.Jrさんは“対抗心”といっているのですが、私はここにこの人の投射現象をみます。
ある医学事典に投射とは「不安を回避する手段とし て、自己に属する特質や態度を他者に帰する心的機制をいう」とあります。
平たく言えば自分が感じることを相手が感じているように思うことです。
ロキソニン.Jrさんは私が対抗心を持っていることにしてこれを理解しようとするのです。
こう書くと私がロキソニン.Jrさんを責めていると思うかもしれませんが、私の意図は別にあります。

投射がある・ないというのはそう単純なことではないのです。
このような感覚がある程度強いと投射といわれ、それ以下だとないといわれるのです。
極端に弱いとまた別の表現がされます。
ちょうど水が 100℃を超えると水蒸気になり、0℃以下であると氷と呼ばれる状態になるようにです。
水には何か特異な物を感じない人も氷や水蒸気では特異なものを感じることがあります。
心の現象もこの例と同じです。
水は温度により存在が変わり、質が変わったら氷や水蒸気に名前まで変わります。
しかし一連のものです。

投射もまた同じです。
投射は人が潜在的に持っている感覚です。
それが極端に弱いと「人の気持ちがわからない」ことにつながります。
強いと自分に生じ ることは自動的に周囲の人にも生じるとしてしまうのです。
このとき投射現象になります。
ロキソニン.Jrさんはそれを通して私の中に潜在的に“対抗心”が あると読み取ったのかもしれません。
少なくとも私はこの件について、対抗心を燃やしている意識はありません。
しかし、これまでの引きこもりの当事者たちとの関わりの中では、私が意識ないことを彼ら彼女らは意識でき、そのことで私が彼ら彼女らから教えてもらったことはずいぶん多くあります。
だから今回の対抗心もいまは意識はしていないけれども、私は単純に「ない」とすます気もありません。
経過観察としておきましょう。

引きこもりになる人は感覚や感情の偏りがより強く(両極端に現れやすい)、不便なことがある一方、並の人がとらえられないものをつかみとってしまう能力・才能もあるのです。
自分の状態を否定的に見るのではなくこの面を生かしてほしいものです。
私は生物学者ではないし、医学者でもありません。
しかし引きこもりの経験者に囲まれて生活を続けるなかで観察できたことや感情の交流から見えることも多く、判断できるようになったこともあります。
特に「両極端に現れやすい」感覚・感情の現象にときおり遭遇し、普通の人は表現しないけれども人間が潜在 的にもっている要素を彼ら彼女らは濃縮して示しているように見えます。
その両極端現象の一部が対人関係づくりを難しくする原因になっていることもありま す。
私はそれらを記録し、発表もしました。引きこもりの当事者にかかわるときに役に立つことも多くあります。
生物学者がこのような事情をどう評価しているのかは勉強不足で知りません。
私は進化論に関心があり、私がみていることは進化論のあれこれと波長が合うので両者を結び付けやすいのです。
ロキソニン.Jrさん、この程度のことは生物学者うんぬん抜きで考えてもいいのではないですか。
無意識に生物学者に任せているはずです。

(3)道徳心に関連して

次は、“「道徳心売るほどあります」と触れ回っている人も 「マネーゲームに熱中している連中」と同じように、いや「ある意味でよっぽど怖くてタチが悪い」”という点。
これはこのコメントの範囲では私に向けられたことばになると理解するしかないのですが、その論が当たっていても私には何もできません。
ことばの意味に機軸 がなく、へたをすると道徳心がないほうがより道徳的(?)という主張になりかねません。

私にとっての機軸は「自分 にできることをする」というもので、これは「自分にできないことはしない」ともなります。
その不十分さを指摘されても何をどうすべきかはわかりません。
ロキソニン.Jrさんの道徳心に沿ったものが何なのかいまは全くわかりません。
それでもいつか何かがわかるかもしれません。そのときはそうするはずです。

しかし、一つ提案をしておきます。
『ひきこもりー当事者と家族の出口』(子どもの未来社、2006年)というのは私の著作ですが、その本の帯に「無意識の、善意の、執拗な愛の嵐のなかで呻吟する子ども・若者たち」とあります。
本文中のことばを引用したものです。
親たちの思い込みによる愛が子どもの自然な成長を押しとどめる事態をさしたものです。
むろんロキソニン.Jrさんのいう道徳心とは違うでしょう。
しかし親たちの一方的な押し付け的な愛が引きこもりの背景にあるとき、その愛はどんな愛なのか、その偏りと子どもの成長への影響を示しました。

ロキソニン.Jrさんも〝道徳心〟が何かの障害や 不穏な事態を引き起こしていると考えるのならば、一方的に断言してそのあとは姿を隠すのではなく、その障害の実例、その理解の仕方や対応方法を具体的にあげてみてはどうでしょうか。
特に常識的にはよいことと通用している“道徳心”を覆し、事実や真理と思えるものを提示するときにはそうしたほうがいいです。
そうすればもう少し事態ははっきりするでしょう。
何かの機軸らしきものが浮かんでくるでしょう。
実例や事実を丁寧に提示しコメントして欲しいです。

(4)アスペルガー状態であること

さてロキソニン.Jrさんがアスペルがー気質・症候群なのかどうか、これはわかりません。
該当すればその程度と状態を自分なりに理解し、対応方法を 自分でつかみとってください。
直すのではなく成長することで対応できるというのが私の考えです。
それも20歳を越え、30歳を越えると難しくなることは私が言わなくても知っていることでしょう。

先天的な気質は〝直す〟対象になりません。
対人関係を通して後天的な成 長を図るというのが教育学的な方法です。
その部分が遅れているという意味で〝発達障害〟という表現が生まれているのです。
特別な道はありません。
地道に粘り強く諦めず、短期的な成果だけを求めないで欲しいです。
力を抜き、しかし歩みは止めないで‥‥。

アスペルガー症候群においてははっきりしないところもありますが、引きこもりから抜け出す人には反抗的になったり、退行的になることはよくあることです。
もしかしたらロキソニン.Jrさんもこれに当たるかもしれません。
あくまでも一般的な可能性として留意していただければと思います。

該当者ではないときは、アスペルガー気質・症候群への理解を期待します。
人はさまざまであることを了解し、違いを否定的に考えないでほしいです。
感覚的・生理的に一緒にいられないときは離れてください。
引きこもり経験者の多くはそれを“拒否された”と鋭く(ときには過剰に)キャッチしますが、それは避けられないことです。
あからさまな毛嫌いを示さないでほしいのです。
最大限人間として尊重するとしても、そういう距離の置き方は認めてもいいと私は信じています。

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