カテゴリ:周辺ニュース
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目次 |
周辺ニュース
ページ名 文京区地域教育支援担当 東京都文京区 ()
第6回家庭教育講座
▼発達障害の「いま」と「これから」日
日時:11月6日(木)午前10時~11時30分(15分前から受付)
会場:アカデミー文京
内容:発達障害を正しく理解し、発達障害と診断された子どもとの接し方を具体的な事例を基に考える
講師:柏木理江氏(東京都発達障害者支援センター相談支援員)
対象:年中児~中学生を子育て中の区内在住・在勤者
定員:50人(先着順)
申込:当日直接会場へ
※保育[対象…2歳以上、定員…10人(申込順)]希望者は、10月30日(木)までに電話又はFAXに「記入例」3〜5(3は子ども分も、5は子どものみ)を明記し、下記へ
※手話通訳希望者は、10月21日(火)までに電話又はFAXに「記入例」3〜5を明記し、下記へ
問合せ:教育総務課地域教育支援担当
【電話】03-5803-1302【FAX】03-5803-1366
〔区報ぶんきょう 2025年10月10日号〕
周辺ニュース
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次回の投稿文です。まだ念入りにチェックしていませんが、仕上がったので送ります。
12月と1月に分けた場合の文章にしてあります。前半は3200字程、後半は3300字程です。
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ひきこもりに必要なのは、遊び (前半) みか
今回は「遊び(ここでは、健全な遊びを指します)」について、二回に分けて私的な意見をつらつらと書かせてもらいます。
ひきこもりは、不適切な育児や教育で精神的に大きな負担を抱えて動けなくなった人達が多いように見えます。では、何が子どもにとって大事なことかというと、愛を与えることと同じくらい「遊び」が必要だと考えます。 「神童」という言葉の意味は「才能の突出した子ども」らしいですが、昔の人は子ども達を「神童」と呼び、「子どもは神様だから、神様のやることには口出ししてはいけない」という話を聞いたことがあります。そんな言い伝えが本当にあったのか分かりませんが、一理あると思いました。子どもは遊びを通じて成長します。遊びの中に様々な学びが詰まっています。幼い頃ほど、好奇心から夢中になって遊びます。生きる力が爆発的に外に向かって溢れてくるのです。そんな大事な時期に、「走っちゃダメ」「大声を出しちゃダメ」「泣かないで」とあれこれ抑え込む場面が増え、「これをしなさい」「急いで」と、子どもがやりたがっていることも、子ども自身のペースも無理やり変える場面が増えました。アメリカだと、子どもが部屋の壁一面に落書きをしても、「私の子の芸術作品よ!」と自慢する人がいますが、(アメリカはDIYで壁紙の張り替えという生活スタイルの違いがあるとはいえ)日本ではあり得ないことです。日本の子どもの踊りは、皆動きがそろっていて美しいけれど個性や伸びやかさがない、と外国人は指摘します。現代の日本は子どもを型にはめる教育で、皆同じ考えで同じ行動をさせたり、周囲に迷惑をかけずに生きるという、大人と同じようなふるまいをさせて、主体性を奪います。子どもは、本当は自分の成長に必要なことは何なのか本能的に分かっているのですが、それができないまま大人になってしまった「生きる力が乏しい人」が増えてきたと感じます。 不登校児でも修学旅行は参加したり、ひきこもりでも趣味などの好きなことでは外出できます。なぜかというと、それは「遊び」だからです。私は、不登校児やひきこもりの「遊び」は、一般人の「遊び」とは違う意味があると考えます。一般人の遊びは、気晴らしや楽しみのためにやることですが、心が弱っている不登校児やひきこもりの遊びは、幼児期の遊びと同じように、生きる力を発揮させるためだと感じます。「生きる力を引き出していくには遊びが必要だ」と、無意識のうちに感じ取っているように思えるのです。
父は、私のうつが悪化して不登校になってから、ひと月に1~2回のペースで家族と一緒に私を外へ連れ出しました。うつで意識がはっきりしていないのであまり記憶にありませんが、遊園地のようなところや山登りに行かされました。私はぼんやりした状態で、言われたままについて行っていました。山登りは何度も行かされて、回数が増えていくほど意識がはっきりしてきたのを覚えています。ただ歩くだけでなく、周囲を見渡すようになり、何度も歩いてきた道を覚え始め、目的地に着いたら達成感を覚えるようになり、最後には帰り道で父にあれこれお喋りをするくらい元気になっていました。私のうつは診察と薬の効果もあったと思いますが、父は、自然の中に連れていけば、元気を失った子どもは回復すると考えていたようです。父の子どもの頃は、リフトもない冬の裏山のただの斜面でスキーを楽しんでいたと言っていましたし、私達家族を連れて行った山も、何度も父が一人で行っていた山みちでした。父自身、自然の中で元気をもらっていたのかもしれません。 父もそうですが母も遊ぶことが好きでした。父は一つのことに集中して取り組むことが好きで、母はお祭りや催し物を見ることが好きでした。父は休日にはいつも一人で遊んでいて、母は時間があればどこかへ出かけていました。私は不登校から半年でかなり回復したものの、その後も将来への不安や治りきっていないうつで苦しんでいたので、そんな私の苦しみを無視して二人ともそれぞれ何かに夢中になって楽しんでいることが許せず、余計に苦しみが増しました。ひきこもり支援ではその頃から「親はもっと楽しんで。遊んで」と発信していて、私はずっとそれを恨んでいました。「親は遊んでばかりいないで、子どもを心配しなさい」と言うべきだと思ったのです。子どもの苦しみや存在を無視して父も母も遊び回るというのは珍しいということは、ずっと後になってから知ったことです。けれど、その親の遊び好きが後々いい影響を与えることになりました。 10歳前から続いている夏に一度の海水浴の家族旅行は、20歳頃まで継続されました。山登りに連れて行ってもらえなくなってから、冬に一度の家族のスキー旅行が加わりました。ですので、一年中外へ出ないでひきこもる年はありませんでした。私は昼夜逆転でしたが、旅行の時は一時間だけの睡眠や寝ないまま出たり、一週間前から起きる時間を調節したりして何とか早く出て、旅先では一日三食の食事をみんなと一緒にとりました。海水浴ではビーチで昼寝ができましたが、スキーは昼過ぎに一人で部屋に戻って寝ました。昼夜逆転を旅行の時だけ無理やり昼型にして、どちらも二泊三日でハードでしたが、「楽しみたい!」という意地で限界まで挑戦していたのです。楽しみたいという思いは、人をここまで行動させるものです。 父は「やりたいことをやれ」と言う人でした。好きなようにしろと、背中を押してくるのです。「やりたいことって何?」と自問自答をくり返しながら、色々挑戦していきました。屋内での挑戦も沢山ありましたが、親からの誘いや私からの希望で、出かけることも多かったのです。お祭りや催し物を見に行き、レジャープールやアスレチックや遊園地、動物園と水族館、映画館や博物館や美術館、演劇や音楽会、近所の公園から国立公園、植物園、ミュージアムやテーマパーク、神社やお寺、国内旅行や海外旅行、その他色々と出かけました。料理も、6ヶ国以上の各種専門店や創作料理、ベーカリーや食べ放題など、覚えていないほど色々なものを食べてきました。宿泊も、高級ホテルや一般的なホテルやビジネスホテル、ペンションや旅館や民宿、キャンプでのロッジやコテージ、大きめのテントや小さいテント、色んな所で泊まってきました。これらは家族と一緒だったり、父とだけや母とだけだったり、自治会の旅行だったり、おばあちゃんも一緒の旅行だったり、友達と一緒や一人で出かけたりと様々です。これだけ遊び回ってきたわけですが、これらが素直に楽しかったと言えないのは、私が必死だったからです。
私は今でもそうですが、ひきこもりになるくらいなのでスポーツも好きな方ではなく、外で遊び回りたいタイプではありません。お先真っ暗で恐怖しかない人生で、遊べるような精神的余裕はありませんでした。いずれ死ななければならないという死刑囚のような精神状態なので恐怖によって動けなくなり、とても面白そうな遊びを断ることもありましたし、行けたとしても旅先では夜、不安に駆られて眠れないこともありました。安定した生活を築けている一般人のレジャーとは違うのです。それでも、恐怖や不安を振り払って、またはヤケになって、あるいはその恐怖をむしろ原動力にして遊び続けました。私には遊びが必要だと感じていましたし、好奇心があったのです。行ってみたい、やってみたい、食べてみたい、そんな気持ちが重い腰を上げさせました。それに、母は毒親らしく「一緒に行かなくていいの? お母さん達だけで行ってきちゃうわよ、いいの!? もう二度と行かないかもしれないわよ! いいのっ!!」と次第に怒り出すのです。私が嫌がることをいつもこんな風に脅して追い詰めるのですが、遊びに関してだけはそれがいい効果を発揮しました。そして一緒に行って楽しんでいると、「ほら、来てよかったでしょ? 楽しいでしょっ!!」と母が喜ぶのでした。
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ここから後半です。
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ひきこもりに必要なのは、遊び (後半) みか
あけましておめでとうございます。 今年も書ける範囲で書いていこうと思いますので、不定期になるかもしれませんが、今年もよろしくお願いします。今回は前回からの続きです。
日々の生活の昼夜逆転を昼型に変えたきっかけも「遊び」でした。ひきこもりはみんな昼夜逆転だと思っていたのに、そこの当事者の会ではみんな昼間に出てきているのです。そのため、催し物も昼からのものがありました。私が夜中に起きていたのは、自分の世界に没頭して絵(イラスト)を描くことが一番の理由でしたが、しだいに描けなくなっていました。それに、いつか昼間に活動してみたいという思いもあったので、当事者の会の催し物をきっかけに昼型に挑戦しました。心身ともに過酷な挑戦でしたが、懸念も的中し、母が私の足を引っ張ってじゃましてきました。「起きてるんならこれをして!」「やらないなら、みかにはこれをしてあげない!」などといちいち突っかかってくるのです。いくら昼型に変えることの苦しさやしんどさを説明しても聞く耳を持ちません。そんなヒステリックな母と対立しながらも、乗り越えて昼型になりました。それによって活動の幅が広がりました。描けなくなることを覚悟していた絵も、昼間でも大丈夫でした。 私は20歳頃から、1年に一度は美術館へ行くと決めていました。昼夜逆転の頃は頑張って起きて美術館を15時頃から1時間回れればいい方でしたが、昼型になってから、ついに開館前から並ぶことができ、企画展も常設展もアートショップも回って、昼食の自前のお弁当を食べられたのは16時になったことがありました。それでも帰りには食材店などに寄って、帰宅が遅くなるほど長時間の外出体験を果たすことができ、やりきったという達成感を得ることができました。 私も初めの頃は周囲の目を気にして、「おならがでちゃうかも」「顔のできものが気になる」「頭皮の少し禿げてるところが嫌だ」(禿はストレスから髪を引っ張るクセによるものです)と神経質になり、萎縮して外出を嫌がっていた頃もありましたが、母はそれを聞くたびに「みんなそんなところ見てないわよぉ…」と呆れ返り、「みんな人のことなんて気にしてないわよ! 行こ行こ!」と急き立てました。緊張するほどおならが出ましたし、長いこと苦しみましたが、動き回るほど治まってきましたし、母の言う通り、周囲は私のことなど気にしていなかったのです。そして今では、自分のことより他へ関心が向かうようになりました。
その後訪れる母の病気の二週間に一度の通院日、4時過ぎ起きで自分の食事を終えて準備をし、母を起こしておむつ交換をし、食事をさせてからヘルパーさんに着替えなどの手伝いをお願いし、車椅子を押して駅まで走り、電車を乗り継ぎながら予定の時間までに大きな病院に到着し、広い院内を車椅子で移動しながら二つの病気の検査と診察と治療を受けさせ、その最中にもおむつ交換と食事の世話をして、帰りも大変な思いで帰宅し、介護ベッド上の母の手を洗い顔を拭き歯を磨いてあげておむつ交換をし、私のことも済ませて眠ることができたのは夜中の12時前で、それが時には雨の中での通院で、そして翌日からはまた7時起きで8時には母を起こして1日7回のおむつ交換やその他の介護の日々、というハードスケジュールも、「遊び」の積み重ねによってこなせるようになったのです。
遊びが人を動かし、遊びが人を変え、遊びが人を成長させます。実体験によってそれを実感し、ひきこもりには遊びが必要だと確信しました。ひきこもり支援の様子を政治家が視察し、「遊んでいるように見える」と訝(いぶか)ったようですが、むしろ、遊んでいるようにしか見えないことこそ、支援が成功している証ではないでしょうか。生きる力を取り戻す「遊び」を良しとせず、勉学や仕事だけを要求してひきこもらせたままというのは、愚かなことだと思えるのです。ひきこもりは人間の自然な姿への回帰を望んでいると感じます。生きる力には抑えがたいエネルギーがあります。それを解放することによって、自分の思うままに行動できるようになるのです。 ネット上の記事やコメントをそのまま載せたかったのですが著作権があるようなので少しだけ書きます。父親が心療内科でひきこもりの息子について相談した時、「息子さんと『ゼルダの伝説』をやりなさい」とアドバイスされたという記事がありました。それは二人で協力してできる有名なゲームソフトの名前ですが、要するに、「息子と一緒に楽しんで」ということです。楽しめることはもちろん、協力し合える関係性をゲームの中で築けることも大きな利点ですが、多くの親子では子どもの方がゲームの腕は上のはずで、そんな子どもからの命令や説教による親子関係の立場逆転は、関係回復にさらに効果がありそうです。「なかなか気の利いたことを言うなぁ」と感じました。また、別のコメントでは、若いひきこもり男性を山の自然の中で思い切り遊ばせたら本人の気が済んだようで、「仕事がしたくなった」と言ったそうです。それが自然なことだと感じました。「ひきこもりは遊ばせなきゃダメ」というその人の意見には同感です。「遊び」の後に「仕事」がくるのです。ひきこもりは「仕事ができない人」以前の、「遊びを知らない人」だからです。
遊びでは、好奇心によって、情報収集力、分析力、思考力、対話力、気力体力、計画性、積極性、決断力、実行力、臨機応変な対応力など、様々な能力を無意識に発揮させていきます。慣れてくれば、コストパフォーマンス(費用対効果)やタイムパフォーマンス(時間対効果)も考えるようになるでしょう。そうやって、自分の力で活動できる主体性が身についてくるのです。これらは仕事でも生活の上でも求められるものですが、遊びを通じてなら苦痛を感じずに身につけやすいのです。「そんなこと、普通はできる」という人は、子ども時代に遊びを通じていつの間にか身につけた人だからだと思います。けれど、それらの能力一つ一つの発揮が難しく苦手なひきこもりにとっては、その「遊び」からやり直さなければならないのです。遊びでは、自己肯定感や成功体験といったひきこもりに必要とされている課題を考えなくても、自然と色んなことが、ほどほどにまんべんなく身につきますし、自分の欠点や弱みのあれこれがどうでもよくなり、とらわれなくなっていきます。そして、遊びの中でならヘマばかりしても楽しく、そんな自分の欠落や失敗を克服することにワクワクするほどになり、それが人を強くさせるのです。 ではなぜ、遊んでいるように見えるひきこもりがいつまでたっても同じ状態のままなのでしょうか。私が考えるには、そういう人達は、後ろめたさから何かに依存的に惰性で続けてしまっているか、中途半端なやり方をしているように見えます。大事なのは、本気でやりたいことや夢中になれること、真剣にやれるものを見つけることです。そして、やる気が起きずに停滞したら新しいことにも挑戦してみることです。何が自分に向いているかは、探して試してみないと分かりません。そんな模索や遊びに親が疑念を抱いたり、本人が遊びに対する罪悪感を抱えていると、本気を出せずにいつまでたっても満足できず、結果も出せず、挑戦も億劫になります。そもそも不安や恐怖を抱えているひきこもりなのですから、むしろそれを乗り越えて頑張って遊ばなければならないというのに、足を引っ張る余計な要因が周囲に沢山あるように思えます。仕事をしていない人が楽しく遊ぶことなど許されない世の中になってしまっているからです。そんな社会の中で、親こそ遊びを応援して背中を押してあげてほしいのです。ひきこもりにはどんなことも強要すべきでなく、効果もありませんが、遊びに関してだけは、「めいっぱい、楽しめ」と、なかば強制的になってもいいのです。それでも動けないほど精神的に苦しかったり体調が悪ければ、その時こそ受診やカウンセリングを考えればいいのだと思います。 ひきこもりの人は今年は全力で遊んでみてください。私の父の「やりたいことをやれ」という言葉を贈ります。きっと、年末には少し世界が開けていることでしょう。
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感想をください。松田さんの自論ではなく、第一印象や分かりづらい部分、変な表現になっている文章等の感想や指摘を、時間をかけずに送ってください。問題点が見つかったら、書き直すのにも時間が必要です。12月号に間に合わせるのなら、どんなでも1週間以内にお願いします。それを超えたら投稿を1ヶ月ずらします。 本当は後半を1ヶ月も待たせてまで読んでもらうような内容ではないので、一気に最後まで読んでしまってほしい文章なのですが、6500字は長過ぎですね。 また、文章を修正した場合、いつものように後から修正文を送ります。 よろしくお願いします。
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