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オリィ研究所

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2019年9月25日 (水) 15:30時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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周辺ニュース

ページ名オリィ研究所、()
カタツムリの研究から始まった、孤独を救う「分身ロボット」誕生秘話 #30UNDER30
オリィ研究所の共同創業者・結城明姫は、「世界を変える30歳未満」として日本を代表するビジョンや才能の持ち主を30人選出する「30 UNDER 30 JAPAN 2019」のサイエンス部門で選出された。
結城が共同創業者でCOOを務めるオリィ研究所は、人類から「孤独」をなくすことを目的としている。
孤独をなくす? どうやって? 誰しもそう思うだろう。
結城が「孤独」という問題に取り組む理由に迫ってみよう。
オリィ研究所が開発したのは分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」である。
メディアでも度々紹介されているからご存知の方も少なくないはず。
結城が、会議室の机に置いた小型のOriHimeを見ながら、こんな話をする。
「利用者は、OriHimeを遠隔操作するときの感覚を、『憑依する』『パイロットとして中に入る』と形容してくれます」
「憑依する」感覚になるのは、深い没入感が得られるからで、能面のような顔にヒントがある。
まず、OriHimeの仕組みはこうだ。
OriHimeは「分身」型のロボットである。
例えば、あなたが病院に入院していると考えてみてほしい。
見えるのは窓の外の風景のみ。車椅子で院内を移動することはできるが、自由自在に動くことはできない。
そこで、「分身」であるOriHimeを「行きたい場所」に置いてもらう。
学校の教室、あるいは旅行者が外国に行く時に小型のOriHimeをリュックに入れて持っていってもいい。
OriHimeにはカメラとマイク、スピーカーが搭載されており、インターネットと接続することで、離れた場所にいる人とコミュニケーションができる。
憑依の感覚について、結城はこう言う。
「タブレットのような平面のモニターだと、他の場所を繋ぐための『窓』として受け取られます。
そのため、平面モニターに操作者の顔を映すロボットでは、操作者自身が人の輪に入っていくことが難しかったんです。
でも三次元の顔があって物体が目の前で動いていると、周りの人が触ったり気軽に声をかけたり、その場にいるような感覚でコミュニケーションができる。
現段階ではいまの形が最も人の輪に入りやすく、憑依する感覚を実現してくれます」
つまり、「コミュニケーションの距離感」を、能面のような顔のロボットにすることで縮めることができたのだ。学校の教室を見回しながら、友人が近寄ってきて、表情を近くで見ることができ、あたかも「その場にいる」ような感覚を体験できる。
「身近」を生み出すロボット
左下に映るロボットが「OriHime」
通信技術の発達で、国境を超えた伝達は簡単になったが、「その場にいるような感覚」をもたらしたのは画期的だろう。
「身近」をつくりだしたのだ。
OriHimeはもともとは病気や身体障害、高齢などが要因で移動制約を抱える人々の「分身」として開発された。
サイズや形態は用途によって異なり、リモートワークやテレワークに最適化された机におけるほどの小型サイズから約1mほどのものまである。
現在、月額レンタル制で展開されている。
しかし、なぜ若い結城が「分身」で「孤独」の解決を目指したのか?
実はその背景に、彼女自身の挫折がある。
“ソクラテスの問答”を仕掛ける父親
結城は数々の科学コンテストの賞を総なめした「天才少女」だった。
小学生の頃に取り組んだのが、カタツムリの研究だ。
「とにかく可愛くて」と見た目から好きになったカタツムリを観察しているとき、ピーマンを与えたときに糞が緑色になることへ疑問を抱いた。
物理学の教授だった母親は「じゃあ一緒に実験しようか」と、科学的実験の初歩を教えた。
「科学コンテストで賞をもらって褒められる成功体験を味わってから、調べることや観察自体が好きになりましたね」
さらに現在の結城を形成した要素として、両親の存在は欠かせない。
思考の癖に関しては宗教哲学者だった父親の影響が大きいという。
「物心がついたときからそうでした」と苦笑いしながら結城は振り返る。
「『今日は砂遊びをしたい』と言うと『なんで?』と必ず聞かれました。
『お友達と遊んで楽しかったから』と答えると『なんで?』と、ソクラテスの問答のように、本質に辿りつくまで詰められるんです。
でも研究とは『なんで?』を解き明かすことの連続。
いつしか研究への抵抗感がなくなって、楽しいと感じるようになりました」
あらゆるものが彼女の研究対象となった。
海辺に落ちているガラス片の色を落ちている場所ごとに比較したり、庭に突然生えたタンポポの奇形を観察したり。
小学校、中学校に進学後も、好奇心は尽きるどころか研究はより本格化した。
病を機に「もうひとつの体」を求めるように
なかでも結城が強い関心を持ったのは、水だ。
蛇口から流れる水の中に空気の柱が見えることに疑問を抱き、高校1年生から流体力学の研究を始める。
その結果を発表した「高校生科学技術チャンレジ(JSEC)」で文部科学大臣賞を受賞。
さらにJSEC入賞者の中から選抜された結城は、アメリカで開催される世界最大級の科学コンテスト「インテル国際学生科学技術フェア(ISEF)」の出場資格を得た。
心待ちにしていたISEF参加だったが、出場は叶わなかった。突如、結核を患ったからだ。
結城は入院と療養で約半年もの間、家から外に出られなくなった。
ISEFに行けないことは悔しかったが、それ以上に辛かったのが孤独だった。
「狭い世界に閉じ込められている感覚でした」と彼女は振り返る。
「学校に通えない、家族と旅行に行けない、会いたい人と会えない。
病室の窓からは四季の移り変わりも感じられませんでした。
精神的には元気だったので、『身体がもうひとつあったら』と強く願うようになったんです」
結核が完治した高校2年生のときにJSECへ再び出場。
グランドアワード優秀賞を受賞しISEFに参加することになった。
このときに、共同創業者である吉藤健太朗との交流が深まった。
ALS患者の存在意義を生む
07年、吉藤の発案から、人の孤独を解消するロボット『OriHime』の原型となるアイデアが生まれる。
かつて不登校の経験をもつ吉藤は、高校時代にはジャイロセンサによって傾きを感知し補正する車椅子を開発した異才だ。
不登校時代に「人との関わりによって救われた」という原体験をもつ吉藤と、闘病時に孤独を味わった経験のある結城は意気投合。
「孤独の解消」という理念に共感した。
発案から3年後の10年にOriHimeの初号機が完成。
創業メンバーはみな一般企業での勤務経験もなく、ビジネスについてはド素人。
当初はNPO化してやっていくのはどうかという議論もあった。
しかし、翌年の11年にビジネスの方向に舵を切ることを選択した。
「OriHimeのサービスを持続的に、かつより多くの方々に提供するには、組織化してビジネスとして続けていくことが必要だと考えました」
ビジネスとして持続性を持たせるために、吉藤と結城の最適な役割分担は自然と決まった。
「エンジニアというより、発明家です」という吉藤がアイデアを「発散」し、結城は現実的にどうすれば形になるかを考える。
彼女の役割は、ビジネスサイドと接点をつくる役割だ。
当初ビジネスの経験がなかった創業者たちは、経験ある新たな社員、理想に共感してくれる協力者からフィードバックを募ることにより、資金難を乗り越え、OriHimeの認知を着々と広めた。
「利用者さんの忘れられない話があるんです」と結城は言う。
あるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者がいた。
妻と2人の小学生の娘がいるが、入院生活で家に帰ることができず、病気の進行によって体が自由に動かくなる。
家族へ迷惑をかけてばかりいると感じる彼は「生き続けるかどうか」非常に悩んでいた。
そんなときOriHimeと出会い、希望を見出したという。
「『やっぱり、父親のいない子ども達にしたくない』と強く思うようになったとおっしゃっていました。
OriHimeを家に置いて利用することで、子ども達とのおままごと遊びを一緒にできたり、勉強を教えられたりできるんだ、と嬉しそうに言ってくれて。
そして『家庭の中に、父親としての価値がちゃんと存在するんだと思えるようになった』と言ってくださいました。
本当に感動したことを覚えています」
OriHimeは孤独を解消するだけでなく、利用者の存在意義にも光を当てる。
そして今後、OriHimeをはじめとしたコミュニケーションテクノロジーを海外にも広げたいと語る。
「身体的、精神的、距離的障害の問題は人類共通の悩みです。
本人の意思と関係なく社会参加ができないために、孤独を感じている人は世界中にいます。
OriHimeは、彼ら、彼女らが“望む場”に入れるテクノロジーであり続けたいです」
ゆうき・あき◎国際基督教大学教養学部卒業。
高校時代に流体力学の研究を行い、2006年の高校生科学技術チャレンジで文部科学大臣賞、YKK特別賞をダブル受賞。
インテル国際学生科学技術フェア(ISEF)出場を目前に結核に倒れ長期入院を経験するが、翌年再出場しグランドアワード優秀賞に。
12年、吉藤健太朗、椎葉嘉文とともにオリィ研究所を設立。
〔2019年9/6(金) Forbes JAPAN Forbes JAPAN 編集部〕

周辺ニュース

ページ名オリィ研究所、(障害者のニュース、就業のニュース、
体の自由を失ってわかる仕事の価値「働きたいし、働ける障害者はいる」
吉藤オリィさん提供。
障害を持ちながら会社などで働く人は年々、増えています。
2018年には過去最高の約53万人になりました。
広がりつつある障害者の雇用ですが、未だに当事者外からは「働かなくていいのにどうして働くのか」といった意見があり、当事者からも雇用の先にある働きがいへの関心が高まっています。
れいわ新選組の二人の新人参院議員--重度身体障害のある木村英子議員と難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者である舩後靖彦議員の当選により「身体障害を持つ人の就労」が大きな話題を集め、身体障害者の就労をテクノロジーで支援する新しい試みも生まれている今、当事者の想いから考えます。
就活中に突然の難病「わけのわからない病気に…」
国が障害者の雇用数を水増ししていた問題が発覚したのが2018年。
これを受け、先の通常国会では、国の責任を明確にし再発防止策が盛り込まれた改正障害者雇用促進法が全会一致で成立しました。
この障害者雇用促進法では、もともと障害者差別の禁止と、障害者が働く場合には個々の障害に応じた措置を取る「合理的配慮の提供」が義務づけられています。
しかしこの「合理的配慮」の実効性について、当事者からは戸惑いの声も聞かれます。
現在34歳の村田望さんは、大学3年のときに「自己貪食空胞性ミオパチー」という難病を発症しました。
国内の患者数は100人未満の極めて珍しい病気で、原因は不明。
徐々に体の筋肉が動かなくなっていきます。治療法も未確立です。
病気が発覚したのは、ちょうど就職活動中の時期。
当時は「そんなに働きたいとは思っていなかった」と笑います。
しかし、実際に働き始めてみると、厳しい現実が待っていました。
「急に『わけのわからない病気になってしまったな』というのが正直なところで。
内定をもらったIT企業は辞退して、大学卒業後しばらくは経過観察をしながら、好きだった接客業などのアルバイトをしていました。
26歳のときに障害者手帳を取得して、障害者枠で仕事を探し始めて。
でも、そうすると接客のような求人はほとんどない。事務の仕事がメインでした」
働かないのは「後ろめたい」「胸を張りたい」
車いすに乗る前は、電車で通勤していた時期もある村田さん。
そうすると、見た目上は障害の有無がわからない。
同僚に「本当に病気なの?」という言葉を投げかけられたこともあるそうです。
一方で「実際に仕事をしようとすると、腫れ物に触るような扱いになってしまって。
『どんな仕事をさせていいかわからない』と言われました」
「障害者枠がある会社だからといって、障害者への理解があるとは限らないんですよね」(村田さん)。
「自分のできること、できないこと」リストを作成し、提出するなど工夫をしてみたが、受け入れ側の体制は整わず、しばらくして辞めることに。
また、車いすに乗るようになってから勤めた別の会社では、会社が多目的トイレのないビルに引っ越すことになり、このときも辞めざるを得なくなってしまいました。
「私の病気は進行していくものなんですね。できることは日々、どんどん少なくなっていきます。
今は車いすから体を移すような場面では見守りが必要だし、家事も家族やヘルパーさんの手伝いがないとできません。
今はパソコンで、リモートでできる仕事がメインになります。
そうすると、平日は外に出る機会がなくなる。顔を合わせるのは家族やヘルパーさんだけで、社会との接点をどんどん失ってしまうんです」
村田さんは「できることが減っていくのに伴って、自分の中で“働く”ことの価値が上がっていきました」
「働くことは、寝たきりになっても自分で自分のことができる唯一のことだから、働き続けたいです」と言います。
「それこそ、障害者として仕事をしないで生活するのは、ある意味で簡単です。
でも、みんなが働いている社会で働けないというのは、すごく後ろめたいので……。私は働きたいし、働けます。
自分にはできることがある、人の役に立てると胸を張っていたいです」
「生まれて初めての仕事」がロボットにより実現
そんな村田さん、実は今、また接客の仕事に挑戦しようとしています。
それは村田さんが現在、秘書としてリモート勤務をするオリィ研究所主催の『分身ロボットカフェ』。
病気や障害で身体に不自由がある人たちが“パイロット”として、同研究所が開発する分身(人型)ロボット『OriHime-D』を操縦して接客をする、新しい試みです。
20018年に第一弾を開催、10日間(1日4時間)の開催期間で約1000人の来店がありました。
パイロットは村田さんを含む10人で、寝たきりの重度身体障害者や、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という運動機能が衰える難病患者など、通常の方法では就労が困難な人たち。
中には接客業や、仕事、つまり働いて対価を得ること自体が、生まれて初めての人もいました。
記者が取材したパイロットたちは、後にこんな感想を残しています。
“自分が接客ができるなんて、人生で一度も考えたことがありませんでした。
今はそれが嘘のように毎日たくさんのお客さまと出会い、やりがいと充実感でいっぱい!
自分には何もできないと思ってた高校生の時の自分に教えてあげたい… 明日からも楽しみです! - @fukomalu ”
“ALSになり、自由が奪われていく中で娘にも、手助けしてもらう事が増え、母親らしいことをしてあげられないと悔しい思いでいました。
このカフェで、働いたお給料で、私から娘へプレゼントしたいと思っています。
まだまだ母親として世話をやきたいのです。 - @mikarinnomahou ”
記者もこのカフェを体験しました。
カフェの席につくと、パイロットの操縦するOriHime-Dが「ウィーン」と音を立てながら、注文を取りに来てくれます。
注文を聞き、バックヤードに戻るOriHIme-D。生身のスタッフがOriHIme-Dの持つトレイにコーヒーを置くと、それをまた「ウィーン」とテーブルまで届けてくれました。
内蔵されたカメラとマイクで、パイロットと会話も可能です。
村田さんは第一弾の開催を「身体障害がある人の働く可能性が広がった」と振り返ります。
「これまで身体障害者の雇用には事務職が多く、接客はまずありませんでした。
私自身、接客が好きなこともあり、『身体障害者に接客はできないもの』という固定概念を打破したいとずっと思っていて。
当事者からすると、障害があるからと言って、仕事の幅を狭めないでほしいという想いがあります。
そういう壁をポジティブに越えていけるプロジェクトだったのではないでしょうか」
「テクノロジー」は「福祉」?
このプロジェクトを主導するのは、同研究所所長の吉藤オリィさん。
分身ロボット『OriHIme』シリーズの他にも、「目の動きで操作する車いす」など、さまざまな発明を世に送り出しています。
そんなオリィさんは現在、第二弾の実施を計画中。
クラウドファンディングで募集した支援は目標額の300万円を大きく超え、半月で約650万円に到達しています。
これまでにも多数のクラウドファンディングを成功させており、その活動にファンが多いことも特徴です。
福祉の領域にテクノロジーを導入する事例はこれまでにもたくさんありました。
高性能な車いすや義手・義足、あるいは介護者の負担を軽減するロボットスーツなど……。
いずれも重要なテクノロジーの進化ですが、オリィさんの発明にはまた別の特徴が。
それは障害者や介護者それぞれで完結せず、分身ロボットカフェのように、社会と人をつなぐ機能を持っていること。
オリィさん自身、過去に不登校を経験し、社会から切り離されるつらさを実感したと言います。
「そんなとき、私が欲したのは役割でした」とオリィさん。
「何かしたいし、何かさせてほしい、そんな“孤独”を解消するためにOriHimeを開発したんです」――
こうして生まれたOriHimeは、実際に当事者の方々に社会との接点を生み出しています。
「私はよく『福祉機器を作る人』としてカテゴライズされるのですが、それはちょっと自分の意識とは違っていて。
やりたいことがあって、それをする上での障害がある。その障害を取り除けるものは、なんだって福祉機器的ですよね。
だって例えば人間は、洗濯機によって洗濯板を使わなくても洗濯ができるようになった。
手がない人にとっては、洗濯機だって福祉機器です。
道具や、テクノロジーそのものが、福祉機器的なんだと思います」
人が仕事で得る「金銭」以外の大事なもの
今回、第二弾を実施する背景には、今後この分身ロボットカフェを「常設する」という目標があるそうです。
オリィさんは経緯をこう説明します。
「好評だった前回は『寝たきりの人が分身ロボットを使って働く』というコンセプトが世間にどう受け止められるのか、働いている人たちは楽しいのか、というテストでもありました。
今回は、前回の来客者のアンケートや失敗を元に、今後このカフェを常設することを目標にした実験になります。
パイロットの人数を10人から25人に引き上げ、運用のマニュアルを確立するためのものです」
今年の開催は10月7日から23日の12日間。大手門タワー・JXビル1Fの『3×3 Lab Future』で実施されます。
注目度も増していますが、オリィさんの描く未来は「分身ロボットカフェを増やす」ことではないと言い切ります。
「『このカフェだから働ける』のではなく、『どこのカフェでも働ける』を目指しています。
ロボットだけのカフェではなく、生身の人間とロボットの店員が入り交じる。
身体障害があっても分身を使い、他の人に混ざって働くのが理想です。
前回はエンジニアが張り付いていましたが、徐々に手を放していく。
巣立っていってほしいと思っています」
たくさんの当事者との関わりがあるオリィさんは「働かなくていいのにどうして働くのか」という意見に対して「ニーズが違うのではないか」と答えます。
「私の親友で、OriHimeの開発パートナーの番田雄太は、子どもの頃に交通事故で脊椎を損傷し、20年以上、寝たきりで過ごしていました。
その番田とよく話していたのが『人は誰かに必要とされたい生き物だ』ということ。
そして、仕事は『誰かの役に立っている』ことを実感しやすい場です。
体が不自由になり、働けなくなった人は、この実感をも奪われてしまう。
単純に金銭的に保障されればいいということではありません」
「生きづらい」社会の価値観を相対化する場所
オリィさんは同様に顔の見えない「単純なリモートワーク」もこの実感を得にくいと指摘します。
その理由は「自己有用感や自己肯定感を得るための土台になるのは『コミュニティに所属している実感』」だから。
気の合うコミュニティに所属し、そこで役割を得て、頼られる存在になることで「自分は誰かの役に立っていると思える」
「『必要な人間じゃない』と思わなくなる」ようになる。
だからこそ、実際に村田さんがそうしているように、分身ロボットを使って働く意義は大きい、とオリィさん。
「分身ロボットの特徴は“もう一つの体”になり、離れた場所でコミュニケーションが取れること。
だからこそ、自信の基盤になるコミュニティへの所属が可能になります。
必ずしも自分がそこにいなくても、体が不自由でも、働きたいと思う人は分身ロボットで誰でも働き、誰かの役に立つ実感が得られる。
人間を人間化するこの実感を、テクノロジーによる就労支援で実現していきます」
「分身ロボットカフェ」は、障害者のためだけあるわけではありません。
「生きづらさ」が取り上げられることが多くなった現代社会。
障害者雇用の促進は、様々な理由で働けなかったり、社会からはじき出されてしまったりした人が生きやすい社会をつくる上で必要な大切な視点があることを気づかせてくれます。
コーヒーを運んできてくれるロボットの向こう側には、さまざまな事情を抱えた人がいる。
それは本来、生身の人間の店員でも、客である自分たちも、まったく同様です。
普段は意識せずにいる当たり前のことに気づかされる、分身ロボットカフェはそんな経験ができる場所です。
身体障害を持つ人たちの新しいコミュニティに触れることで、そうでない人たちは自分の価値観を相対化することができるでしょう。
世の中にはいろんな人がいて、自分もその一人であると再認識する――
その場を離れる頃には、自分の肩にのしかかっていた生きづらさの重圧が、少し軽くなっていることに気づくはずです。
〔2019年9/16(月) withnews(withnews編集部・朽木誠一郎)〕
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