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不登校

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==新聞メディアのニュース==
 
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ページ名[[不登校]]、、(不登校のニュース) <br>
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'''「明日の学校はムリかも」と迷っている人へ 中学3年生を丸ごと休んで得られた6つの結論'''<br>
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夏休み明けの前後は子どもの自殺が増える傾向があります(下図参照)。<br>
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すでに多くの記事で警鐘が鳴らされていますが、今年の夏休み中にも5件の子ども自殺がありました。<br>
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うち1件は始業式前日の中学生自殺です。<br>
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「自殺の危険性」とまではいかなくても、「子どもが『行かない』と言いだしたらどうしよう」と不安を感じている親や、「あしたの学校はムリかも」と迷っている学生は多いと思います。 <br>
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私は中学校2年生の冬から学校へ行っていません。<br>
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中学3年生は丸ごと学校を休み、その後も高校や大学などには通わず36歳になりました。<br>
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現在は、不登校当事者や識者に取材をして『不登校新聞』を発行する仕事をして暮らしています。<br>
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私も「学校へは行かなくてはいけない、行かないでどうする」と思っていましたが、今振り返ってみれば学校へ行かなかったからこそ得られたものがありました。<br>
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今日はその得られた結論をお伝えしたいと思っています。<br>
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前半の3つは学校へ通う人自身に知ってほしいこと、後半の3つは親や祖父母など周囲の人に知ってほしいことです。<br>
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'''不登校から得られた私の結論1'''<br>
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「1日も通わずに卒業ができる」<br>
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不登校後に一番驚いた事実は小・中学校は一日も通わずに卒業できるという事実です。<br>
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卒業は校長が判断するもので「不登校の人を卒業させたがらない校長のほうが問題になる」という事実には驚きました。<br>
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実際に私が取材したなかには「小学校の入学式だけ行ったが、小中ともに問題なく卒業できた」という人もいます。<br>
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さらに高校からは通信制高校というものがあり、月に1度から2度の登校で卒業できる学校もあります。<br>
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試験だけを受けて「高校卒業」と同程度の資格が得られる制度もあります。<br>
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大学も通信制大学が全国で43校もあり、いわゆるテスト競争をする「大学受験」はナシで入学できます。<br>
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私としては「じゃあ苦労して登校した日々はなんだったんだ」という思いしかありません。<br>
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'''不登校から得られた私の結論2'''<br>
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「不登校をする前が一番ヤバかった」<br>
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学校へ行けなくなったとき「これで人生が終わった」と私は思いました。<br>
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しかし、最大のピンチは不登校をした時点で乗り越えていました。<br>
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私の最大のピンチは学校へ通っていたときです。 <br>
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不登校になるまで私は「学校への不満は人並みだ」と思っていました。<br>
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クラスのなかには、いじめもあったし、理不尽な先生にも苦しめられました。<br>
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勉強にも強い重圧を感じていました。しかし、そんなことは「あたり前のこと」だと思っていました。 <br>
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ところが、その「あたり前」に苦しんでいました。<br>
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中学2年生の秋ごろから、学校へ行こうとすると、どうしようもなくムカつく、視界がグラグラと揺れるなど、自分では制御できない異変が起きていました。<br>
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もちろん、ストレスによるものです。 <br>
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不登校になる直前の冬はハッキリと「死にたくなる気持ち」が出てきました。<br>
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電車の踏切を見ていると、なんだか踏切に吸い込まれそうな感覚が湧いてくる。<br>
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踏切に近づくと、毎回のように「電車に跳ねられちゃったら人生が楽になるな」と思うようになっていました。<br>
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学校と距離をとってから異変や死にたい気持ちは薄れていきました。<br>
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当然ですが、苦しみの根拠から離れたから苦しくなくなっていったのです。 <br>
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不登校自体を懸念される人も多いですが「不登校をする前が一番ヤバい」というのが私の結論です。<br>
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'''不登校から得られた私の結論3'''<br>
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「ふつうの未来が待っている」<br>
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不登校をしたとき教頭先生から「大人になれないぞ」と言われました。<br>
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その一言に震えましたが、あれから22年、私を待っていたのは「ふつうの未来」でした。<br>
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「ふつうの未来」とは、苦労もするし楽しいこともある大人になったという未来です。<br>
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中学生の当時は想像ができなかった「仕事」もしています。<br>
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仕事はミスをして叱られながら覚えました。つまり「ふつうの覚え方」です。<br>
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私の職場には大学を出た同僚もいますが、ちがいは感じません。<br>
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日常もふつうです。大好きな人と結婚をしたり、ケンカをしたり、2000円もするパフェが食べられたり、メタボと医者から言われたりしています。<br>
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最近の日常の悩みはソシャゲの課金が止められないことです。 <br>
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「学校へ行けない自分はもう終わりだ」と中学生の私は固く信じていました。<br>
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しかし、終わったことはなにひとつありませんでした。<br>
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なんでもない日常がボチボチと続くだけです。<br>
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それは私だけでなく、多くの不登校の人の未来だったと取材を通して確信しています。<br>
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明日の学校を迷う人には、どうかそういう「先行事例」を信じて、いまの自分の気持ちに率直になってもらえればありがたいと思っています。<br>
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'''不登校から得られた私の結論4'''<br>
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「当事者はSOSは言葉にしません」<br>
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ここから先は、私が専門家や親に取材をしてきたなかで得られた「親や周囲の大人に知ってほしい結論」をお伝えします。 <br>
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まず、「学校へ行きたくない」という一言こそ、当事者が口にしたくない言葉だということです。<br>
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「不登校は悪」だと思っているからです。<br>
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不登校に関しては第三者が言動を見てSOSを判断するものだと思ってください。<br>
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子どもの言動を以前と比べて「できない」ことが増えてきたらSOSの兆しです。<br>
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具体的には「宿題ができない」「あまり食べられない」「朝、起きられない」「支度ができない」「笑わない」などです。<br>
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周囲は「死にたい」や「行きたくない」という言葉が出るぐらいなら考えようと思いがちですが、いったん子どもの言動を思い出してみてください。 <br>
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'''不登校から得られた私の結論5'''<br>
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「SOSは自分だけで受けとめない」<br>
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言動を見て「もしかして」と思ったら、子どものSOSは絶対に自分だけで受けとめないでください。 <br>
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親ならばわが子の不登校に対して冷静になることはできません。親だからこそ、子どもの将来を案じるがあまりに「子どもの現在」を無視して「ちょっとがんばろう」と追い詰めてしまうからです。
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親や周囲は子どものSOSを「第三者に繋げていく存在だ」といったん割り切って相談や情報収集を始めてください。<br>
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全国のフリースクールや不登校の親たちによる「親の会」があります。<br>
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『不登校新聞』などでも、たくさんの当事者の経験談が得られます。 <br>
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'''不登校から得られた私の結論6'''<br>
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「危ないと思ったら安全確保を第一に」<br>
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学校は命がけで通う場ではありません。命が脅かされるのならば「安全第一」が鉄則です。<br>
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本当に危険な場合は、子どもから嫌われても「学校を休ませる」「近い距離で見守る」など周囲による「ドクターストップ」もあり得ます。<br>
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大きな決断だと感じるかもしれません。<br>
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しかし、「学校は命がけで通う場ではない」という周囲の思いがあれば「本当に危険な状態にはなりづらい」というのも事実です。 <br>
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というのも、学校へ行くか行かないかで悩んでいる子は人並みに常識がある子です。<br>
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学校が苦しくてもがんばっている子は、ほかのこともがんばれる子です。<br>
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怠けている子でも、弱い子でもありません。 <br>
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本人のことを周囲が信じて「学校よりもあなたが大事だ」という思いが伝われば危険が回避できるからです。<br>
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以上が私の結論です。<br>
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「明日の登校はムリかも」と迷い始めたら、ぜひここに書いた6つの結論を思い出してもらいたいと思います。 <br>
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以下は不登校にくわしい団体の連絡先、そして学校が苦しいと思った人などが相談できる連絡先です。<br>
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■保護者や子どもの相談窓口 <br>
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「子どもの人権110番」(電話0120-007-110)<br>
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■不登校の相談窓口 <br>
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「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」(電話03-3906-5614)<br>
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■学校へ行っている子どもなどの相談窓口 <br>
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「チャイルドライン」0120-99-7777<br>
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〔2018年9/2(日)石井志昂 『不登校新聞』編集長、不登校経験者〕 <br>
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===[[:Category:周辺ニュース|周辺ニュース]]===
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ページ名[[不登校]]、、(不登校のニュース) <br>
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学校へ行けない理由
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'''魔の9月1日 車のハンドルをガードレールへ動かそうとした少女は…'''〈dot.〉<br>
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小6の秋、突然学校へ行けなくなったかすみさんの本心とは <br>
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子どもの自殺が増加する夏休み明け。内閣府調査によると過去42年間に自殺した子どもは1万8048人にのぼる。<br>
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最も多かった日付は9月1日だった。<br>
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「学校へ行きたくない」という思いを抱える子は、どんな思いでこの日を迎えるのだろうか。<br>
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不登校新聞編集長の石井志昂さんは、ある15歳の少女の手記を紹介する。<br>
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小学6年のときに不登校になった彼女はどうして親にさえSOSを出せなかったのか。<br>
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*  *  *<br>
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学校に向かう車の中で、事故に遭えば「学校を休める」とふと思いました。<br>
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母が持っていた車のハンドルをガードレールのほうへ動かそうとし、怖くなってやめたことがあります。<br>
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小学6年生の秋のことです。<br>
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小6の秋、私は突然、学校へ行けなくなりました。<br>
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学校へ行こうと思うと玄関で足が止まってしまったからです。<br>
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いまふり返っても学校へ行けない理由は私自身もわかりません。<br>
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友だちもいたし、行けば楽しいこともありました。<br>
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でも学校にいると息苦しくなり、帰ってくるとすごく疲れていて気が重くなりました。<br>
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学校へ行けなくなってからは「行きなさい」と言われることはすごくつらいことでしたが、それとともにイヤだったことがあります。<br>
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それは大好きな母親と、学校へ「行く」「行かない」を言い合うことでした。<br>
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私はずっと「学校へ行きたくない」という言葉を誰にも言うことができませんでした。<br>
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学校へ行けないことが悪いことだと思い、「行けない自分」になったことを自分で認めたくなかったからです。<br>
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また、「行きたくない」と言えば絶対に理由を聞かれます。<br>
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理由を答えられないのに、自分から「行きたくない」と言うことはできませんでした。<br>
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私がハッキリと「行きたくない」と言わないこともあって、毎朝のように学校へ行くのか、行けないのかという母との言い合いは長引き、結局、学校へ行く時間にはどうしてもまにわなくなって学校を休む……、そのくり返しでした。<br>
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無理やり車に乗せられて学校へ行くこともありました。<br>
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事故に遭えばと思っていたのはそのころです。<br>
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あれから3年が経ちましたが、毎年、夏休み明けの新学期が始まるころは無意識に学校のことを考えます。<br>
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冬休みや春休みも同じです。<br>
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中学1年生からは学校へ行ってない人が集まる教育支援センターにも通い始め、自分の居場所ができました。<br>
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学校とはすこし距離を置き、いろいろな人とお話をしたり、遊んだり、安心してすごせてはいます。<br>
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でも、新学期に近づくにつれて不安になりました。<br>
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もしかしたらまた「学校へ行きなさい」と言われるのではないかと思っていたからです。<br>
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いまは以前のような不安はありません。<br>
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母も私のことを理解してくれています。<br>
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もしも私が中学1年生の私に出会えたら、ぜひ「自分の空間を大事にしてほしい」と伝えたいと思います。<br>
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自分の空間というのは、自分がやりたいことができたり、みんなと楽しくすごせたりする空間ではありません。<br>
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私にとっては本を読む時間、本を手に持つと自分の空間に入れました。<br>
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自分のまわりの環境がどんなときでも本があれば嫌な感情、人の話し声……、すべてをシャットアウトすることができます。<br>
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家のリビングにいても、教育支援センターにいても、本を読んでいる時間はちゃんと自分のことが大切にできる。<br>
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そういう自分の空間があれば、それが安全基地になって、自分が否定されても耐えられます。<br>
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もしもまわりに私と同じような人がいたら、「学校」という1つの場所が全てではないこと、またどんな時でも見方で自分を守ってくれるような、その人の自分の空間を大切にしてほしいと思っています。<br>
 +
かすみ(仮名、15歳・女性)<br>
 +
*  *  *<br>
 +
この手記は、当事者の心の内側、それも一番、言葉になりづらい部分を明確に示してくれた手記でした。<br>
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学校で苦しいことがあった子どもが、一番、言葉にできないのは「学校へ行きたくない」という一言です。<br>
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SOSは出しづらいんです。<br>
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とくに追い詰められ、苦しんでいる子どもほどSOSを発するのは難しくなります。<br>
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それは、不登校の子どもだけでなく、大人も同じです。<br>
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学校へ行きたくないと言えなかった理由はかすみさんが書いていたように「学校へ行けないことが悪いことだ」と思っていたからです。<br>
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自ら進んで罪を犯すことができない、親を困らせたくないというのが当事者心理です。<br>
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また「行きたくない」と言えなかったのは「理由が答えられないから」とも指摘していました。<br>
 +
かすみちゃんのように「理由がわからない」という不登校の子どもも多くいます。<br>
 +
これまでの取材では、背景としては4つのパターンがありました。<br>
 +
(1)純粋に理由が見当たらないため<br>
 +
(2)苦しすぎる経験ゆえに当時の記憶を失ったため<br>
 +
(3)理由が重層的で言葉にできないため<br>
 +
(4)深刻な原因だと思えないため<br>
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最近、10代からよく聞くのが「深刻な原因だと思えない」というパターンです。<br>
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「行きたくないほどの理由じゃないんだけれど……」という語り出しで、いじめや体罰を受けていたり、病気になったりした話を聞いてきました。<br>
 +
私が聞くかぎり、みんな深く傷つき、深刻な状態を生き抜いてきた子どもたちばかりでした。<br>
 +
しかし彼ら自身は「深刻ではない」と思っているため、他人から不登校の理由を聞かれても「わからない」と答えていたそうです。<br>
 +
このように「わからない」という言葉のうらには、その人なりの背景があります。<br>
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今回、くり返し伝えたいのは、学校へ行きたくない子どもが一番言葉にしづらいのが「行きたくない」という一言だということ。<br>
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そして、たとえ「行きたくない」と言えたとしても、その理由を説明できない子どもも多いということです。<br>
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周囲はつい明確なSOSを待ってしまいますが、本人にすればSOSは出しづらいものです。<br>
 +
言葉にしなくても態度や表情からSOSを受け取ることができます。<br>
 +
「言葉にしないなのは甘えだ」と突き放さず、いま態度に出していることが、その子なりの精いっぱいのSOSだと受け止め、本人の気持ちを大事にしてほしいと願っています。<br>
 +
〔2018年9/1(土)AERA dot.(文/石井志昂)〕 <br>

2018年9月12日 (水) 13:19時点における最新版

目次

サイト内に紹介する不登校の相談施設

適応指導教室も参照。

新聞メディアのニュース

不登校のニュース子どもの貧困のニュースいじめのニュース

周辺ニュース

ページ名不登校、、(不登校のニュース)
「明日の学校はムリかも」と迷っている人へ 中学3年生を丸ごと休んで得られた6つの結論
夏休み明けの前後は子どもの自殺が増える傾向があります(下図参照)。
すでに多くの記事で警鐘が鳴らされていますが、今年の夏休み中にも5件の子ども自殺がありました。
うち1件は始業式前日の中学生自殺です。
「自殺の危険性」とまではいかなくても、「子どもが『行かない』と言いだしたらどうしよう」と不安を感じている親や、「あしたの学校はムリかも」と迷っている学生は多いと思います。
私は中学校2年生の冬から学校へ行っていません。
中学3年生は丸ごと学校を休み、その後も高校や大学などには通わず36歳になりました。
現在は、不登校当事者や識者に取材をして『不登校新聞』を発行する仕事をして暮らしています。
私も「学校へは行かなくてはいけない、行かないでどうする」と思っていましたが、今振り返ってみれば学校へ行かなかったからこそ得られたものがありました。
今日はその得られた結論をお伝えしたいと思っています。
前半の3つは学校へ通う人自身に知ってほしいこと、後半の3つは親や祖父母など周囲の人に知ってほしいことです。
不登校から得られた私の結論1
「1日も通わずに卒業ができる」
不登校後に一番驚いた事実は小・中学校は一日も通わずに卒業できるという事実です。
卒業は校長が判断するもので「不登校の人を卒業させたがらない校長のほうが問題になる」という事実には驚きました。
実際に私が取材したなかには「小学校の入学式だけ行ったが、小中ともに問題なく卒業できた」という人もいます。
さらに高校からは通信制高校というものがあり、月に1度から2度の登校で卒業できる学校もあります。
試験だけを受けて「高校卒業」と同程度の資格が得られる制度もあります。
大学も通信制大学が全国で43校もあり、いわゆるテスト競争をする「大学受験」はナシで入学できます。
私としては「じゃあ苦労して登校した日々はなんだったんだ」という思いしかありません。
不登校から得られた私の結論2
「不登校をする前が一番ヤバかった」
学校へ行けなくなったとき「これで人生が終わった」と私は思いました。
しかし、最大のピンチは不登校をした時点で乗り越えていました。
私の最大のピンチは学校へ通っていたときです。
不登校になるまで私は「学校への不満は人並みだ」と思っていました。
クラスのなかには、いじめもあったし、理不尽な先生にも苦しめられました。
勉強にも強い重圧を感じていました。しかし、そんなことは「あたり前のこと」だと思っていました。
ところが、その「あたり前」に苦しんでいました。
中学2年生の秋ごろから、学校へ行こうとすると、どうしようもなくムカつく、視界がグラグラと揺れるなど、自分では制御できない異変が起きていました。
もちろん、ストレスによるものです。
不登校になる直前の冬はハッキリと「死にたくなる気持ち」が出てきました。
電車の踏切を見ていると、なんだか踏切に吸い込まれそうな感覚が湧いてくる。
踏切に近づくと、毎回のように「電車に跳ねられちゃったら人生が楽になるな」と思うようになっていました。
学校と距離をとってから異変や死にたい気持ちは薄れていきました。
当然ですが、苦しみの根拠から離れたから苦しくなくなっていったのです。
不登校自体を懸念される人も多いですが「不登校をする前が一番ヤバい」というのが私の結論です。
不登校から得られた私の結論3
「ふつうの未来が待っている」
不登校をしたとき教頭先生から「大人になれないぞ」と言われました。
その一言に震えましたが、あれから22年、私を待っていたのは「ふつうの未来」でした。
「ふつうの未来」とは、苦労もするし楽しいこともある大人になったという未来です。
中学生の当時は想像ができなかった「仕事」もしています。
仕事はミスをして叱られながら覚えました。つまり「ふつうの覚え方」です。
私の職場には大学を出た同僚もいますが、ちがいは感じません。
日常もふつうです。大好きな人と結婚をしたり、ケンカをしたり、2000円もするパフェが食べられたり、メタボと医者から言われたりしています。
最近の日常の悩みはソシャゲの課金が止められないことです。
「学校へ行けない自分はもう終わりだ」と中学生の私は固く信じていました。
しかし、終わったことはなにひとつありませんでした。
なんでもない日常がボチボチと続くだけです。
それは私だけでなく、多くの不登校の人の未来だったと取材を通して確信しています。
明日の学校を迷う人には、どうかそういう「先行事例」を信じて、いまの自分の気持ちに率直になってもらえればありがたいと思っています。
不登校から得られた私の結論4
「当事者はSOSは言葉にしません」
ここから先は、私が専門家や親に取材をしてきたなかで得られた「親や周囲の大人に知ってほしい結論」をお伝えします。
まず、「学校へ行きたくない」という一言こそ、当事者が口にしたくない言葉だということです。
「不登校は悪」だと思っているからです。
不登校に関しては第三者が言動を見てSOSを判断するものだと思ってください。
子どもの言動を以前と比べて「できない」ことが増えてきたらSOSの兆しです。
具体的には「宿題ができない」「あまり食べられない」「朝、起きられない」「支度ができない」「笑わない」などです。
周囲は「死にたい」や「行きたくない」という言葉が出るぐらいなら考えようと思いがちですが、いったん子どもの言動を思い出してみてください。
不登校から得られた私の結論5
「SOSは自分だけで受けとめない」
言動を見て「もしかして」と思ったら、子どものSOSは絶対に自分だけで受けとめないでください。
親ならばわが子の不登校に対して冷静になることはできません。親だからこそ、子どもの将来を案じるがあまりに「子どもの現在」を無視して「ちょっとがんばろう」と追い詰めてしまうからです。 親や周囲は子どものSOSを「第三者に繋げていく存在だ」といったん割り切って相談や情報収集を始めてください。
全国のフリースクールや不登校の親たちによる「親の会」があります。
『不登校新聞』などでも、たくさんの当事者の経験談が得られます。
不登校から得られた私の結論6
「危ないと思ったら安全確保を第一に」
学校は命がけで通う場ではありません。命が脅かされるのならば「安全第一」が鉄則です。
本当に危険な場合は、子どもから嫌われても「学校を休ませる」「近い距離で見守る」など周囲による「ドクターストップ」もあり得ます。
大きな決断だと感じるかもしれません。
しかし、「学校は命がけで通う場ではない」という周囲の思いがあれば「本当に危険な状態にはなりづらい」というのも事実です。
というのも、学校へ行くか行かないかで悩んでいる子は人並みに常識がある子です。
学校が苦しくてもがんばっている子は、ほかのこともがんばれる子です。
怠けている子でも、弱い子でもありません。
本人のことを周囲が信じて「学校よりもあなたが大事だ」という思いが伝われば危険が回避できるからです。
以上が私の結論です。
「明日の登校はムリかも」と迷い始めたら、ぜひここに書いた6つの結論を思い出してもらいたいと思います。
以下は不登校にくわしい団体の連絡先、そして学校が苦しいと思った人などが相談できる連絡先です。
■保護者や子どもの相談窓口
「子どもの人権110番」(電話0120-007-110)
■不登校の相談窓口
「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」(電話03-3906-5614)
■学校へ行っている子どもなどの相談窓口
「チャイルドライン」0120-99-7777
〔2018年9/2(日)石井志昂 『不登校新聞』編集長、不登校経験者〕

周辺ニュース

ページ名不登校、、(不登校のニュース)
学校へ行けない理由 魔の9月1日 車のハンドルをガードレールへ動かそうとした少女は…〈dot.〉
小6の秋、突然学校へ行けなくなったかすみさんの本心とは
子どもの自殺が増加する夏休み明け。内閣府調査によると過去42年間に自殺した子どもは1万8048人にのぼる。
最も多かった日付は9月1日だった。
「学校へ行きたくない」という思いを抱える子は、どんな思いでこの日を迎えるのだろうか。
不登校新聞編集長の石井志昂さんは、ある15歳の少女の手記を紹介する。
小学6年のときに不登校になった彼女はどうして親にさえSOSを出せなかったのか。
*  *  *
学校に向かう車の中で、事故に遭えば「学校を休める」とふと思いました。
母が持っていた車のハンドルをガードレールのほうへ動かそうとし、怖くなってやめたことがあります。
小学6年生の秋のことです。
小6の秋、私は突然、学校へ行けなくなりました。
学校へ行こうと思うと玄関で足が止まってしまったからです。
いまふり返っても学校へ行けない理由は私自身もわかりません。
友だちもいたし、行けば楽しいこともありました。
でも学校にいると息苦しくなり、帰ってくるとすごく疲れていて気が重くなりました。
学校へ行けなくなってからは「行きなさい」と言われることはすごくつらいことでしたが、それとともにイヤだったことがあります。
それは大好きな母親と、学校へ「行く」「行かない」を言い合うことでした。
私はずっと「学校へ行きたくない」という言葉を誰にも言うことができませんでした。
学校へ行けないことが悪いことだと思い、「行けない自分」になったことを自分で認めたくなかったからです。
また、「行きたくない」と言えば絶対に理由を聞かれます。
理由を答えられないのに、自分から「行きたくない」と言うことはできませんでした。
私がハッキリと「行きたくない」と言わないこともあって、毎朝のように学校へ行くのか、行けないのかという母との言い合いは長引き、結局、学校へ行く時間にはどうしてもまにわなくなって学校を休む……、そのくり返しでした。
無理やり車に乗せられて学校へ行くこともありました。
事故に遭えばと思っていたのはそのころです。
あれから3年が経ちましたが、毎年、夏休み明けの新学期が始まるころは無意識に学校のことを考えます。
冬休みや春休みも同じです。
中学1年生からは学校へ行ってない人が集まる教育支援センターにも通い始め、自分の居場所ができました。
学校とはすこし距離を置き、いろいろな人とお話をしたり、遊んだり、安心してすごせてはいます。
でも、新学期に近づくにつれて不安になりました。
もしかしたらまた「学校へ行きなさい」と言われるのではないかと思っていたからです。
いまは以前のような不安はありません。
母も私のことを理解してくれています。
もしも私が中学1年生の私に出会えたら、ぜひ「自分の空間を大事にしてほしい」と伝えたいと思います。
自分の空間というのは、自分がやりたいことができたり、みんなと楽しくすごせたりする空間ではありません。
私にとっては本を読む時間、本を手に持つと自分の空間に入れました。
自分のまわりの環境がどんなときでも本があれば嫌な感情、人の話し声……、すべてをシャットアウトすることができます。
家のリビングにいても、教育支援センターにいても、本を読んでいる時間はちゃんと自分のことが大切にできる。
そういう自分の空間があれば、それが安全基地になって、自分が否定されても耐えられます。
もしもまわりに私と同じような人がいたら、「学校」という1つの場所が全てではないこと、またどんな時でも見方で自分を守ってくれるような、その人の自分の空間を大切にしてほしいと思っています。
かすみ(仮名、15歳・女性)
*  *  *
この手記は、当事者の心の内側、それも一番、言葉になりづらい部分を明確に示してくれた手記でした。
学校で苦しいことがあった子どもが、一番、言葉にできないのは「学校へ行きたくない」という一言です。
SOSは出しづらいんです。
とくに追い詰められ、苦しんでいる子どもほどSOSを発するのは難しくなります。
それは、不登校の子どもだけでなく、大人も同じです。
学校へ行きたくないと言えなかった理由はかすみさんが書いていたように「学校へ行けないことが悪いことだ」と思っていたからです。
自ら進んで罪を犯すことができない、親を困らせたくないというのが当事者心理です。
また「行きたくない」と言えなかったのは「理由が答えられないから」とも指摘していました。
かすみちゃんのように「理由がわからない」という不登校の子どもも多くいます。
これまでの取材では、背景としては4つのパターンがありました。
(1)純粋に理由が見当たらないため
(2)苦しすぎる経験ゆえに当時の記憶を失ったため
(3)理由が重層的で言葉にできないため
(4)深刻な原因だと思えないため
最近、10代からよく聞くのが「深刻な原因だと思えない」というパターンです。
「行きたくないほどの理由じゃないんだけれど……」という語り出しで、いじめや体罰を受けていたり、病気になったりした話を聞いてきました。
私が聞くかぎり、みんな深く傷つき、深刻な状態を生き抜いてきた子どもたちばかりでした。
しかし彼ら自身は「深刻ではない」と思っているため、他人から不登校の理由を聞かれても「わからない」と答えていたそうです。
このように「わからない」という言葉のうらには、その人なりの背景があります。
今回、くり返し伝えたいのは、学校へ行きたくない子どもが一番言葉にしづらいのが「行きたくない」という一言だということ。
そして、たとえ「行きたくない」と言えたとしても、その理由を説明できない子どもも多いということです。
周囲はつい明確なSOSを待ってしまいますが、本人にすればSOSは出しづらいものです。
言葉にしなくても態度や表情からSOSを受け取ることができます。
「言葉にしないなのは甘えだ」と突き放さず、いま態度に出していることが、その子なりの精いっぱいのSOSだと受け止め、本人の気持ちを大事にしてほしいと願っています。
〔2018年9/1(土)AERA dot.(文/石井志昂)〕

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