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大阪市立大空小学校

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==大阪市立大空小学校==
 
==大阪市立大空小学校==
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===[[:Category:周辺ニュース|周辺ニュース]]===
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ページ名[[大阪市立大空小学校]]、大阪府大阪市() <br>
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'''校則なし、先生の残業なし。発達障害児や不登校だった子もみんな一緒に学ぶ小学校'''<br>
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大阪の大空小学校初代校長の木村泰子さん <br>
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「椅子に座れなくても、床に寝転がっていても、みんなと一緒に学べるのが学びの目的です。学校のあたりまえを変えるときです」<br>
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大阪の大空小学校初代校長、木村泰子さんはそう語る。<br>
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多様性が叫ばれるようになって久しいが、これから活躍する未来の若者たちを育てるはずの日本の教育現場は、昔と変わらない集団行動や校則で子どもたちを横並びに“管理”している。
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みんなと同じ「ふつう」でいることに生きづらさを感じている子どもたちは多い。発達障害児や不登校児は増え、若者の自殺が社会問題となっている。<br>
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一方で、映画『みんなの学校』の舞台となった大阪の大空小学校は、発達障害と診断された子や不登校だった子など、さまざまな問題を抱えた子どもたちがともに学び合い、元気に卒業していく。<br>
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日本の教育システムが変わらない原因は何なのだろう?<br>
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これからの子どもたちの学びに、親や先生はどう向き合えばいいのだろう?<br>
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『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』を著した木村さんに話を聞いた。<br>
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木村泰子(きむら・やすこ)<br>
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大阪市立大空小学校初代校長。大阪府生まれ。「みんながつくるみんなの学校」を合言葉に、すべての子どもを多方面から見つめ、「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」ことに情熱を注ぐ。<br>
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2014年に大空小学校の1年間を追ったドキュメンタリー映画「みんなの学校」が公開され、大きな反響を呼ぶ。現在も全国各地の教育現場などで自主上映されている。15年春、45年の教職歴をもって退職。現在は、各地の講演会に呼ばれ、全国を飛び回っている。<br>
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'''木村泰子さん 「見えない学力」が高まれば成績は後からついてくる'''<br>
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――大空小の子どもたちは、全国学力調査1位の秋田県を上回ったこともあるほど学力が高いそうですが、どんな授業をされているのでしょうか。<br>
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安心して、「わからへん」、「教えて」って言えるからですよ。<br>
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自分で考えておかしいと思ったら、「先生、それおかしいんとちゃう?」って言えるから。そういう環境だと、子どもは自分からどんどんチャレンジして、どんどん失敗して、わかるようになるまでやり直します。<br>
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そうして主体的に身につけた「見えない学力」が高まれば、点数で測る「見える学力」は結果としてついてきます。<br>
 +
そういうことを私たち教師は、子どもたちから学びました。<br>
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それまでは、大空小の先生たちも、授業の最後に必ず「わかりましたか?」って聞いて、子どもたちは「はい」って返事して終わってたんです。<br>
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子どもたちに、「ほんとうにわかったの?」と聞くと「はいと言わないと休み時間がなくなるから」と言う子どもがいたのです(笑)。<br>
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そのことを職員室で先生たちと「どう思う?」と対話しました。そこから「わかりましたか?」は使わないようにしたんです。<br>
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「それでも授業の終わりに何か確かめたいよね」とベテランの先生たちが話していたら、若い先生が「わからないところはどこですか?」と授業の最後に聞きましょうということになり、実行してみました。<br>
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そしたら、子どもたちが口をそろえて「わからなーい!」って言いだした(笑)。<br>
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要するに、先生が45分間しゃべって自己満足していただけで、子どもたちは受け身だったということをまざまざと突きつけられたのです。<br>
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そこで、先生は10分しか話さないようにしようとチャレンジを始めました。<br>
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残りの35分は子どもたちが主体的に学ぶ時間です。「この課題、みんなで解決しよう。よろしくね」って。そこから子ども同士が学び合う授業づくりが始まりました。<br>
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――素晴らしい取り組みですね。<br>
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子どもたちだけでやって困ったときは、「先生、ここちょっと助けてよ」とか、「ぼく、○○ちゃんに教えてるんやけど、わからへんみたいやから、先生教えてや」って言ってきますから、必要なときに出ていけばいいのです。<br>
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そうやって子ども同士が学び合う授業に不可欠なのが「見えない学力」。<br>
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つまり、人を大切にする力、自分の考えを持つ力、自分を表現する力、チャレンジする力です。この「見えない力」は子ども同士の関係性の中でしか育ちません。<br>
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子ども同士が学び合って課題を解決する力こそ、社会に出て通用する力。学校は社会の縮図なんですよ。<br>
 +
「ふつう」と「ふつうじゃない」子が分断されるワケ<br>
 +
――不登校で大空小学校に転校してきた子どもたちが、通学できなくなった学校のことを「牢屋!」、「刑務所!」、「監獄!」と口々に叫んだエピソードが本に出てきました。そこまで学校は子どもを追い詰めているのかと、胸が痛くなりました。<br>
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1、2年生で学校に行けなくなる子がすごく増えているんですよ。<br>
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不登校は中学校が一番多いといわれてきましたが、今は小学校でも深刻な問題になっています。子どもたちは学校が恐いんです。<br>
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何が恐いって、そこにいる先生が恐い。イスの座り方から、手の挙げ方、忘れ物、挨拶、持ち物ひとつひとつの置き場所や使い方にいたるまで、軍隊みたいに厳しくチェックされて、周りと少しでも違うと注意される。<br>
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社会のニーズは、「上司の言うことを聞くより自分で考える人間がほしい」という時代に変化しているのに、学校はいまだに先生の言うことを聞く人間を育てているんです。<br>
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その結果、個性や感受性が豊かな子どもほど学校に行けなくなって、社会から排除されている現状があります。<br>
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――木村さんは、4年前に大空小の校長を退任された後も、講演会で全国各地を飛び回り、学校改革のために奮闘されています。最近の教育現場に変化は見られるでしょうか?<br>
 +
最近は小学校だけでなく、幼稚園から中学、高校、大学まで講演していますが、むしろこの1、2年は、「ふつう」じゃない子どもに対する分断がますます進んでいますね。<br>
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社会では、「これからはダイバーシティ(多様性)だ、インクルージョン(社会的包摂)の時代だ」と言っているのに、子どもたちは小学校に入る前に「ふつう」かどうかを検査させられています。<br>
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「ふつう」と違うと、この子は先生の言うことを聞けないから困るという扱いをされて、「あなたは発達障害だから、あっちの支援学級です」と振り分けられてしまう。<br>
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木村泰子さん <br>
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社会は、人と違う考えや行動ができる「ふつうじゃない人」を求めるようになっているのに、大人が勝手に決めた「ふつう」の基準に当てはめて判断しようとする。社会が求めるニーズと教育現場が、どんどん乖離してしまっているんです。<br>
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でもね、子どもってみんな未成熟なんですよ。成長の仕方は人それぞれで、これから発達していくのに、(入学前から)障害があるってどういうことでしょう?<br>
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幼いうちから、そんなレッテルを貼られた子どもは大変です。
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本来、子どもの成長度合いを検査する目的は、その子の特性を知ったうえで、周りの子どもたちと安心してつながって、一緒に集団生活を送るためであるべきなんです。<br>
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椅子に座れなくても、床に寝転がっていても、みんなと一緒に学べるのが学びの目的です。学校のあたりまえを変えるときです。<br>
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――大空小学校に転校してきた子が、前の学校で体操服に着替えるのを嫌がり、「例外は認められない」という理由で、体育の授業を受けさせてもらえなかった話は衝撃的でした。<br>
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あれは明らかな人権侵害ですよね。<br>
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体操服に着替えるのが嫌なら、そのままの服で体育の授業を受けさせればいいんです。<br>
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子どもには学習権があります。憲法二六条は、「すべて国民は、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めていますからね。<br>
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子どもが学校にくる目的は、体操服を着ることじゃない。体育の授業を受けることですから。私がその子の親なら、「この子は自宅以外では着替えられないので、この服装のままで体育の授業を受けさせてください」と学校に言います。<br>
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それでも「困ります」と言われたら、「憲法にある子どもの学習権についてはどうお考えですか?」と勝負をかける(笑)。体育の授業の目的は、運動をすることにあるのです。<br>
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本当の公平は、体操服に着替えられない子がいても、「体育ができれば、その服のままでもええよ」と、その子の個性を認めて安心させること。そして、周りの子も安心して授業を受けられるようにすることです。<br>
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「ふつう」ができない子どもがいても、お互いを認め合って尊重することを、子どもたち自身で学ぶ。その手助けをするのが先生の役割ですし、それこそが本当の公平な関係性なんですよ。<br>
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例外を認めず、みんなと同じようにさせるのが公平という考え方は100パーセント間違ってます。<br>
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'''児童260人中発達障害が50人、先生は残業なし'''<br>
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――大空小学校では、さまざまな子どもたちが一緒に学ぶ環境でありながら、先生は定時退勤できていたそうですね。なぜそのような教育環境を作ることが可能だったのでしょうか。<br>
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私が9年間校長を務めた大空小は、全校児童260人中、「発達障害」と診断され(障害者)手帳を持っている子どもが50人を超えていました。<br>
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そう聞くと「先生の負担が多くて大変そう!」と思われるかもしれませんけど、日常は勤務時間が終われば帰っていました。<br>
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じゃあ、なんで他の学校の先生たちは、いつ死んでもおかしくないほど長時間労働しないといけないのか?<br>
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それは、学び方改革をしていないからです。<br>
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大空小では、一人一人の子どもが自分から学校へ来て、1日学んで、納得して家に帰ります。それは、私たち教師が子ども同士をつなげて、子ども同士で教え合ったり助け合ったりしているからです。<br>
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大空小学校のルールはただひとつ。「自分がされていやなことは人にしない 言わない」。この約束を守ることだけです。<br>
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子どもが学校生活を楽しんで納得できると、いじめも不登校もないし、親からクレームがくることもありません。<br>
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教師は生徒や親の問題解決や相談事に時間をとられる必要がないから、本業だけやっていればいいんですよ。教師の働き方改革より、学び方改革をしないといけないわけです。<br>
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※後編は近日中に公開予定です。<br>
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木村泰子/家の光協会
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木村葉子さんの新刊『「ふつうの子」なんてどこにもいない』が発売中です。
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〔2020年1/17(金) 12:08ハフポスト日本版(取材・文:樺山美夏 編集:笹川かおり)〕 <br>
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===[[:Category:周辺ニュース|周辺ニュース]]===
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ページ名[[大阪市立大空小学校]]、() <br>
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'''発達障害や不登校、さまざまな個性を持つ子どもと向き合った元校長が伝える“本物の学力”'''<br>
 +
『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』(家の光協会)の著者である木村泰子さん <br>
 +
全国から「発達障害」「不登校」「問題児」などのレッテルを貼られた50人以上の子どもたちが転校してきた、大阪市住吉区の公立小学校・大空小学校。<br>
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さまざまな個性を持つ子どもたちがともに学び合うが不登校の生徒はいない。それはなぜだろうか。<br>
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本稿はその大空小学校で、創立時から9年間校長を努め、『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』(家の光協会)の著者である木村泰子さんによるものである。<br>
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【大空小学校について】<br>
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大阪市住吉区にある公立小学校。<br>
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初代校長を務めた著者である木村泰子さんと教職員たちが掲げた「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」という理念のもと、<br>
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さまざまな個性を持つ子どもたちがともに学び合う姿が、ドキュメンタリー映画『みんなの学校』として公開され、大きな話題となった。<br>
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転校してきた特別支援の対象となる児童は、50人を超えたが、不登校はいなかった。<br>
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地域に開かれた学校として、教職員のみならず、地域住民や学生ボランティア、保護者をはじめ多くの大人たちが、つねに子どもたちを見守っている。<br>
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'''『ふつう』っていったいなんですか?'''<br>
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そもそも『ふつう』ってなんでしょう。『ふつう』があるなら『ふつう』じゃないものもあるということですよね。<br>
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実は、私がこの『ふつう』という言葉を意識するようになったのは、9年間務めた大空小学校の校長を退職してからのことでした。<br>
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45年という教師生活を経て、講演会やセミナーなどで、47都道府県すべてを回ったんです。<br>
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そこで出会ったのは、小学校、中学校と学校に行けなかった子、自ら命を絶ってしまった子のことで、ずっと苦しんでいるお母ちゃんやお父ちゃんや、学校の先生も。<br>
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心がある人は苦しむんですよ。そんな人たちでした。<br>
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たったいまも「困っている」ことを抱えている子どもや大人たちと。何百人と会いました。<br>
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そんな中で学校に行けなかったまま若者となった子たちから、幾度となく受けたのが、「先生『ふつう』っていったいなんですか?」という質問でした。<br>
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ある青年がこんな話をしてくれました。<br>
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「自分は小学校、中学校と、毎日が苦しくて学校に通うことができなかった。<br>
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高校はいろんな学校があるから、入学して席はおいたけれども、やっぱり『学校という場』が苦しくて、通うことができなかった」<br>
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学校に行けないまま大人になりつつあるその若者が、「『ふつう』ってなんですか?」と真剣な顔で私に問うんです。<br>
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私はそれまで考えたこともなくて、答えられませんでした。<br>
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そのかわりに「なんでそんな質問するの?」って聞いてみました。<br>
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「私はこの『ふつう』という言葉に苦しんで、100本くらいリストカットしました」<br>
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その青年の身体に刻まれた傷は深くて、縫っているものもあるほど壮絶なものでした。<br>
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彼は『ふつう』という言葉に苦しんで、何度も何度も自分を消そうとした。<br>
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そのころを無数の傷が物語っていました。<br>
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小学校でも中学校でも先生から「おまえ『ふつう』のことぐらいやれよ。みんなやってるやろ?」と言われ続けたそうです。<br>
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でも、自分にはなにが先生の言っている『ふつう』なのかわからなかった。<br>
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『ふつう』ってなに?『ふつう』のこともできない自分はダメなんだ。<br>
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生きている値打ちはないんだ。ずっとそう思い続けて大人になったんです。<br>
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自分の身体に傷をつけ、存在を消そうとしていた彼。<br>
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この子はね、性別は「男」だけど、女性になりたかった子なんです。<br>
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いまでこそLGBT(性的少数者)という言葉が社会で認知されて、「男と男が結婚して何が悪いの?」というような風潮に社会が変わってきたけれど、<br>
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10年前の彼が小学生だったころは、今とは全然違いますよね。<br>
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「男のくせに」「女のくせに」という言葉が平気で飛びかっていた時代です。<br>
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その時代に、この子は『ふつう』であることを強いられ続けきた。<br>
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好きな色の可愛いカバンが持ちたくて、ピンクのカバンをもっていくと、同じクラスの男子からいじめに遭う。<br>
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先生からは「おまえは男やからピンクなんか持つのやめろ」と忠告される。<br>
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なぜダメなのかと問い返しても、先生たちは説明する言葉を持ちません。<br>
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そして、こんな言葉を彼に投げる。<br>
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「ほかの子を見てみ。みんな『ふつう』やろ? おまえだけ『ふつう』じゃないんや。<br>
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『ふつう』のことくらいできへんかったら、学校に来られへんぞ」<br>
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この子はそんな言葉を敏感に受けて、自分で姿を消そうとした。それが100本の線になって残っているんです。<br>
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こういうこと、子どもに限らず、大人でもありますよね。私もこんな経験があります。<br>
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'''「人って、見えるところしか見ない」'''<br>
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規模の大きなシンポジウムに講師として呼ばれたときのこと。<br>
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来賓席には大きな花と名札を胸につけた市長さんがおられるような会です。<br>
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そこに、あえてジーパン姿で行ったんです。<br>
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そうしたら、会場のおえらいさん方が、私の顔を見る前にジーパンに目を落とす。<br>
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それだけで、「誰や、こんな講師を呼んだん!?」ていう空気が流れて、「失礼なやつ」と言いたげな顔を向けて、挨拶もなく目もあわさない。<br>
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『ふつう』の大人なら、こんな場にジーパンなんかはいてこないだろう。<br>
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そう思っているのがありありと感じられました。<br>
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人って、見えるところしか見ないんです。私はそんなのへっちゃらですよ。<br>
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でも感受性豊かな、繊細な心を持った子どもはそれで傷つけられる。<br>
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でもね、見えないところを見る大人がひとりでも増えたら、消えてしまおうとか、自尊感情をズタズタにされる子どもが少しでも減るでしょ。<br>
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みんなが変われなくても、気づいた人間がひとりでも変わればいい。<br>
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学校でもそうです。<br>
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「先生の言うことおかしいと思うよ」って言える親や地域の人、そんな大人が誰かいれば、その子は助けられる。<br>
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'''子どもが本当に身につけるべき学力'''<br>
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『ふつう』というのは、その場の、その時代を占めているその他大勢の人が出す、「空気」なわけです。<br>
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正しいか正しくないかではなくて、数が多いから「空気」をつくっているというだけ。<br>
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でも70年前には、その空気にのまれて、多くの若者が戦争に行ってしまったという時代が日本にはありました。<br>
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そうした過去を否定するとかではなく、今の現実を新しくつくるために、大人は問い直ししないといけない。<br>
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そのときに、もっとも不要なものが『ふつう』という言葉だと私は思います。
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やっぱり人は、弱いし流される。「みんながいえばそれが当たり前」という空気になる。<br>
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それでもひとりひとりが、自分はどう考えるかと自問自答しながら、立ち止まって自分の考えを持てば、その空気はもっと自由なものに変えられる。<br>
 +
私が見てきた大空小学校の子どもたちは、先生や大人が何を言っても、「だって自分の考えはこうやんな」という高い自尊感情をみんなが持っていました。<br>
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自分の言葉を大切にしていました。<br>
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子どもたちは校長の私にも「先生バカやな、わかってへんな」と、ふつうに言います。それが『ふつう』なんです。<br>
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自分の考えを持つ。<br>
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それが当たり前のこととして、子どもの中に蓄積されていかないとあかんでしょ。<br>
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これが義務教育で身につけるべき最低限の学力です。<br>
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そして、その学力は、社会に出たときに“生きるための力”となる。<br>
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その学力を身につける権利を、子どもは当たり前に持っています。<br>
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それこそが、学校でいちばん大切にしないといけない『ふつう』のこと。<br>
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それを伝えたくて、今日も明日も私は、全国を飛び回っているのかもしれません。<br>
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'''PROFILE 木村泰子'''●きむら・やすこ●<br>
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武庫川学院女子短期大学(現武庫川女子大学短期大学部)卒業。<br>
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大阪市立大空小学校初代校長として、「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」ことに情熱を注ぐ。<br>
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その取り組みを描いたドキュメンタリー映画『みんなの学校』は大きな話題を呼び、劇場公開後も全国各地で自主上映会が開催されている。<br>
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2015年に45年の教職歴をもって退職。<br>
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現在は、講演会、セミナー等に引っ張りだこで、精力的に日本じゅうを飛び回っている。<br>
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〔2019年9/5(木) 週刊女性PRIME 木村泰子〕 <br>
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'''地域福祉映画会「みんなの学校」''' <br>
 
'''地域福祉映画会「みんなの学校」''' <br>
 
不登校も特別支援学級もなく、みんなが同じ教室で学ぶ大空小学校。<br>
 
不登校も特別支援学級もなく、みんなが同じ教室で学ぶ大空小学校。<br>

2020年1月29日 (水) 15:27時点における最新版

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大阪市立大空小学校

周辺ニュース

ページ名大阪市立大空小学校、大阪府大阪市()
校則なし、先生の残業なし。発達障害児や不登校だった子もみんな一緒に学ぶ小学校
大阪の大空小学校初代校長の木村泰子さん
「椅子に座れなくても、床に寝転がっていても、みんなと一緒に学べるのが学びの目的です。学校のあたりまえを変えるときです」
大阪の大空小学校初代校長、木村泰子さんはそう語る。
多様性が叫ばれるようになって久しいが、これから活躍する未来の若者たちを育てるはずの日本の教育現場は、昔と変わらない集団行動や校則で子どもたちを横並びに“管理”している。 みんなと同じ「ふつう」でいることに生きづらさを感じている子どもたちは多い。発達障害児や不登校児は増え、若者の自殺が社会問題となっている。
一方で、映画『みんなの学校』の舞台となった大阪の大空小学校は、発達障害と診断された子や不登校だった子など、さまざまな問題を抱えた子どもたちがともに学び合い、元気に卒業していく。
日本の教育システムが変わらない原因は何なのだろう?
これからの子どもたちの学びに、親や先生はどう向き合えばいいのだろう?
『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』を著した木村さんに話を聞いた。
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木村泰子(きむら・やすこ)
大阪市立大空小学校初代校長。大阪府生まれ。「みんながつくるみんなの学校」を合言葉に、すべての子どもを多方面から見つめ、「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」ことに情熱を注ぐ。
2014年に大空小学校の1年間を追ったドキュメンタリー映画「みんなの学校」が公開され、大きな反響を呼ぶ。現在も全国各地の教育現場などで自主上映されている。15年春、45年の教職歴をもって退職。現在は、各地の講演会に呼ばれ、全国を飛び回っている。
木村泰子さん 「見えない学力」が高まれば成績は後からついてくる
――大空小の子どもたちは、全国学力調査1位の秋田県を上回ったこともあるほど学力が高いそうですが、どんな授業をされているのでしょうか。
安心して、「わからへん」、「教えて」って言えるからですよ。
自分で考えておかしいと思ったら、「先生、それおかしいんとちゃう?」って言えるから。そういう環境だと、子どもは自分からどんどんチャレンジして、どんどん失敗して、わかるようになるまでやり直します。
そうして主体的に身につけた「見えない学力」が高まれば、点数で測る「見える学力」は結果としてついてきます。
そういうことを私たち教師は、子どもたちから学びました。
それまでは、大空小の先生たちも、授業の最後に必ず「わかりましたか?」って聞いて、子どもたちは「はい」って返事して終わってたんです。
子どもたちに、「ほんとうにわかったの?」と聞くと「はいと言わないと休み時間がなくなるから」と言う子どもがいたのです(笑)。
そのことを職員室で先生たちと「どう思う?」と対話しました。そこから「わかりましたか?」は使わないようにしたんです。
「それでも授業の終わりに何か確かめたいよね」とベテランの先生たちが話していたら、若い先生が「わからないところはどこですか?」と授業の最後に聞きましょうということになり、実行してみました。
そしたら、子どもたちが口をそろえて「わからなーい!」って言いだした(笑)。
要するに、先生が45分間しゃべって自己満足していただけで、子どもたちは受け身だったということをまざまざと突きつけられたのです。
そこで、先生は10分しか話さないようにしようとチャレンジを始めました。
残りの35分は子どもたちが主体的に学ぶ時間です。「この課題、みんなで解決しよう。よろしくね」って。そこから子ども同士が学び合う授業づくりが始まりました。
――素晴らしい取り組みですね。
子どもたちだけでやって困ったときは、「先生、ここちょっと助けてよ」とか、「ぼく、○○ちゃんに教えてるんやけど、わからへんみたいやから、先生教えてや」って言ってきますから、必要なときに出ていけばいいのです。
そうやって子ども同士が学び合う授業に不可欠なのが「見えない学力」。
つまり、人を大切にする力、自分の考えを持つ力、自分を表現する力、チャレンジする力です。この「見えない力」は子ども同士の関係性の中でしか育ちません。
子ども同士が学び合って課題を解決する力こそ、社会に出て通用する力。学校は社会の縮図なんですよ。
「ふつう」と「ふつうじゃない」子が分断されるワケ
――不登校で大空小学校に転校してきた子どもたちが、通学できなくなった学校のことを「牢屋!」、「刑務所!」、「監獄!」と口々に叫んだエピソードが本に出てきました。そこまで学校は子どもを追い詰めているのかと、胸が痛くなりました。
1、2年生で学校に行けなくなる子がすごく増えているんですよ。
不登校は中学校が一番多いといわれてきましたが、今は小学校でも深刻な問題になっています。子どもたちは学校が恐いんです。
何が恐いって、そこにいる先生が恐い。イスの座り方から、手の挙げ方、忘れ物、挨拶、持ち物ひとつひとつの置き場所や使い方にいたるまで、軍隊みたいに厳しくチェックされて、周りと少しでも違うと注意される。
社会のニーズは、「上司の言うことを聞くより自分で考える人間がほしい」という時代に変化しているのに、学校はいまだに先生の言うことを聞く人間を育てているんです。
その結果、個性や感受性が豊かな子どもほど学校に行けなくなって、社会から排除されている現状があります。
――木村さんは、4年前に大空小の校長を退任された後も、講演会で全国各地を飛び回り、学校改革のために奮闘されています。最近の教育現場に変化は見られるでしょうか?
最近は小学校だけでなく、幼稚園から中学、高校、大学まで講演していますが、むしろこの1、2年は、「ふつう」じゃない子どもに対する分断がますます進んでいますね。
社会では、「これからはダイバーシティ(多様性)だ、インクルージョン(社会的包摂)の時代だ」と言っているのに、子どもたちは小学校に入る前に「ふつう」かどうかを検査させられています。
「ふつう」と違うと、この子は先生の言うことを聞けないから困るという扱いをされて、「あなたは発達障害だから、あっちの支援学級です」と振り分けられてしまう。
木村泰子さん
社会は、人と違う考えや行動ができる「ふつうじゃない人」を求めるようになっているのに、大人が勝手に決めた「ふつう」の基準に当てはめて判断しようとする。社会が求めるニーズと教育現場が、どんどん乖離してしまっているんです。
でもね、子どもってみんな未成熟なんですよ。成長の仕方は人それぞれで、これから発達していくのに、(入学前から)障害があるってどういうことでしょう?
幼いうちから、そんなレッテルを貼られた子どもは大変です。 本来、子どもの成長度合いを検査する目的は、その子の特性を知ったうえで、周りの子どもたちと安心してつながって、一緒に集団生活を送るためであるべきなんです。
椅子に座れなくても、床に寝転がっていても、みんなと一緒に学べるのが学びの目的です。学校のあたりまえを変えるときです。
――大空小学校に転校してきた子が、前の学校で体操服に着替えるのを嫌がり、「例外は認められない」という理由で、体育の授業を受けさせてもらえなかった話は衝撃的でした。
あれは明らかな人権侵害ですよね。
体操服に着替えるのが嫌なら、そのままの服で体育の授業を受けさせればいいんです。
子どもには学習権があります。憲法二六条は、「すべて国民は、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めていますからね。
子どもが学校にくる目的は、体操服を着ることじゃない。体育の授業を受けることですから。私がその子の親なら、「この子は自宅以外では着替えられないので、この服装のままで体育の授業を受けさせてください」と学校に言います。
それでも「困ります」と言われたら、「憲法にある子どもの学習権についてはどうお考えですか?」と勝負をかける(笑)。体育の授業の目的は、運動をすることにあるのです。
本当の公平は、体操服に着替えられない子がいても、「体育ができれば、その服のままでもええよ」と、その子の個性を認めて安心させること。そして、周りの子も安心して授業を受けられるようにすることです。
「ふつう」ができない子どもがいても、お互いを認め合って尊重することを、子どもたち自身で学ぶ。その手助けをするのが先生の役割ですし、それこそが本当の公平な関係性なんですよ。
例外を認めず、みんなと同じようにさせるのが公平という考え方は100パーセント間違ってます。
児童260人中発達障害が50人、先生は残業なし
――大空小学校では、さまざまな子どもたちが一緒に学ぶ環境でありながら、先生は定時退勤できていたそうですね。なぜそのような教育環境を作ることが可能だったのでしょうか。
私が9年間校長を務めた大空小は、全校児童260人中、「発達障害」と診断され(障害者)手帳を持っている子どもが50人を超えていました。
そう聞くと「先生の負担が多くて大変そう!」と思われるかもしれませんけど、日常は勤務時間が終われば帰っていました。
じゃあ、なんで他の学校の先生たちは、いつ死んでもおかしくないほど長時間労働しないといけないのか?
それは、学び方改革をしていないからです。
大空小では、一人一人の子どもが自分から学校へ来て、1日学んで、納得して家に帰ります。それは、私たち教師が子ども同士をつなげて、子ども同士で教え合ったり助け合ったりしているからです。
大空小学校のルールはただひとつ。「自分がされていやなことは人にしない 言わない」。この約束を守ることだけです。
子どもが学校生活を楽しんで納得できると、いじめも不登校もないし、親からクレームがくることもありません。
教師は生徒や親の問題解決や相談事に時間をとられる必要がないから、本業だけやっていればいいんですよ。教師の働き方改革より、学び方改革をしないといけないわけです。
※後編は近日中に公開予定です。
木村泰子/家の光協会 木村葉子さんの新刊『「ふつうの子」なんてどこにもいない』が発売中です。 〔2020年1/17(金) 12:08ハフポスト日本版(取材・文:樺山美夏 編集:笹川かおり)〕

周辺ニュース

ページ名大阪市立大空小学校、()
発達障害や不登校、さまざまな個性を持つ子どもと向き合った元校長が伝える“本物の学力”
『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』(家の光協会)の著者である木村泰子さん
全国から「発達障害」「不登校」「問題児」などのレッテルを貼られた50人以上の子どもたちが転校してきた、大阪市住吉区の公立小学校・大空小学校。
さまざまな個性を持つ子どもたちがともに学び合うが不登校の生徒はいない。それはなぜだろうか。
本稿はその大空小学校で、創立時から9年間校長を努め、『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』(家の光協会)の著者である木村泰子さんによるものである。
【大空小学校について】
大阪市住吉区にある公立小学校。
初代校長を務めた著者である木村泰子さんと教職員たちが掲げた「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」という理念のもと、
さまざまな個性を持つ子どもたちがともに学び合う姿が、ドキュメンタリー映画『みんなの学校』として公開され、大きな話題となった。
転校してきた特別支援の対象となる児童は、50人を超えたが、不登校はいなかった。
地域に開かれた学校として、教職員のみならず、地域住民や学生ボランティア、保護者をはじめ多くの大人たちが、つねに子どもたちを見守っている。
『ふつう』っていったいなんですか?
そもそも『ふつう』ってなんでしょう。『ふつう』があるなら『ふつう』じゃないものもあるということですよね。
実は、私がこの『ふつう』という言葉を意識するようになったのは、9年間務めた大空小学校の校長を退職してからのことでした。
45年という教師生活を経て、講演会やセミナーなどで、47都道府県すべてを回ったんです。
そこで出会ったのは、小学校、中学校と学校に行けなかった子、自ら命を絶ってしまった子のことで、ずっと苦しんでいるお母ちゃんやお父ちゃんや、学校の先生も。
心がある人は苦しむんですよ。そんな人たちでした。
たったいまも「困っている」ことを抱えている子どもや大人たちと。何百人と会いました。
そんな中で学校に行けなかったまま若者となった子たちから、幾度となく受けたのが、「先生『ふつう』っていったいなんですか?」という質問でした。
ある青年がこんな話をしてくれました。
「自分は小学校、中学校と、毎日が苦しくて学校に通うことができなかった。
高校はいろんな学校があるから、入学して席はおいたけれども、やっぱり『学校という場』が苦しくて、通うことができなかった」
学校に行けないまま大人になりつつあるその若者が、「『ふつう』ってなんですか?」と真剣な顔で私に問うんです。
私はそれまで考えたこともなくて、答えられませんでした。
そのかわりに「なんでそんな質問するの?」って聞いてみました。
「私はこの『ふつう』という言葉に苦しんで、100本くらいリストカットしました」
その青年の身体に刻まれた傷は深くて、縫っているものもあるほど壮絶なものでした。
彼は『ふつう』という言葉に苦しんで、何度も何度も自分を消そうとした。
そのころを無数の傷が物語っていました。
小学校でも中学校でも先生から「おまえ『ふつう』のことぐらいやれよ。みんなやってるやろ?」と言われ続けたそうです。
でも、自分にはなにが先生の言っている『ふつう』なのかわからなかった。
『ふつう』ってなに?『ふつう』のこともできない自分はダメなんだ。
生きている値打ちはないんだ。ずっとそう思い続けて大人になったんです。
自分の身体に傷をつけ、存在を消そうとしていた彼。
この子はね、性別は「男」だけど、女性になりたかった子なんです。
いまでこそLGBT(性的少数者)という言葉が社会で認知されて、「男と男が結婚して何が悪いの?」というような風潮に社会が変わってきたけれど、
10年前の彼が小学生だったころは、今とは全然違いますよね。
「男のくせに」「女のくせに」という言葉が平気で飛びかっていた時代です。
その時代に、この子は『ふつう』であることを強いられ続けきた。
好きな色の可愛いカバンが持ちたくて、ピンクのカバンをもっていくと、同じクラスの男子からいじめに遭う。
先生からは「おまえは男やからピンクなんか持つのやめろ」と忠告される。
なぜダメなのかと問い返しても、先生たちは説明する言葉を持ちません。
そして、こんな言葉を彼に投げる。
「ほかの子を見てみ。みんな『ふつう』やろ? おまえだけ『ふつう』じゃないんや。
『ふつう』のことくらいできへんかったら、学校に来られへんぞ」
この子はそんな言葉を敏感に受けて、自分で姿を消そうとした。それが100本の線になって残っているんです。
こういうこと、子どもに限らず、大人でもありますよね。私もこんな経験があります。
「人って、見えるところしか見ない」
規模の大きなシンポジウムに講師として呼ばれたときのこと。
来賓席には大きな花と名札を胸につけた市長さんがおられるような会です。
そこに、あえてジーパン姿で行ったんです。
そうしたら、会場のおえらいさん方が、私の顔を見る前にジーパンに目を落とす。
それだけで、「誰や、こんな講師を呼んだん!?」ていう空気が流れて、「失礼なやつ」と言いたげな顔を向けて、挨拶もなく目もあわさない。
『ふつう』の大人なら、こんな場にジーパンなんかはいてこないだろう。
そう思っているのがありありと感じられました。
人って、見えるところしか見ないんです。私はそんなのへっちゃらですよ。
でも感受性豊かな、繊細な心を持った子どもはそれで傷つけられる。
でもね、見えないところを見る大人がひとりでも増えたら、消えてしまおうとか、自尊感情をズタズタにされる子どもが少しでも減るでしょ。
みんなが変われなくても、気づいた人間がひとりでも変わればいい。
学校でもそうです。
「先生の言うことおかしいと思うよ」って言える親や地域の人、そんな大人が誰かいれば、その子は助けられる。
子どもが本当に身につけるべき学力
『ふつう』というのは、その場の、その時代を占めているその他大勢の人が出す、「空気」なわけです。
正しいか正しくないかではなくて、数が多いから「空気」をつくっているというだけ。
でも70年前には、その空気にのまれて、多くの若者が戦争に行ってしまったという時代が日本にはありました。
そうした過去を否定するとかではなく、今の現実を新しくつくるために、大人は問い直ししないといけない。
そのときに、もっとも不要なものが『ふつう』という言葉だと私は思います。 やっぱり人は、弱いし流される。「みんながいえばそれが当たり前」という空気になる。
それでもひとりひとりが、自分はどう考えるかと自問自答しながら、立ち止まって自分の考えを持てば、その空気はもっと自由なものに変えられる。
私が見てきた大空小学校の子どもたちは、先生や大人が何を言っても、「だって自分の考えはこうやんな」という高い自尊感情をみんなが持っていました。
自分の言葉を大切にしていました。
子どもたちは校長の私にも「先生バカやな、わかってへんな」と、ふつうに言います。それが『ふつう』なんです。
自分の考えを持つ。
それが当たり前のこととして、子どもの中に蓄積されていかないとあかんでしょ。
これが義務教育で身につけるべき最低限の学力です。
そして、その学力は、社会に出たときに“生きるための力”となる。
その学力を身につける権利を、子どもは当たり前に持っています。
それこそが、学校でいちばん大切にしないといけない『ふつう』のこと。
それを伝えたくて、今日も明日も私は、全国を飛び回っているのかもしれません。
PROFILE 木村泰子●きむら・やすこ●
武庫川学院女子短期大学(現武庫川女子大学短期大学部)卒業。
大阪市立大空小学校初代校長として、「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」ことに情熱を注ぐ。
その取り組みを描いたドキュメンタリー映画『みんなの学校』は大きな話題を呼び、劇場公開後も全国各地で自主上映会が開催されている。
2015年に45年の教職歴をもって退職。
現在は、講演会、セミナー等に引っ張りだこで、精力的に日本じゅうを飛び回っている。
〔2019年9/5(木) 週刊女性PRIME 木村泰子〕

地域福祉映画会「みんなの学校」
不登校も特別支援学級もなく、みんなが同じ教室で学ぶ大空小学校。
児童と教職員だけでなく、保護者や地域の人も一緒になって、誰もが通い続けることができる学校を作り上げてきました。
学校が変われば地域が変わる。 そして、社会が変わってゆく。大空小学校の挑戦をぜひご覧ください。
日時・期間:12月2日(土) 14時~16時(開場13時30分)
会場:区民センター1階ホール(生玉寺町7-57)
備考:先着200名様に粗品を進呈します。
問合せ:天王寺区社会福祉協議会 地域支援担当(六万体町5-26)
TEL/6774-3377
〔天王寺区広報紙 平成29年(2017年)11月号〕

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