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思春期

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==思春期==
 
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ページ名 [[思春期 ]]  (ライフサイクル)<br>
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'''子どもに「うるさい」と言われたら…思春期の子どもとの上手な接し方'''<br>
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子育てをしているといつかはやってくる子どもの思春期。<br>
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思春期は、子どもの心と身体が成長していく大事な時期です。<br>
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悩みが多く、親に対しても批判的で、反抗的な態度をとる子どももいます。<br>
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子どもの意思を尊重してあげることも大切ですが、毅然とした態度も必要。<br>
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思春期の子どもとはどのように接すればいいのでしょうか。<br>
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'''思春期の子どもの親の心構えは?'''<br>
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思春期は、子どもが大人になる成長の過程で必ず通る道です。<br>
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身体が一気に大人へと変わるのに、精神の成長はまだ子どものままなど、変化に戸惑い不安定になりやすい思春期。<br>
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またこの時期は、親より友人を優先するようになってきたり、客観的視点が身につき始めることで、何かと悩むことが増えるのも特徴です。<br>
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客観的な視点が身につくことで、親に対しても批判的な態度をとるようになってきます。<br>
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それが親に対する「うるさい」という態度になるのです。<br>
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自立心も芽生えて干渉を嫌がりますが、かといって放任だと見捨てられたと思ってしまうなど、矛盾した言動も。<br>
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そんな複雑な時期の親として心構えとしては<br>
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・「思春期だから」と理解して認めること<br>
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・子どもの意思を尊重すること<br>
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・心の余裕を持って受け入れること<br>
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思春期の子どもを親が、「困った子」ととらえるのではなく、「自分の成長の糧を与えてくれる子」ととらえることで考え方や見方も変わってくると思います。<br>
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なかなか思春期の反抗的な子どものことを「自分の成長の糧を与えてくれる」ととらえられる保護者のかたは少ないと思いますが、そういう「心の余裕」があれば、子どもも安心して心を開けるもの。<br>
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親に心の余裕がないと子どももラクになれません。<br>
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心の余裕をもって、接してあげられるとよいですね。<br>
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思春期に、「うるさい」などと言うのは自分の意見を主張していること。<br>
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これがないということは、自分の意思をはっきりと示せず、他人の評価を気にする大人になるかもしれない、ということです。<br>
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思春期がないまま親に従う子どもは、そのときはおとなしくていいと思えるかもしれません。<br>
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でも、それでは大人になってからの自立が難しくなる可能性があるのです。<br>
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難しい時期ではありますが、きちんと大人に向かって成長しているので、とても喜ばしいことと考えて、見守ってあげましょう。<br>
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とても喜ばしいこととはいえ、親にとっても子どもにとっても苦しいと感じることも多いはず。<br>
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でも、乗り切るしかありませんよね。<br>
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思春期の子どもは、親と距離を置くことで大人になろうとしているところ。<br>
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複雑な思いや葛藤を抱いていますが、そんな内面を親に知られることに抵抗感があります。<br>
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いろいろ気になることはあると思いますが、乗り切るためには、親はできるだけ子どもの行動を詮索せず、見守る姿勢を保つこと。<br>
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思春期に反抗はつきものだと理解していれば、オロオロしたり、慌てることなく見守ることもできるはずです。<br>
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また、自立心が芽生えてくる中で、子どももさまざまな意思を持ち始めます。<br>
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それを尊重してあげることは親としてのやるべきことのひとつではありますが、子どもの要求を全部受け入れることはありません。<br>
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子どもの要求をなんでも受け入れてしまっては、子どもはわがままな人間になってしまいますよ。<br>
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許せることとダメなことの線引きは親自身がしっかりもっておくべきです。<br>
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ダメなときは毅然とした態度で否定しましょう。<br>
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そうやって親がきちんと示すことで、子どもはダメなものはダメという厳しさや、要求に折り合いをつけることを学んでいけるのです。<br>
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参考:「思春期をともに乗り越える母親力」魚住絹代 著(大和出版)<br>
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「尾木ママの 10代の子をもつ親に伝えたいこと 」尾木直樹 著(PHP文庫)<br>
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プロフィール 監修:谷圭祐<br>
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〔2020年10/11(日) ベネッセ 教育情報サイト〕<br>
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[[:カテゴリ:不登校・引きこもり質問コーナー・部外者回答編|ししゅんきのこどもとのせっしかた]]
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ページ名[[思春期]]、、(不登校のニュース、家庭・家族のニュース) <br>
 
ページ名[[思春期]]、、(不登校のニュース、家庭・家族のニュース) <br>

2020年10月21日 (水) 13:25時点における版

思春期

周辺ニュース

ページ名 思春期   (ライフサイクル)
子どもに「うるさい」と言われたら…思春期の子どもとの上手な接し方
子育てをしているといつかはやってくる子どもの思春期。
思春期は、子どもの心と身体が成長していく大事な時期です。
悩みが多く、親に対しても批判的で、反抗的な態度をとる子どももいます。
子どもの意思を尊重してあげることも大切ですが、毅然とした態度も必要。
思春期の子どもとはどのように接すればいいのでしょうか。
思春期の子どもの親の心構えは?
思春期は、子どもが大人になる成長の過程で必ず通る道です。
身体が一気に大人へと変わるのに、精神の成長はまだ子どものままなど、変化に戸惑い不安定になりやすい思春期。
またこの時期は、親より友人を優先するようになってきたり、客観的視点が身につき始めることで、何かと悩むことが増えるのも特徴です。
客観的な視点が身につくことで、親に対しても批判的な態度をとるようになってきます。
それが親に対する「うるさい」という態度になるのです。
自立心も芽生えて干渉を嫌がりますが、かといって放任だと見捨てられたと思ってしまうなど、矛盾した言動も。
そんな複雑な時期の親として心構えとしては
・「思春期だから」と理解して認めること
・子どもの意思を尊重すること
・心の余裕を持って受け入れること
思春期の子どもを親が、「困った子」ととらえるのではなく、「自分の成長の糧を与えてくれる子」ととらえることで考え方や見方も変わってくると思います。
なかなか思春期の反抗的な子どものことを「自分の成長の糧を与えてくれる」ととらえられる保護者のかたは少ないと思いますが、そういう「心の余裕」があれば、子どもも安心して心を開けるもの。
親に心の余裕がないと子どももラクになれません。
心の余裕をもって、接してあげられるとよいですね。
思春期に、「うるさい」などと言うのは自分の意見を主張していること。
これがないということは、自分の意思をはっきりと示せず、他人の評価を気にする大人になるかもしれない、ということです。
思春期がないまま親に従う子どもは、そのときはおとなしくていいと思えるかもしれません。
でも、それでは大人になってからの自立が難しくなる可能性があるのです。
難しい時期ではありますが、きちんと大人に向かって成長しているので、とても喜ばしいことと考えて、見守ってあげましょう。
詮索はしないで見守る態度で
とても喜ばしいこととはいえ、親にとっても子どもにとっても苦しいと感じることも多いはず。
でも、乗り切るしかありませんよね。
思春期の子どもは、親と距離を置くことで大人になろうとしているところ。
複雑な思いや葛藤を抱いていますが、そんな内面を親に知られることに抵抗感があります。
いろいろ気になることはあると思いますが、乗り切るためには、親はできるだけ子どもの行動を詮索せず、見守る姿勢を保つこと。
思春期に反抗はつきものだと理解していれば、オロオロしたり、慌てることなく見守ることもできるはずです。
また、自立心が芽生えてくる中で、子どももさまざまな意思を持ち始めます。
それを尊重してあげることは親としてのやるべきことのひとつではありますが、子どもの要求を全部受け入れることはありません。
子どもの要求をなんでも受け入れてしまっては、子どもはわがままな人間になってしまいますよ。
許せることとダメなことの線引きは親自身がしっかりもっておくべきです。
ダメなときは毅然とした態度で否定しましょう。
そうやって親がきちんと示すことで、子どもはダメなものはダメという厳しさや、要求に折り合いをつけることを学んでいけるのです。
参考:「思春期をともに乗り越える母親力」魚住絹代 著(大和出版)
「尾木ママの 10代の子をもつ親に伝えたいこと 」尾木直樹 著(PHP文庫)
プロフィール 監修:谷圭祐
〔2020年10/11(日) ベネッセ 教育情報サイト〕
ししゅんきのこどもとのせっしかた

周辺ニュース

ページ名思春期、、(不登校のニュース、家庭・家族のニュース)
「両親の不仲は自分のせい」…罪悪感からうつ状態になった中学生 心の回復のために親がすべきこと
関谷秀子 思春期の子どもを持つあなたに
<子どもの中学生時代を「初期思春期」と呼ぶ。
親離れが始まることで、家庭内で培われてきた価値観が、仲間との関係を通じて自分の新しいものへと作り変わっていく。
その新しい価値観を「自我理想」と呼び、思春期の発達課題の一つとなる>
自我理想とは、「自分が将来何をしたいのか」「どんな人間になりたいのか」など、子どもが描く願いや夢のこと。
「サッカー選手になりたい」「アイドルになりたい」など、幼児期に初めて将来の夢の原型が生まれます。
やがて、同性の仲間との交流を経て、より現実的で自分に合った夢へと変わっていきます。
友人と語り合ったり、比較し合ったりすることで、「自分は何がしたいのか」「自分には何ができるのか」などの考えが生まれます。過去から現在、そして未来に向けて「自分がなりたいイメージ」が「絵空事」から「がんばればできること」になっていくわけです。
より現実的なものへと書き換えられた将来の夢があるからこそ、「日々の努力をする」「受験勉強に励む」「部活をがんばる」など、実現に向けた努力が可能になります。
青白い顔で「気力が出ない。何もしたくない」と
都内に住む中学2年生B君は、中学受験の時、志望校に受からなかったため、高校受験でのリベンジを誓って、勉強に励んでいました。
将来は理系の大学に進んで勉強したいとの目標があり、1年生まではきちんと通学して、部活にも積極的に参加していました。
ところが、2年生に進級してから、「部活の友達と合わない。学校の雰囲気にもなじめない」と、時々学校を休むようになりました。
2学期になると、とうとう学校には行かなくなり、自分の部屋からも出てこなくなりました。
部屋に運ばれた食事にも手をつけなくなったため、心配した母親がクリニックに連れてきました。
初診時には明らかなうつ状態で、「気力が出ない。何もしたくない」と青白い顔でつぶやくだけでした。
そこで時間をかけて、じっくりと話を聞いたところ、ぽつりぽつりと自分の心境を話し始めました。
どうやら、B君が引きこもってしまった大きなきっかけは学校ではなく、家庭内にあるようでした。
大人のモデルであった両親が… 
<いわゆる「うつ病」と「うつ状態(抑うつ)」は区別して考える必要がある。
うつ病は「病名」であり、脳内の神経伝達をスムーズにする抗うつ薬が使われることが多い。
うつ状態は、気分の落ち込みや意欲の低下などのうつ症状がみられる「状態」を指す。
うつ状態はうつ病以外にもさまざまな原因が認められる。
例えば、ひどくショックな出来事があれば気分が落ち込んだり、やる気が出なくなるのは正常な反応としてのうつ状態だ。
うつ状態になっている原因に応じて、治療を行う必要がある>
B君には、自宅の近所に住む祖母がいました。
毎日のようにB君の家にやってきては、母親にあれこれ指図したり、父親の世話を焼いたりしていました。
父親は祖母にとって、自慢の一人息子だったのです。
母親は祖母に遠慮して、抗議ができませんでした。
父親に不満を言っても取り合ってもらえないばかりか、むしろ祖母の肩をもつことが多かったため、夫婦げんかが絶えませんでした。
そのために母親はB君がまだ小さい頃から愚痴をこぼし、父親については「あんな人と結婚しなければよかった」「あなたのお父さんは本当にひどい人だ」と言い続けてきました。
B君はそんな母親を励ましたり、慰めたりする立場でした。
B君が不登校になる前夜にも、両親の間で激しいけんかがありました。
驚いたB君がリビングルームに行くと、母親は「こんな家から出ていってやる。Bも一緒に行こう」と泣き叫び、父親の前で両親のどちらが悪いのかを無理やり言わせようとしました。
その場ではB君は何も言わず、以来、自分の部屋にこもるようになったそうです。
B君は、幼い頃から両親の確執にしょっちゅう晒(さら)されており、母親から一方的に父親の悪口を聞かされてきました。
とはいえ、大切な両親です。
心の中では父親を大切にしたい思いもあったわけです。
それがB君の心の中で大きな葛藤となり、精神を不安定な状態にしていました。
身近な大人のモデルであった両親が頻繁にけんかをしていることで、将来の自分にも明るいものを見いだせなくなっていたのです。
家族内の問題は、もちろん学校生活にも響きます。
B君の心の中の多くは両親を巡る葛藤が占め、新しい学年になった後に、なかなか親しい仲間関係を築くことができなくなりました。
「志望校の生徒になりたい」という非常に身近な自我理想を持っていたにもかかわらず、どうして急に無気力状態になってしまったのでしょうか。
友達に関心を向ける余裕もなく
<子どもは児童期と思春期で友達関係の質が変わる。
思春期になると、家庭では言えない秘密を仲間と共有し合うようになり、以前よりもはるかに親密で重要な人間関係へと変化する。
学校の中での仲間関係がうまくいかないと、いわば「社会的な交流機会」を失うことになり、自分が大人になる道筋の「どのあたりにいるのか」「前を向いて歩んでいるのか」さえもわからなくなってしまう>
両親の確執がきっかけとなって、B君の心の中にいつも暗い影がつきまとうようになりました。
その後、「お父さんとお母さんの不仲は、本当は自分のせいかもしれない」との罪悪感が離れず、友達のほうに関心を振り向ける余裕がなくなりました。
結果的に、2年生になってから学校内での親しい友人を作ることができず、夢や悩みなどを共有できる仲間が見つけられないことで、自分の現在の立ち位置も、そして将来の目標もわからなくなってしまいました。
そして、けんか続きの両親を頼ることもできず、徐々に気力が奪われていきました。
「両親の不仲は自分のせい」…罪悪感からうつ状態になった中学生 心の回復のために親がすべきこと
子どもが自我理想を取り戻すために
<「家庭」と「友人・仲間」――。日々、子どもたちが行き来している二つの居場所は、まったく別の空間でありながら、時として重なり合ったり、刺激を与え合ったりして子どもたちの成長を後押しする。
不登校や引きこもりは学校における友人・仲間関係にばかり目が行きがちになるが、きっかけが家庭内にあることも少なくない>
外来にやってきたB君の両親には親ガイダンスを実施しました。
B君の場合、うつ症状が認められましたが、それは家庭の問題に影響を受けて、B君の自我理想が喪失してしまっているからだと理解することができました。
まずは家庭内の問題を解決する必要があると考え、「祖母の自宅への介入について夫婦で話し合うこと」、さらに「B君を夫婦げんかに巻き込まない」「進路などについてはB君の意思を尊重する」ことを伝えました。
その後、両親が話し合った結果、毎日、祖母が家に来ることはなくなり、それに伴って夫婦の間の確執も減少していきました。
問題はどこにあるのか、見極めを
大切な両親の関係が改善したことで、B君は明るさを取り戻し、引きこもりがちだった自室から、外に出る機会も増えていきました。
常に澱(おり)のように心の中に沈殿していた悩みの解消が、うつ状態を脱するきっかけになったのです。
間もなく登校を再開し、仲間の輪にも積極的に入ることができるようになり、親しい友人もできました。
仲間とのコミュニケーションによって自我理想を取り戻したB君は、志望校合格に向けて再び努力を開始しました。
家庭環境、そして学校内の孤立によって、B君には無気力や抑うつ気分などのうつ症状が見られましたが、親ガイダンス、そしてカウンセリングが功を奏したことで、抗うつ剤などの投薬治療の必要はありませんでした。
発達課題が乗り越えられないために、うつ状態に陥る思春期の子どもは少なくありません。
そのため思春期の子どもの場合には、まず問題の所在がどこにあるのかをしっかり見極めなければ、同じことを繰り返す危険があります。
今現れている症状の背景にあるものとして、子どもがどのような発達段階にいて、どのような発達課題が行き詰っているのかに目を向けることが必要です。
そのような場合、親は無理やり子どもを精神科や心療内科に引っ張っていくのではなく、まずは親が医師やカウンセラーなどの専門家に相談し、子どもの今の様子やそれ以前の状態などを詳しく伝えることが大切でしょう。
そして、子どもの本当の気持ちや行動の元となっている考えをより深く理解できるように、質問や説明をする専門家を選ばれると良いでしょう。
<せきや・ひでこ>精神科医、子どものこころ専門医。
法政大学現代福祉学部教授。初台クリニック(東京・渋谷区)医師。
前関東中央病院精神科部長。
〔2018年12/25(火) 読売新聞(ヨミドクター)〕

バナナフィッシュとライ麦の思春期、その美しさ
■親たちは自分の10代の出来事やその感覚をほぼ忘れている
僕は、ひきこもりや不登校の子を持つ保護者の面談支援をここ15年以上続けてきて、この頃は発達障害や児童虐待に関わる保護者への支援が増えてきたとはいえ、時々「古典的思春期」とでもいえそうな人々の保護者と出会うことがある。
そこでは、ある日突然親と会話しなくなった我が子に対して、超絶な戸惑いを抱いてしまう親がいる。
そこでは、そうした子どもを前にして、自分の思春期をまるで忘れている親がいる。
それはそれで、親としてはよくあるパターンなので、僕は親たちを応援する。我が子に戸惑い、その発言や行動に振り回される親たちに対して、思春期の子がなぜ親に口をきかないか、なぜ夜中に彷徨するか、その意味を熱心に語る。
J.D.サリンジャーの名作『ライ麦畑でつかまえて』の主人公が、ニューヨークを数日彷徨した意味について、サリンジャーの作品名は出さないにしろ、主人公のホールデン・コールフィールド的人物がなぜ大人社会に不信感を抱くか、同級生や教師たちの既存社会に対する寛容さについてなぜ「汚い」と感じるかについて、解説する。
親たちは不思議なことに、自分の10代の出来事やその感覚をほぼ忘れている。
いや、20代以降就職し恋愛し家庭を持ち子どもができ家を買い、といった常識的な社会人史を歩んできた人には、自分の思春期の鮮烈な感覚を忘れてしまうのは普通なのかもしれない。
思春期のあの感じ、大人や同級生たちの汚さや偽善、社会規範の窮屈さ、そして自分の中にもそれらが存在することの絶望感、これらに気づいてしまいながらも言語化できないあの「逢魔が刻」(大島弓子)の数年間は、忘れたほうが生きやすい。
■バナナフィシュ
『ライ麦畑でつかまえて』では、そうした大人世界を徹底的に批判する。
そして、僕が面談仕事で聞かされる思春期の人々の彷徨と怒りと絶望は、基本的にライ麦のホールデンに似ている。
ホールデン的捉え方を「発達障害」として括る専門家もいるかもしれないが、そんなことはどっちでもいい。
社会の汚さについて「こだわりが強すぎる」、突発的な行動に対して「見通しがズレた時のパニック症状」等、どう捉えてもかまわない。
ホールデンだろうが発達障害だろうが、いまの堅苦しい社会のあり方にノンを唱えている。それはかっこいい。
サリンジャーには、短編では「バナナフィシュにうってつけの日」という名作がある。
これは有名な自殺の物語なのだが、後半に出てくるフィービーという少女が、主人公のシーモアが提示するバナナフィッシュという架空の魚に対して、シーモアに気に入られたいために「バナナフィッシュが見えた!」と合わせてくるシーンがある。
思春期は、人にまともに返事しない。
が、思春期は、人をものすごく求めている。そして、自分が心を許した人々に全幅の信頼を置く。
「バナナフィッシュ」において、シーモアはフィービーを圧倒的に信頼していた。
幼女を信頼するとはあまりに悲しいが、イノセンス(純粋さ)を追求する思春期としてはある意味自然だ。
■すべての大人は、10代には、瞬間的にバナナフィッシュは見えていた
そんな信頼対象のフィービーが、自分を気に入られたいために、架空の生き物を「見えた!」と嘘をつく。偽善を実行する。
そこに主人公は怒りを覚える。『ライ麦』のホールデンは大人社会全体の「汚さ」に怒っているが、『バナナフィッシュ』のシーモアは「仲間」の裏切り(バナナフィッシュが見えた!)に絶望感を抱く。
このふたつとも、僕は美しいと思う。
そうした感覚を、僕は保護者面談で波状的に反復して説明する(サリンジャーの作品名は言わないが)。
最初はわけがわからない保護者たちも、繰り返しこの感覚を伝えられると、自分の10代を徐々に思い出し始める。
そうすると、自分の子どもが彷徨し泣き、親を無視するその感覚を少しだけ思い出す。
すべての大人は、10代には、瞬間的にバナナフィッシュは見えていた。
〔2017/12/8(金) 田中俊英 一般社団法人officeドーナツトーク代表 〕

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