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生きづらさ

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===生きづらさ===
 
===生きづらさ===
 +
===[[:Category:周辺ニュース|周辺ニュース]]===
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ページ名[[生きづらさ]]、(死亡関係、事項百科) <br>
 +
'''若者の死因1位が「自殺」の日本、なぜそんなに生きるのが「辛い」のか'''<br>
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日本では10歳~39歳までの死因1位は「自殺」(厚生労働省自殺白書H30年度版)であり、<br>
 +
世界で比較してももロシア・韓国とともに「若者の死因自殺率」が高い<br>
 +
(厚生労働省「諸外国における自殺の現状」)。<br>
 +
'''なぜ日本は「自分の容姿満足度」が最下位なのか'''<br>
 +
日本ではそんなに生きるのが「つらい」と感じてしまうのだろうか。それはなぜだろうか。<br>
 +
22歳まで日本に生まれ育ち、ドイツにわたった雨宮紫苑さんが自身の体験を踏まえて検証する。<br>
 +
'''なんでそんなに「つらい」のか'''<br>
 +
ここ最近のトレンドなんだろうか。<br>
 +
どうにも、「生きづらい」という言葉を見かけることが多い。<br>
 +
「生きづらさを感じる人にエールを贈る」「生きづらい人のサポートをしたい」「生きづらさに負けずにがんばろう」……。<br>
 +
いたるところで気軽に使われている「生きづらい」という言葉は、改めて考えるとなかなか衝撃的だ。<br>
 +
仕事がつらいとか人間関係がつらいとかそういうレベルを通り越して、「生きる」のが「辛い」のだから。<br>
 +
実際のデータでも、悲しいことに「生きづらさ」を抱える人の多さがうかがえる。<br>
 +
たとえば厚生労働省の統計によると、15~39歳の各年代の死因第1位が自殺だ。<br>
 +
内閣府の『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』では、自分の将来のことについて心配している日本人は78.1%で、心配していない人は21.8%。<br>
 +
ちなみにドイツは56.1%と43.9%、アメリカは63.4%と36.6%、スウェーデンは49.1%と50.9%。<br>
 +
『世界幸福度ランキング』では、156か国中日本は58番目。<br>
 +
また、以前書いた記事でも紹介したとおり、自分の容姿への満足度は22ヵ国中最下位だ。<br>
 +
こういう統計を見ると、国民性もあるとはいえ、たしかに「人生楽しくてしょうがない!」「充実してる!」「自分が好き!」と迷わず言える人はかぎられているのだろうと思う。<br>
 +
では、いったいなにがそんなに日本人を生きづらくしているんだろう? <br>
 +
それはたぶん、「こうすべき」という固定概念だ。<br>
 +
'''日本に生まれ育った私が初めてドイツへ'''<br>
 +
大学2年生の夏休み、わたしははじめてドイツを訪れた。<br>
 +
現地の大学が提供する1ヶ月のサマーコースに参加するためだ。<br>
 +
それまでわたしは、日本人両親のもとに生まれ、日本で育ち、日本語を母語とする日本人としか関わったことがなかった。<br>
 +
わたし自身も日本生まれ日本育ちだ。<br>
 +
そんなわたしが、ドイツ滞在の1ヵ月間で、世界中からやってきたいろいろな人と出会うこととなる。<br>
 +
就職回避のために片っ端から奨学金を申し込んで各国を留学ハシゴしているオーストラリア人。<br>
 +
5ヵ国語話せる中国人。<br>
 +
留学はカモフラージュで将来の出稼ぎ準備で来たルーマニア人。<br>
 +
留学中でも週末は実家に帰って恋人と会うフランス人。<br>
 +
家賃と生活費が安いドイツに留学するかたちをとって、大好きなスイス旅行に行きまくり授業にまったく来ないアメリカ人。<br>
 +
テストに遅刻するのがイヤだから、大学の駐車場で車内泊をしたというチェコ人もいた。<br>
 +
出身国を紹介する授業で「チェコのお酒をもってきました」と振舞ったお酒のアルコール度数は、なんと40%! 何気なく飲んだわたしは酔っ払って早退することに……。<br>
 +
そうそう、日本語がとても上手なブルガリア人女性とも仲良くなった。<br>
 +
舌ピアス、葉巻を咥え、腕にはがっつりタトゥー。<br>
 +
日本だったら絶対に関わらなかったであろうタイプだけど、なぜか気があったのだ。<br>
 +
ブルガリアでは誕生日の人がまわりの人にプレゼントをする文化らしく、彼女の誕生日に手作りクッキーをもらった。<br>
 +
「就職活動は当然するもの」。<br>
 +
ドイツのサマースクールに行くまで、雨宮さんはそう思っていた Photo by iStock <br>
 +
'''世界は広かった!''' <br>
 +
年齢も、母語も、文化も、宗教観も、なにもかもがちがう人たち。<br>
 +
そんな人たちと出会ったことで、わたしのなかの「こうあるべき」は、たった1ヵ月でことごとく崩れ去った。<br>
 +
なーんだ、大卒でそのまま就職しなくても死にはしないじゃん。<br>
 +
海外でも住んでみりゃどうにかなるじゃん。<br>
 +
年齢や偏差値なんて日本を出たらだれも気にしないじゃん。<br>
 +
いろんな人がいて当然! そう思うようになったのだ。<br>
 +
サマーコースに参加する前のわたしは、「高校を卒業していい大学に行き、大手企業に就職し、結婚して子どもを産む」という未来を漠然と思い描いていた。<br>
 +
でも、世界は広い。そういう生き方だっていいけど、そうじゃない生き方だっていい。<br>
 +
どうやって生きていくかは、自分で選ぶもの。<br>
 +
大学2年生のわたしは、そんなことすら知らなかった。<br>
 +
日本にはわりと明確な人生の規定路線があって、気がづいたら「多数派」という流れるプールのなかでみんなと一緒に流されていくことが多い。<br>
 +
受験生なら塾に行って勉強しましょう。大学生は早いうちから就活をしましょう。<br>
 +
新卒入社したらできるだけ3年は勤めましょう。<br>
 +
わたしのようなアラサーの女性は、「結婚」「出産」という使命を果たすことを期待されることも少なくない。<br>
 +
そうやって「当然」を刷り込まれていくうちに、いつのまにかそれ以外の選択肢を削り取られてしまうのだ。<br>
 +
まるで、ほかの選択肢なんて存在していないかのように。<br>
 +
'''押し付けるの、やめませんか'''<br>
 +
日本は年功序列がいまだ根強く、学校生活から年齢による上下関係を叩き込まれる。<br>
 +
そんななかでは、「一度勤めて大学に入りなおす」「40歳で転職、ゼロからキャリアをスタート」ということはむずかしい。<br>
 +
でも問題は、そういった制度的なことだけでなく、自分のなかの「こうあったほうがいい」を他人に対して「こうすべき」と押し付ける人が多いことだと思う。<br>
 +
たとえば学校の黒髪強制。<br>
 +
「30代なのにミニスカートを履くなんてみっともない」と他人のファッションに口を出したり、「結婚したなら旦那さんにおいしい料理つくらないとかわいそうでしょ」と首を突っ込んだりするのもそうだ。<br>
 +
自分は多数派に所属するごくふつうの人間だから、自分の価値観は正しい。<br>
 +
そう信じて疑わず、平気な顔で他人に「こうすべき」と言ってくる人が多すぎる! <br>
 +
「多様な価値観を認めます」というスタンスの人も、このご時勢だいぶ増えてきてはいる。<br>
 +
でも、自分のなかの規格から外れた人をどう扱っていいかわからず持て余すことはあるだろう。<br>
 +
'''「60歳で東大合格」'''<br>
 +
という見出しを見ればみんな「すごい!」と誉めそやすが、実際同じゼミにいる60歳の学生に声をかける人は少数ではないだろうか。<br>
 +
小学生不登校youtuberを応援したとしても、採用面接で「ずっと不登校で動画を上げていました」と言われたら採用をしぶる人が大半じゃないだろうか。<br>
 +
現実なんてそんなものだ。<br>
 +
「こうあるべき」論が強いから、そこからはみ出た人は異物として扱われ、浮いてしまう。<br>
 +
だから少数派は、いつだって生きづらさを抱えることになる。<br>
 +
'''「異端者」は「裏切者」じゃない'''<br>
 +
じゃあ多数派に所属すれば万々歳かというと、そうでもないのもまた問題だ。<br>
 +
多数派に所属しているからって、仲間と手を繋いで仲良しこよし、というわけではない。 <br>
 +
「この場で自分は異物じゃないか?」と常に不安が付きまとう。<br>
 +
お互いを牽制しあって「異端者はいないか?」と目を光らせていることも結構ある。<br>
 +
多数派という枠から飛び出すときは、よっぽどうまくやらないと「裏切り者」かのように言われがちだ。<br>
 +
だから、多数派からこぼれてしまわないよう、できるだけ目立たず平凡に生きようと、自分の自由を自分で縛らざるをえない。<br>
 +
というのも、ドイツで暮らすようになってから、「こうだったらいいのになぁ」と口だけで言う日本人がとても多いことに気がついたのだ。<br>
 +
「もう少し若ければ」「お金があったら」「家事を手伝う夫と結婚していれば」「5キロやせていれば」「いい大学を出ていれば」……。<br>
 +
ドイツに移住後、「いいなー。わたしも海外住みたい!」となんどもなんども言われた。<br>
 +
でも、「住めば?」というと「わたしには無理だよ」と言う。<br>
 +
「フリーランスとして働けば楽しいだろうなぁ」と言う人に「じゃあ独立すれば?」と言えば、これまた「現実的には無理だけどね」と返される。<br>
 +
ソの気になれば実現しそうな理想ですら、「いやいや無理だよ~」「そこまで本気じゃないし(笑)」と諦めて、笑いながら「いいなぁ」と言い続ける。<br>
 +
多数派への忖度に慣れすぎていて、自分の可能性を信じられない思考回路になっているみたいだ。<br>
 +
諦めることがあまりにも当然だから、「なんであいつは能天気に夢を追いかけているんだ」「そんなの失敗するに決まってるからやめておけ」と他人の可能性も奪いたくなるのかもしれない。<br>
 +
自分だって諦めたんだから、お前も諦めろ、と。<br>
 +
だから多数派も少数派も、みんな息苦しい。<br>
 +
'''他人と比較して「つらい」なんてナンセンス'''<br>
 +
ありきたりな着地点ではあるけど、やっぱり「こうあるべき」を減らすことが大切だと思う。<br>
 +
というか、「こうありたい」ならともかく、「こうあるべき」なんてだいたいの場合が個人の好みや希望、気のせいでしかない。<br>
 +
世の中には、大学を中退して起業した人、20代半ばから大学に入り直した人、40歳で単身海外移住に挑戦した人がいる。<br>
 +
もっと広い世界を見てみれば、自分の固定概念が幻想だとも気づけるのだ。<br>
 +
もちろん法律やら公衆道徳やらは気にしなければならないし、生まれ育った環境によって選択肢も変わるだろう。<br>
 +
それでも未来はもっと柔軟に選べるものだと思うし、そうであってほしい。<br>
 +
青臭いかもしれないけど、20歳までまともに海外に行ったことがなく、出版社やメディア関係で働いたこともないわたしが、ドイツで文章を書いて生活できているのだ。<br>
 +
ちょっと外に目を向ければ、自由に楽しくやってる人だって案外いるし、テレビで取り上げられるような「オモシロイ人生を送っている人」にあなたがなっちゃえばいい。<br>
 +
「生きづらい」が出発点の社会なんてまっぴらごめんだ。<br>
 +
「こうすべき」とお互いの首を絞めてないで、「こういうのもありだよね」「こうなりたいな」という気持ちが尊重されるようになってほしいと思う。<br>
 +
〔2019年8/10(土)現代ビジネス 雨宮紫苑〕 <br>
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[[ひなぎく心理ルーム]] (京都府京都市左京区)<br>
 
[[ひなぎく心理ルーム]] (京都府京都市左京区)<br>
 
[[のぞえ総合心療病院]] (福岡県久留米市)<br>
 
[[のぞえ総合心療病院]] (福岡県久留米市)<br>

2019年9月4日 (水) 13:54時点における版

生きづらさ

周辺ニュース

ページ名生きづらさ、(死亡関係、事項百科)
若者の死因1位が「自殺」の日本、なぜそんなに生きるのが「辛い」のか
日本では10歳~39歳までの死因1位は「自殺」(厚生労働省自殺白書H30年度版)であり、
世界で比較してももロシア・韓国とともに「若者の死因自殺率」が高い
(厚生労働省「諸外国における自殺の現状」)。
なぜ日本は「自分の容姿満足度」が最下位なのか
日本ではそんなに生きるのが「つらい」と感じてしまうのだろうか。それはなぜだろうか。
22歳まで日本に生まれ育ち、ドイツにわたった雨宮紫苑さんが自身の体験を踏まえて検証する。
なんでそんなに「つらい」のか
ここ最近のトレンドなんだろうか。
どうにも、「生きづらい」という言葉を見かけることが多い。
「生きづらさを感じる人にエールを贈る」「生きづらい人のサポートをしたい」「生きづらさに負けずにがんばろう」……。
いたるところで気軽に使われている「生きづらい」という言葉は、改めて考えるとなかなか衝撃的だ。
仕事がつらいとか人間関係がつらいとかそういうレベルを通り越して、「生きる」のが「辛い」のだから。
実際のデータでも、悲しいことに「生きづらさ」を抱える人の多さがうかがえる。
たとえば厚生労働省の統計によると、15~39歳の各年代の死因第1位が自殺だ。
内閣府の『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』では、自分の将来のことについて心配している日本人は78.1%で、心配していない人は21.8%。
ちなみにドイツは56.1%と43.9%、アメリカは63.4%と36.6%、スウェーデンは49.1%と50.9%。
『世界幸福度ランキング』では、156か国中日本は58番目。
また、以前書いた記事でも紹介したとおり、自分の容姿への満足度は22ヵ国中最下位だ。
こういう統計を見ると、国民性もあるとはいえ、たしかに「人生楽しくてしょうがない!」「充実してる!」「自分が好き!」と迷わず言える人はかぎられているのだろうと思う。
では、いったいなにがそんなに日本人を生きづらくしているんだろう? 
それはたぶん、「こうすべき」という固定概念だ。
日本に生まれ育った私が初めてドイツへ
大学2年生の夏休み、わたしははじめてドイツを訪れた。
現地の大学が提供する1ヶ月のサマーコースに参加するためだ。
それまでわたしは、日本人両親のもとに生まれ、日本で育ち、日本語を母語とする日本人としか関わったことがなかった。
わたし自身も日本生まれ日本育ちだ。
そんなわたしが、ドイツ滞在の1ヵ月間で、世界中からやってきたいろいろな人と出会うこととなる。
就職回避のために片っ端から奨学金を申し込んで各国を留学ハシゴしているオーストラリア人。
5ヵ国語話せる中国人。
留学はカモフラージュで将来の出稼ぎ準備で来たルーマニア人。
留学中でも週末は実家に帰って恋人と会うフランス人。
家賃と生活費が安いドイツに留学するかたちをとって、大好きなスイス旅行に行きまくり授業にまったく来ないアメリカ人。
テストに遅刻するのがイヤだから、大学の駐車場で車内泊をしたというチェコ人もいた。
出身国を紹介する授業で「チェコのお酒をもってきました」と振舞ったお酒のアルコール度数は、なんと40%! 何気なく飲んだわたしは酔っ払って早退することに……。
そうそう、日本語がとても上手なブルガリア人女性とも仲良くなった。
舌ピアス、葉巻を咥え、腕にはがっつりタトゥー。
日本だったら絶対に関わらなかったであろうタイプだけど、なぜか気があったのだ。
ブルガリアでは誕生日の人がまわりの人にプレゼントをする文化らしく、彼女の誕生日に手作りクッキーをもらった。
「就職活動は当然するもの」。
ドイツのサマースクールに行くまで、雨宮さんはそう思っていた Photo by iStock
世界は広かった! 
年齢も、母語も、文化も、宗教観も、なにもかもがちがう人たち。
そんな人たちと出会ったことで、わたしのなかの「こうあるべき」は、たった1ヵ月でことごとく崩れ去った。
なーんだ、大卒でそのまま就職しなくても死にはしないじゃん。
海外でも住んでみりゃどうにかなるじゃん。
年齢や偏差値なんて日本を出たらだれも気にしないじゃん。
いろんな人がいて当然! そう思うようになったのだ。
サマーコースに参加する前のわたしは、「高校を卒業していい大学に行き、大手企業に就職し、結婚して子どもを産む」という未来を漠然と思い描いていた。
でも、世界は広い。そういう生き方だっていいけど、そうじゃない生き方だっていい。
どうやって生きていくかは、自分で選ぶもの。
大学2年生のわたしは、そんなことすら知らなかった。
日本にはわりと明確な人生の規定路線があって、気がづいたら「多数派」という流れるプールのなかでみんなと一緒に流されていくことが多い。
受験生なら塾に行って勉強しましょう。大学生は早いうちから就活をしましょう。
新卒入社したらできるだけ3年は勤めましょう。
わたしのようなアラサーの女性は、「結婚」「出産」という使命を果たすことを期待されることも少なくない。
そうやって「当然」を刷り込まれていくうちに、いつのまにかそれ以外の選択肢を削り取られてしまうのだ。
まるで、ほかの選択肢なんて存在していないかのように。
押し付けるの、やめませんか
日本は年功序列がいまだ根強く、学校生活から年齢による上下関係を叩き込まれる。
そんななかでは、「一度勤めて大学に入りなおす」「40歳で転職、ゼロからキャリアをスタート」ということはむずかしい。
でも問題は、そういった制度的なことだけでなく、自分のなかの「こうあったほうがいい」を他人に対して「こうすべき」と押し付ける人が多いことだと思う。
たとえば学校の黒髪強制。
「30代なのにミニスカートを履くなんてみっともない」と他人のファッションに口を出したり、「結婚したなら旦那さんにおいしい料理つくらないとかわいそうでしょ」と首を突っ込んだりするのもそうだ。
自分は多数派に所属するごくふつうの人間だから、自分の価値観は正しい。
そう信じて疑わず、平気な顔で他人に「こうすべき」と言ってくる人が多すぎる! 
「多様な価値観を認めます」というスタンスの人も、このご時勢だいぶ増えてきてはいる。
でも、自分のなかの規格から外れた人をどう扱っていいかわからず持て余すことはあるだろう。
「60歳で東大合格」
という見出しを見ればみんな「すごい!」と誉めそやすが、実際同じゼミにいる60歳の学生に声をかける人は少数ではないだろうか。
小学生不登校youtuberを応援したとしても、採用面接で「ずっと不登校で動画を上げていました」と言われたら採用をしぶる人が大半じゃないだろうか。
現実なんてそんなものだ。
「こうあるべき」論が強いから、そこからはみ出た人は異物として扱われ、浮いてしまう。
だから少数派は、いつだって生きづらさを抱えることになる。
「異端者」は「裏切者」じゃない
じゃあ多数派に所属すれば万々歳かというと、そうでもないのもまた問題だ。
多数派に所属しているからって、仲間と手を繋いで仲良しこよし、というわけではない。 
「この場で自分は異物じゃないか?」と常に不安が付きまとう。
お互いを牽制しあって「異端者はいないか?」と目を光らせていることも結構ある。
多数派という枠から飛び出すときは、よっぽどうまくやらないと「裏切り者」かのように言われがちだ。
だから、多数派からこぼれてしまわないよう、できるだけ目立たず平凡に生きようと、自分の自由を自分で縛らざるをえない。
というのも、ドイツで暮らすようになってから、「こうだったらいいのになぁ」と口だけで言う日本人がとても多いことに気がついたのだ。
「もう少し若ければ」「お金があったら」「家事を手伝う夫と結婚していれば」「5キロやせていれば」「いい大学を出ていれば」……。
ドイツに移住後、「いいなー。わたしも海外住みたい!」となんどもなんども言われた。
でも、「住めば?」というと「わたしには無理だよ」と言う。
「フリーランスとして働けば楽しいだろうなぁ」と言う人に「じゃあ独立すれば?」と言えば、これまた「現実的には無理だけどね」と返される。
ソの気になれば実現しそうな理想ですら、「いやいや無理だよ~」「そこまで本気じゃないし(笑)」と諦めて、笑いながら「いいなぁ」と言い続ける。
多数派への忖度に慣れすぎていて、自分の可能性を信じられない思考回路になっているみたいだ。
諦めることがあまりにも当然だから、「なんであいつは能天気に夢を追いかけているんだ」「そんなの失敗するに決まってるからやめておけ」と他人の可能性も奪いたくなるのかもしれない。
自分だって諦めたんだから、お前も諦めろ、と。
だから多数派も少数派も、みんな息苦しい。
他人と比較して「つらい」なんてナンセンス
ありきたりな着地点ではあるけど、やっぱり「こうあるべき」を減らすことが大切だと思う。
というか、「こうありたい」ならともかく、「こうあるべき」なんてだいたいの場合が個人の好みや希望、気のせいでしかない。
世の中には、大学を中退して起業した人、20代半ばから大学に入り直した人、40歳で単身海外移住に挑戦した人がいる。
もっと広い世界を見てみれば、自分の固定概念が幻想だとも気づけるのだ。
もちろん法律やら公衆道徳やらは気にしなければならないし、生まれ育った環境によって選択肢も変わるだろう。
それでも未来はもっと柔軟に選べるものだと思うし、そうであってほしい。
青臭いかもしれないけど、20歳までまともに海外に行ったことがなく、出版社やメディア関係で働いたこともないわたしが、ドイツで文章を書いて生活できているのだ。
ちょっと外に目を向ければ、自由に楽しくやってる人だって案外いるし、テレビで取り上げられるような「オモシロイ人生を送っている人」にあなたがなっちゃえばいい。
「生きづらい」が出発点の社会なんてまっぴらごめんだ。
「こうすべき」とお互いの首を絞めてないで、「こういうのもありだよね」「こうなりたいな」という気持ちが尊重されるようになってほしいと思う。
〔2019年8/10(土)現代ビジネス 雨宮紫苑〕

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