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豊島子どもWAKUWAKUネットワーク

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男性を支援してきたNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」(東京都豊島区)の栗林知絵子理事長(49)が、支援を申し出た人と男性をつないだ。<br>
 
男性を支援してきたNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」(東京都豊島区)の栗林知絵子理事長(49)が、支援を申し出た人と男性をつないだ。<br>
 
男性は5人から計78万円を受け取った。自分で稼いだ金額と合わせ、1月までに全額を福祉事務所に支払うことができたという。<br>
 
男性は5人から計78万円を受け取った。自分で稼いだ金額と合わせ、1月までに全額を福祉事務所に支払うことができたという。<br>
男性が最初に「いま子どもたちは」に登場したのは高校2年の2013年8月。母と2人暮らしで生活保護を受けていたが、アルバイトが福祉事務所に発覚し、稼いだ全額を納めるよう迫られていた。昨年11月の記事は、男性のその後を追った内容だった。千葉市の女性(62)は男性に直接会って50万円を渡した。<br>
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男性が最初に「いま子どもたちは」に登場したのは高校2年の2013年8月。母と2人暮らしで生活保護を受けていたが、アルバイトが福祉事務所に発覚し、稼いだ全額を納めるよう迫られていた。<br>
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昨年11月の記事は、男性のその後を追った内容だった。千葉市の女性(62)は男性に直接会って50万円を渡した。<br>
 
「3年前に記事を読んでから、ずっと気になっていた。大学進学を目指して働いていたのに、どうしてそのお金を国に返さなければいけないのか。制度の不備だと思った」と話す。<br>
 
「3年前に記事を読んでから、ずっと気になっていた。大学進学を目指して働いていたのに、どうしてそのお金を国に返さなければいけないのか。制度の不備だと思った」と話す。<br>
 
夫と相談のうえ、支援を決めたという。<br>
 
夫と相談のうえ、支援を決めたという。<br>

2016年8月26日 (金) 14:34時点における版

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ページ名:豊島子どもWAKUWAKUネットワーク、パンくず上
僕が立派になることが恩返し 「いま子どもたちは」登場、福祉事務所に借金の男性

進学や生活のために稼いだアルバイト収入約95万円を福祉事務所に納めることになった――。
昨年11月、「いま子どもたちは」にそんな当時19歳の男性が登場した。
掲載後、「支援したい」との問い合わせが相次いだ。今年20歳になった男性は新たな仕事に就き、いま沖縄で暮らす。
寄せられた支援で全額を支払うことができたという。 問い合わせの電話や手紙、メールは十数人から朝日新聞社に届いた。
男性を支援してきたNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」(東京都豊島区)の栗林知絵子理事長(49)が、支援を申し出た人と男性をつないだ。
男性は5人から計78万円を受け取った。自分で稼いだ金額と合わせ、1月までに全額を福祉事務所に支払うことができたという。
男性が最初に「いま子どもたちは」に登場したのは高校2年の2013年8月。母と2人暮らしで生活保護を受けていたが、アルバイトが福祉事務所に発覚し、稼いだ全額を納めるよう迫られていた。
昨年11月の記事は、男性のその後を追った内容だった。千葉市の女性(62)は男性に直接会って50万円を渡した。
「3年前に記事を読んでから、ずっと気になっていた。大学進学を目指して働いていたのに、どうしてそのお金を国に返さなければいけないのか。制度の不備だと思った」と話す。
夫と相談のうえ、支援を決めたという。
神奈川県のシングルマザーの女性(41)は「職場は普段ボーナスがないのですが、特別に4万円の支給があったので」と2万円を支援した。
「私は周囲に支えてくれる人がいた。男性は偶然恵まれない家庭に生まれ、働いたお金も借金になってしまった。やり切れない気持ちになった」。高校生の一人息子がおり、人ごとと思えなかった。
「これからも前向きに、精いっぱい生きて欲しい」 横浜市の50代のパート女性は「大学生と高校生の息子3人の児童手当が通帳に20万円残っているので支援したい」と手紙を寄せた。
男性からは「借金を無事返済できました」とお礼の手紙が届いた。
女性は「苦労や困難があっても、どうかくじけず生きていって」とエールを送る。
大阪府の女性(57)は小学生の2人の息子を抱えて離婚。仕事を掛け持ちしながら育てた。「すぐに使う予定のない100万円を無利子、返済期限なしで使っていただければ」とメールを寄せた。
男性にお金を貸すには至らなかったが、「救われたと聞きほっとした。今後は周囲の助けも借りながら自分を大切に生きて欲しい」と話した。
「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」の栗林理事長は「家庭環境に恵まれなかった男性にとって、自分のことを真剣に考えてくれる大人がいたことは、今後、困難を乗り越えていく支えになるはず」と話す。
高校卒業後、地元の住宅設備機器の販売会社に就職した男性は、「借金から解放され、すごく前向きな気持ちになれた」と言う。
新たな仕事に挑戦したいと4月に営業の仕事に転職。現在は沖縄で暮らす。進学を諦めたわけではないが、当面は仕事を頑張り、将来に向けてお金をためるつもりだ。
「僕が立派な大人になることが、支援して下さった方々への恩返し。だから誰も知らない土地で頑張れている。本当に感謝しています」 もっと厳しい境遇の中で頑張っている子もいる。
いつか、そんな子どもたちの力になりたい。男性はそう考えている。 ◇男性が登場した「いま子どもたちは」 ○「欲しいって言わない」(2013年8月28、29日付) 当時高校2年生。母と東京都板橋区のアパートで、生活保護を受けながら暮らしていた。
母から食べ物もお金ももらえず、「働いて」と言われ、アルバイトを続けた。収入の一部は大学進学にあてるつもりで、税理士になるのが夢だった。
ところが、収入を申告していなかったため、稼いだ全額の約70万円を福祉事務所に支払うことに。
「遊びに使ったわけじゃない。何で俺が『借金』を背負わなきゃいけないんだろう」。進学は諦めた。 ○「あれから」(2015年11月29日付) 返済総額は最終的に約95万円になった。高校卒業後に就職し、仕事に必要な運転免許の講習代約17万円を会社に借りた。
月の手取り約16万円から福祉事務所や会社への返済、寮費などを払うとほとんど残らない。
「いつか会計士になって、力を試したい」 〔2016年7月31日・貧困ネット、◆平成28(2016)年7月22日 朝日新聞 東京朝刊〕 

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