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長崎県立佐世保中央高等学校 通信制課程

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ページ名 [[長崎県立佐世保中央高等学校 通信制課程]] 長崎県佐世保市(通信制高校・長崎県、) <br>
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スケートボードが2人の「居場所」に
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'''不登校乗り越え、夢語る スケートボードが2人の「居場所」に'''<br>
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長崎県佐世保市の県立佐世保中央高通信制1年福田栞奈さん(16)と浦田アリーヤ真名美さん(16)の2人は、中学時代に不登校を経験した。<br>
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理由はそれぞれ違うが、今は学校に通えるようになった。<br>
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乗り越えるきっかけをくれたのはスケートボードだった。<br>
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どうして2人は不登校になったのか。<br>
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福田さんの場合「理由ははっきり分からない」。<br>
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小学生の頃は友達も多く、習い事をいくつも掛け持ちしていた。勉強も頑張っていた。<br>
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でも、中学1年の夏休み前から少しずつ学校を休むように。夜型の生活に慣れてしまい、夏休み明けにはほとんど登校しなくなった。<br>
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浦田さんの場合は「いじめ」だった。<br>
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アフリカ系アメリカ人の父と日本人の母のハーフとして佐世保で生まれた。<br>
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親の仕事の関係で米国や欧州など転居を繰り返し、小学6年時に再び佐世保に戻った。<br>
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小学校時代、暴言を浴びせられたり、トイレで水を掛けられたりするなどのいじめに遭った。<br>
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海外では「アジア人だから」と嫌がらせを受けた。どこにも居場所なんてなかった。<br>
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「髪の毛を染めてるだろ」「日本語は分かるのか」。<br>
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中学に入ると、教員らからも無理解な言葉を投げ付けられた。<br>
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家庭不和も生じ家に居ることすら苦痛に。<br>
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夜遊びを始め、学校に行かないことが増え、家にも帰らなくなった。<br>
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そんな2人の心の支えがスケートボードだった。<br>
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福田さんは、不登校になる少し前の中学1年の6月頃に始めた。<br>
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同市花園町の専門店「BRIGHT IDEA」を家族でたまたま訪れ、ボードを購入。<br>
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「ボードに乗ると楽しかった」と福田さん。<br>
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学校に行く代わりに店に顔を出し、店主の冨田拓郎さん(43)と話した。<br>
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罪悪感を抱えていた福田さん。<br>
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「学校に行かないって自分で決めたなら、堂々としてればいいよ」と冨田さんに言葉を掛けられ、救われた気がした。<br>
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それから、不登校の自分を否定することをやめた。<br>
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浦田さんは中学2年にスケートボードと出合った。<br>
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スケーターはありのままの自分に自信を持っていて「輝いて見えた」。<br>
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冨田さんの店に通うようになり、同じく不登校だった福田さんとも気心が通じるように。<br>
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「居場所」が見つかった気がした。以来夜遊びはやめ、学校にも足が向くようになった。<br>
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2人は今、週に数回、午前中は学校で勉強をして、午後はほぼ毎日、佐世保市平瀬町の佐世保公園内にあるスケボーエリア、通称「パーク」で練習に励む生活を送る。<br>
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「不登校」は過去形になった。同店の冨田さんは「スケボーが子どもたちの帰る場所になればいい」と温かく見守る。<br>
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福田さんが「留学したい。大学も行けたら」と将来の夢を語りながらはにかめば、浦田さんは「貧しい子にスケボーを教えたい」と目を輝かせる。<br>
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風を切って、ボードで滑りだす彼女たちの背中が大きく、頼もしくも見えた。<br>
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〔2020年9/27(日) 長崎新聞〕<br>

2020年10月9日 (金) 15:12時点における版


長崎県立佐世保中央高等学校 通信制課程

所在地 〒857-0017 佐世保市梅田町10-14
TEL 0956-22-7719
FAX 0956-23-5116


周辺ニュース

ページ名 長崎県立佐世保中央高等学校 通信制課程 長崎県佐世保市(通信制高校・長崎県、)
スケートボードが2人の「居場所」に 不登校乗り越え、夢語る スケートボードが2人の「居場所」に
長崎県佐世保市の県立佐世保中央高通信制1年福田栞奈さん(16)と浦田アリーヤ真名美さん(16)の2人は、中学時代に不登校を経験した。
理由はそれぞれ違うが、今は学校に通えるようになった。
乗り越えるきっかけをくれたのはスケートボードだった。
どうして2人は不登校になったのか。
福田さんの場合「理由ははっきり分からない」。
小学生の頃は友達も多く、習い事をいくつも掛け持ちしていた。勉強も頑張っていた。
でも、中学1年の夏休み前から少しずつ学校を休むように。夜型の生活に慣れてしまい、夏休み明けにはほとんど登校しなくなった。
浦田さんの場合は「いじめ」だった。
アフリカ系アメリカ人の父と日本人の母のハーフとして佐世保で生まれた。
親の仕事の関係で米国や欧州など転居を繰り返し、小学6年時に再び佐世保に戻った。
小学校時代、暴言を浴びせられたり、トイレで水を掛けられたりするなどのいじめに遭った。
海外では「アジア人だから」と嫌がらせを受けた。どこにも居場所なんてなかった。
「髪の毛を染めてるだろ」「日本語は分かるのか」。
中学に入ると、教員らからも無理解な言葉を投げ付けられた。
家庭不和も生じ家に居ることすら苦痛に。
夜遊びを始め、学校に行かないことが増え、家にも帰らなくなった。
そんな2人の心の支えがスケートボードだった。
福田さんは、不登校になる少し前の中学1年の6月頃に始めた。
同市花園町の専門店「BRIGHT IDEA」を家族でたまたま訪れ、ボードを購入。
「ボードに乗ると楽しかった」と福田さん。
学校に行く代わりに店に顔を出し、店主の冨田拓郎さん(43)と話した。
罪悪感を抱えていた福田さん。
「学校に行かないって自分で決めたなら、堂々としてればいいよ」と冨田さんに言葉を掛けられ、救われた気がした。
それから、不登校の自分を否定することをやめた。
浦田さんは中学2年にスケートボードと出合った。
スケーターはありのままの自分に自信を持っていて「輝いて見えた」。
冨田さんの店に通うようになり、同じく不登校だった福田さんとも気心が通じるように。
「居場所」が見つかった気がした。以来夜遊びはやめ、学校にも足が向くようになった。
2人は今、週に数回、午前中は学校で勉強をして、午後はほぼ毎日、佐世保市平瀬町の佐世保公園内にあるスケボーエリア、通称「パーク」で練習に励む生活を送る。
「不登校」は過去形になった。同店の冨田さんは「スケボーが子どもたちの帰る場所になればいい」と温かく見守る。
福田さんが「留学したい。大学も行けたら」と将来の夢を語りながらはにかめば、浦田さんは「貧しい子にスケボーを教えたい」と目を輝かせる。
風を切って、ボードで滑りだす彼女たちの背中が大きく、頼もしくも見えた。
〔2020年9/27(日) 長崎新聞〕

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