昨日の続きです。もう一つのテーマ「貧しさの持つ教育力」は、主に私の経験したことを書きましょう。
相手のベテランの先生は母子家庭で育ったということです。以前働いていた学校は入学費がなく、開設者はお金がなくても受け入れようと始めたそうです。それにとても共感できたのは、自身の子ども時代の経験があるからです。
私は超貧乏な家庭で育ちました。特に中学校・高校時代はひどくて、家庭の事情から母と弟の3人で納屋と呼ばれるの5、6畳の物置に住んでいました。中学3年のときは高校進学を止めようとしたこともありましたが、母は私がそんなことを考えているとは予想していなかったのです。
高校の担任が家庭訪問をするというので、一緒に自宅に向かう途中で逃げ出したくなったことを思い出しました。
国鉄の定期券の切れたのをごまかして使ったのがバレたことがありました。当時は自動改札ではなく駅員が定期券をチェックしていたのです。田舎のことですぐに母には伝わりました。母は「イナゲなことをするな」と一言。おかしなことをするな、という意味です。新聞配達をしていて、ちょっとした事故があり、ジャンパーの肘のところが擦り切れていました。それをみて「どうした?」と問われましたが、「ぶつかった」と答えました。実は寒くなると痛むほどの“後遺症”が出るものでした。母は“何か隠して…”とつぶやいていました。英語の先生が週1回の補習授業を組んだのですが参考書を買えずに“欠席”していました。
母はいろんなことはわかっていたと思いますが、多くは言いません。母は信用していたと思いますが、それは何でも正直にというのとは少し違います。「自分で考えてやれ、それは信用している」ということだと思います。
中学生や高校生の時期に、子どもが生活の貧しさを解消する手段はほとんどありません。朝の新聞配達、夕の家庭教師、休日はアルバイト仕事をして、高校の学費は自分で稼ぎました(2年生の途中からは家庭訪問に来た先生のおかげで授業料は免除)。夏休みの間は、親戚筋から借りていた畑で弟とジャガイモを掘りそれにバターをつけるだけの朝食を続けたことがあります。生活費も節約したのです。
母が信用したのは、そういう超貧困生活において自分らにできることをしていると認めたからでしょう。
貧しさは確かに、子どもを荒廃させることがあります。そういうときに大事なのは親の姿勢です。
子どもが荒廃するのはそのときに親が何をしているかによります。母は40代の後半から50代でした。看護婦資格があり、近くの医院でアルバイトをしていましたが、小さな医院で常勤ではありません。築港の肉体労働をし、夜は若い漁師たちの衣類の仕立て直しなどミシン仕事を続けていました。母が自分の腕にアリナミン注射をしているのをしょっちゅう見ました。
こういう姿は、子どもには「早く働いて助けないとまずい」という気持ちにさせるものです。これが貧しさの教育力というものです。もちろんこれは私のケースであり、人さまざまなものになるはずです。
親か荒廃していては、子どもも崩れてしまいます。貧しいことは恥ずかしいことではないし、貧しさに負けるなとは違います。貧しくとも貧しい姿で、健全に生活できる時代でした。親の姿勢が子どもを育てるのです。それはいまも同じでしょう。
30年ほど前の教育編集者をしていた時期のことです。非行生を受け入れていた長野の篠ノ井旭高校の若林繁太先生から話を聞く機会がありました。「これまでの教育は貧しい時代の教育でした。これからは豊かな時代の教育方法が必要になります」と語っていたのが記憶に残っています。豊かな時代の教育方法はいまだ確立していないのです。