不登校に「本気で」取り組むとは何か

10年以上前に顔を会わせたことのある通信制サポート校の先生が来られました。不登校生に対応する教育機関で長く働いているベテランです。
今回は、「学校現場にいると逆にわからなくなることもあるので、意見を聞かせて欲しい」ということでした。私は、「それぞれの学校の内実はわかりませんが、匂いのようなものは感じられます」ということで、多くの問題の意見交換をさせていただきました。
話題になったうちから、2点をここで紹介します。第一は、学校として「本気で」不登校生に対処するとはどういうことか。教育の原点に立ち戻る話になります。
生徒に教えることができる人はいますが、それがどれだけ生徒の身になっているのか。結局は生徒自身の要素と努力にかかりますから、教師が教えるだけのレベルにいると向上しないと思います。

上手く教える、十分に教える以外にもう一つ大事なことがあります。生徒の持ち味を引き出すことです。それがどれだけできるかにより、生徒は学んだことをより高いレベルで習得できます。教育の原点は教えるのではなく、引き出すことにあります。
「教師の師が難しい、教育の育が難しい」と表現した先生がいました。野名龍二さんといいます。「引き出す」をよく理解していたことばです。
社会に出たときに実際に役立つのは自分の持ち味のなかで獲得した知識・知恵です。また知識がいかに多くあっても、対人関係が取れないなかでは、宝の持ち腐れです。私はそのような人たちを多く見てきましたし、その人たちと苦楽をともにして前進を図ろうと苦心しています。不登校の生徒には対人関係を育て、伸ばすことが「本気で取り組む教育になる」と話しました。

そこで次の問題につきあたります。なぜ対人関係がうまくいかないのか。不登校の生徒にとっては、対人関係は途方もない気配りエネルギーを消耗する作業になるからです。
「人間関係が苦手」という生徒は、対人関係の不安感、警戒感、恐怖感があります。自分については自己否定感、ときには孤立と孤独感が働き、対人関係の弱点はわかっていても感覚的に回避しようとします。
人を見たら感情を害さないようにあらゆる計算と点検をしたうえで、表情、言葉遣い、動き方に気を配ります。
周囲に複数の相手がいれば、この作業は累算式に増大します。これが不登校または引きこもりに対処するとき、心得ておきたい最重要点です。

生徒にとり対人接触の場が、授業であるか、休み時間であるか、それ以外かなどは関係なく、この作業に追われます。消去することは難しいはずです。しかし、装ったり、いくぶんカバーした状態で自分を演じるタイプはいます。
それでも授業のうちはまだいいのです。休み時間はすべてを自分で決めなくてはならないからことさら大変です。

不登校生のこの状態に「本気で取り組む」には、生徒が耐えられる程度の対人的環境をつくり、そこでの生徒自身の“修行環境”をつくることです。これは生徒一人ひとりにより異なり、しかも相手により、生徒自身の心身状態により常に変化します。一般に対人関係の苦手程度が強いほど、この変化の幅は大きいです。
そういう生徒には、まずは気の合いそうな一人との人間関係づくりから始めることになります。時間をかけてゆっくりと熟成していく感じです。相手は自分の感覚で選びますがとても慎重です。それができる環境、スペースづくりが教師側のテーマになります。
多くの生徒のいる学校で、この取り組みを続けることは容易なことではありません。生徒の持ち味を引き出して、その力を信じていくのが基本です。そのうえで教師や指導員が、いくらかの調整を図ることになります。
それは私の推測では十代においてもっとも効果的なものになると思います。

もう一つのテーマ「貧しさの持つ教育力」は、次回にします。