不登校の相談内容と時代の変化

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昨日の「通信制高校と全日制高校」のつづきです。
第2に書いておきたいことは不登校の相談内容のウェイトの移行です。
これは、「不登校の相談における最近の傾向は(?)」と問われて、これまでのことを振り返って気づいたことです。
10年ほど前の相談は、子どもの不登校を中心にして、それと関係する事情として学校・教師との関係、親子または家族関係、勉強と進学・復学をどうするのかが多かったように思います。

最近は全体としては変わっていないように見えますが、ウェイトの移行を感じます。
不登校の背景として、子どもの発達障害・アスペルガー障害の話が多くなります。
学校や教師に関係することはあまり聞かれなくなりました。学籍のある学校は当てにしない、自分たちでどうにかするものという雰囲気があるのでしょう。学校や教師にとっては実に淋しいところです。教育は教える場に縮小しています。
勉強と進路・進学への希望や関心は同じようにありますし、家族内の問題も少なからず出てきますから、このあたりは大きくは変わったことにはならないでしょう。

第3の点として見ておきたいことは…子どもと若者の感覚を肯定的に評価する視点です。
子どもの不登校や若者の引きこもりは、時代の変革期における若い世代の対応のしかたの面があります。
このような変革期にあっては、対応のしかたはさまざまな形態で表れます。
特にその表れ方が極端になりやすい子どもは注目されます。
現象には個人差があり、互いに関連を見出すことができないとしても何かを共通に含んでいるように思います。
旧世代からすればその表現は考えられないものであっても、新しい時代を予感させるのです。
受け入れられるのか、好意的に見られるのかはひとまず横においてみたいです。
将来的に有効なのか…それらは時代がすすまないとわかりません。
時代を超えて時代を先取りして対応したといえるものは、いまの混沌とした対応の中に埋もれているはずです。
だから現代に通用しないからといってそのまま否定的に扱うのは正しいとは思いません。
それでも、周囲の人や自分を傷つけ、批判的精神というよりは被害妄想的な現実認識は将来には生き残れないことは確かでしょう。
特に実践のないものは空虚です。
いまの時点では、突飛である、理解できない…としても、実践があり、それへの批判と反省が積み重ねられるものに将来が潜んでいる…と信じるところです。

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