9月28日に書いた新聞取材「イジメの後遺症」ですが、10月5日の「産経新聞」の記事になったようです。どのように掲載されたのかは見ていませんのでわかりません。
夕方になってから新聞を読んだという人から電話が入りました。
そのうちの一人は40代に入った男性です。中学校のときにひどいいじめにあったことを強い憤りとともに話してくれました。
その話のなかで、印象に残ったことがいくつかあります。
(1)いじめという言葉のあいまいさです。いじめとされたものの内容は暴力による傷害、恐喝による物品や金銭の要求であり、私が“犯罪行為ですね”というと「そうです。いじめなんていうものではない」と答えた点。
(2)教員はそのことを知っていながらいじめる側の生徒とその親からの攻撃を怖れて、押し黙り、見てみぬ振りを続けていたこと。これがこの人の教員不信としていまもぬぐえないといいます。
(3)そして自分の親。公務員であった親もまた自分の子どもが怪我をして帰ってきている、その理由も話した、なのに何もしなかった。傷害として訴え出ることができたのではないか、それもしない自分の親を尊敬できなくなっている、ということです。
(4)「新聞を読んで何か思いましたか」という趣旨のことをいうと、自分で何かをしたい、子どもの時は周囲の大人たちは何もしなかった、それを取り返すために何かをしたい、と話されました。
(5)文科省の調査(不登校した生徒の追跡調査)にこの方は否定的でした。古いことを蒸し返される、それで何かいいことがあるのかというわけです。この点に私が同調しないのが、不満のようでした。気持ちはわかりますが、事実を知る上では調査の必要性も感じますので、見解の違いはやむをえません。