不登校情報センターの関わる青年の一人にDSさんがいます。彼は小学生・中学生の9年間の同級生に障害のある生徒がいて、その生徒の面倒を見てきたといいます。その彼はアスペルガー的な気質があります。
彼のいろいろな体験は、実は私の少年時代を考えるのに参考になりました。食べ物の好き嫌い、色弱などは彼と共通性します。これは感覚の特異性により説明できます。
それと並んで、私が気になっているのは“弱いものへの関心”です。これは感覚の特異性では説明できないと思うのですが、アスペルガー気質に関係するものと見ています。DSさんの経験はそれを暗示していると思えるからです。
少年時代から私には強いものよりも弱いものに、メジャーなものよりもマイナーなものに関心が向いていました。たとえば地理や歴史が好きですが、それはヨーロッパよりもアジアやアフリカの地理や歴史に重点がありました。教育の中でも成績のいい高学力よりも低学力に関心が向きました。不登校への関心が向いたのもそれと関係しているはずです。いま現在の私も、日常の“瑣末なもの”への関心が中心になりやすく、優先課題を後回しに、時には生活に支障をきたすことも少なくはありません。アスペルガー気質の子どもや青年に関わっている人はそういう事態を見聞きしたことはありませんか。
私は、青年時代から壮年時代にかけてこのことに気づいていました。当時は人は誰でも苦労をするものという意識の中における理解でした。それがアスペルガー気質というものに結びついているなどとは想像もしていません。われわれ世代(1945年生まれ)の多くが貧しい子ども時代を体験し、そこで身につけた力で何とか通り過ぎてきたと思っていたのです。
いまはアスペルガー気質である、アスペルガースペクトラムのどこかに属することをむしろ大事にしたいと思っています。“弱いもの”、“マイナーなもの”に関心が向いたことは貧しさ体験とともにアスペルガー気質が自分の人生をつくってきたと思えるからです。
そしてアスペルガー気質の子どもたちに自分のいい面を伸ばして欲しいと願います。そのいい面には強いものよりも弱いものに、メジャーなものよりもマイナーなものに関心が向く面も入ります。それはかけがえのないものです。自分からなくして欲しくない貴重なものだからです。