状態は認め、価値判断しない

「状態は認めるけれども、なるべく価値判断をしない」というスタンスをいつごろから取り始めたのかは自分でもよくわかりません。
不登校の「状態は認める」、しかしそれをいいとか悪いとか「価値判断をしない」という意味です。
“いいとか悪いとか”といいますが、この場合、“悪いとか”の判断をしないことに重点があります。
「引きこもり」や「発達障害」も同様です。
それは、「私が日本人である」というのは認めるけれども、いい悪いは判断しないのと同じです。

「神経質」もまた同じです。なぜなら「細かいことに気がつく」のが、どのようなときでも“いい”とか“悪い”にならないからです。有効なときもあるし、不都合なときもあるのです。どう表われるのかはTPO(時、場所、機会)によります。価値判断はTPOによります。
しかし全部がそうはなりません。「お腹が痛い」、「眠れない」というのは、TPOに関わらず身体条件としては悪いとしなくてはなりません。「状態は認めるけれども、なるべく価値判断をしない」というわけにはいきません。そこで“なるべく”というのがつくわけです。
もうひとつの課題があります。一般的に価値判断しないためには、TPOによっては有効である実例、可能性を示さなくてはなりません。不都合な実例はあるが、有効な実例がないと、この方式は成り立ちません。
「不登校」の、「引きこもり」の、「発達障害」の、有効な面を研究しなくてはなりません。それらは私なりに提示してきたつもりです。わかりづらいことは認めますが確かにあります。
こうしてこそ「状態は認めるけれども、なるべく価値判断をしない」の全体は成立します。

10日の「大人の引きこもりを考える教室」(第2回)のときです。
引きこもりの子どもを「受けとめる、認める、信じる」をめぐって意見交換しました。受けとめる、なかなか受けとめられないという意見が出ました。もっとわかりやすい実例はあるはずですが、私は一般に通用する方式にしようとした経緯を話しました。その結論がこれです。

文通の継続にメールを生かす

先日の「文通ボランティア交流会」の参加者はいませんでした。
サイト内での文通関係の検索は続いていますし、「ひきコミ」WEB版に掲載している文通の希望者への手紙がまた届きました。ここはネットと「ひきコミ」WEB版の利用を考えました。

(1)「ひきコミ」WEB版は文通誌『ひきコミ』誌を転載しています。『ひきコミ』は不登校・引きこもり・対人不安を持つ人から発する情報提供です。ネット上の〔「ひきコミ」WEB版〕にしたのは2009年はじめからです。それ以前の投稿も、記録として掲載するつもりでしたが大多数の人は掲載の了解をされませんでしたので、掲載数は多くはありません。それでも参考になる当事者の生の声を見ることができます。

(2)「ひきコミ」WEB版に示した文通方法「ご利用のしかた」を変え、投稿方法にメールもOKとします。*変更の更新作業は数日後になります。
お名前、住所、男女、年齢、状態・職業、なるべく詳しい自己紹介(好きなこと・趣味、体験したこと、これからしたいこと・望むこと、どんな人と文通をしたいのか、などを書いてください)。所在あてに所在確認の通知をすることがあります。
文通希望でなくてもかまいませんが、自己紹介は書いてください。
メール以外にはもちろん郵送もつづけます。郵送のときは投稿手続きを参照してください。