引きこもりの体験発表会は明日になりました。
参加者は母親 2名と「出前サービス」登録メンバー、それに松田です。
発表者はSさん。はじめに15分から20分ぐらい問題を絞って話します。
その後で、参加者から質問も出してもらうし、別の事例を話してもらいます。
Sさん中心に答えてもらい、特に参加される親との交流も考えます。
私は、このミニ発表会を継続する・個人宅に出前する・親の会などに広げていく視点などから予行演習としてみていきたいと思います。
もう1、2名参加できます。事前に連絡をください。
会場=不登校情報センター(東京都葛飾区新小岩2-3-11-503、JR総武線「新小岩」南口5分。
日時=6月29日、金曜日午後2時から4時まで。
参加費=500円。
連絡=TEL03-3654-0181、FAX03-3654-0979、メール:open@futoko.info)。
日別アーカイブ: 2012年6月28日
「返品」と「ねむだるい」
「引きこもり事典=通知3」=「引きこもり生活事典」に登録することばを紹介します。
返品(へんぴん):仕事につこうと考え派遣会社に登録のしようと思い立ちました。でも、その派遣会社からどこかに紹介された私はすぐに返品されるのではないかと怖くなりました。超えられない壁のような気がします。結婚することを考えても相手から返品されるのではないかと消極的になってしまいます。
ねむだるい:眠くてだるいという平凡なことを短縮したことば。体調の日常を表しています。よく眠れないから体がだるい。それなのにいざ眠ろうとしてもぐっすりとは眠れない。このくり返しです。
冥王星(めいおうせい): *太陽の惑星から冥王星が外されると聞いたとき、何だか私が人間から外される感じがしました。全然関係ないのはわかっているし、変だとも思っているんですけど…。私は人間界にムリやり所属させられてきた感じがしていたのです。それを正式にあなたは人間ではないですと告げられた気分…。それを冥王星が太陽の惑星から外されるときに、感じてしまったんですね。
〔編集部から〕引きこもりを経験した人の感性・感覚等を辞書にしています。個人差がありますし、一般人にも共通することもあります。引きこもり理解に役立つはずです。ここで紹介する辞書ことば(意味の説明を含む)を募集します。表記は編集部の責任で行います。
不登校情報センターのサイト案内=「学習塾」ページ。不登校の子どもも勉強の遅れは気になります。近くの学習塾に頼んで勉強を見てもらう手もあります。不登校の生徒を受け入れている学習塾を調べてみました。紹介情報はすくないので、近くに学習塾があれば頼んでみてはどうでしょうか。
当事者から生まれる危機感
高年齢引きこもりへの対応(その2) 高年齢引きこもりのばあい、訪問サポートによる対応は重要な方法です。その方法論は高年齢の引きこもりの人に対しては十分に確立していません。実践の中で見当のついたことを書いておきます。
訪問を始める前に、家族と支援者側の打ち合わせが必要です。
長期に引きこもりになるばあいは当事者と家族の間にもいろいろな経過があり、家族内で平穏な話し合いができていることは一つの到達状態です。しかし家族の関係が向上するだけで引きこもり状態を超えるのは珍しい部類です。基本的には家族以外の第三者が関わってはじめて、引きこもり状態から抜け出す条件ができます。
当事者と家族が平穏に話し合える状態がようやくできたのに、そこに第三者が加わることはこれまでの平穏状態を変える可能性があります。家族から社会への橋渡しにはある種の飛躍になるからです。家族はここを躊躇します。それは根拠があると認めなくてはなりません。同時にそれは超えなくてはなりません。
この平穏状態がいつまで続くのか予測すると、両親が健在である時期までです。父母のどちらかがなくなった時点で重大な変化が生まれる可能性はあります。
超えるときの本人の意識は引きこもり状態を抜け出したいという強い動機が生まれるか、突発的な事故により“危機感”に見舞われるときです。
強い動機とは働くことに生きがいを感じるのが人間であるという点に結びつきます。対人関係が途絶える、社会関係がなくなる状態が続いた結果、この働くことに生きがいを感じられなくなるのです。むしろ働くことへの嫌悪感、働いている人の邪悪性が迫って見えてくるのです。
生きた人間や自然との直接の接点が少ないとそうなりやすいのです。訪問サポートによる第三者との接触は人間への信頼感、自分への肯定感を引き出そうとする試みです。人間への信頼感、自分への肯定感が大きくなったときに動き出すエネルギーと動機が出てきます。訪問サポートはこのエネルギーと動機を引き出す取り組みです。訪問サポートに初めから外出や仕事につく結果を求めてもうまく行かないのはこの順序性を無視するからです。
当事者の動機やエネルギーが現われるときは、ほとんどが家族や支援者への不満の形です。いわゆる斜に構えた表現になります。表現のしかたにとらわれず、何を言っているのか、何を要求しているのかを受け止めることが大事です。これは別に述べましょう。
一つ複雑になっていると思えるのは、働くことが自己実現としての働くことにならざるをえない時代の変化を迎えていることです。これもまた別に述べなくてはなりません。
もう一つの突発事故にもふれておきます。これまで聞いたことのある実例でいいますと、父母の死亡、家業の倒産、自宅や近所の火事や交通事故などです。このたびの東北大震災という自然災害も突発事故になったと思います。それらは人為的に起こせないか不幸なことです。その結果は当事者が引きこもりから抜けです方向に自動的に進むのではなく、可能性の一つです。
確認できるのは次の点です。自然災害に限らず引きこもりから抜け出るには当事者の危機感が必要なことです。当事者に現状を抜け出たいという強い動機が自分の現実に危機を感じさせるのです。
危機感は持つことが要求されるのではありません。「危機感を持て!」といわれてもストレスになることもあります。危機感を持てるのは自分を維持していける精神的な成長があり、家族の応援が期待できるときです。そういう条件がないときに生まれる危機感は混乱・パニックに陥らせます。ときには家庭内暴力や家族の物理的支配の形になることもあります。
訪問サポートを始めるには、当事者と家族が平穏に話し合える関係がなくてはうまくいきません。できれば当事者が同意していることが望ましいことは確かです。
次に仮に当事者が了解していなくても、家族が第三者である訪問者を受け入れるのに同意していなくては不可能です。家族のスタンスで、ここが揺らぐとうまくはいきません。しかし、これは訪問サポートの方法論の不十分さや経験不足にもよりますから、全てが家族側の事情によるものではありません。当事者が訪問に了解していないなかでの訪問は、難問ではあるけれども高度の対応力により乗り超えて行くテーマです。その試みもこれから紹介していきます。
*「引きこもりから抜け出す“きっかけ”」 (2011年8月)に書いた「危機感」をより発展させています。