タブーまたは緩衝地帯

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引きこもりが長期化し、ある程度落ちついた状態になると、当事者にも親にも触れたくないゾーンができてきます。「将来どうする?」「アルバイトでもしてみたら?」というあたりで、親のほうから聞いてみたい、勧めてみたいことです。
しかし以前に同じようなことを聞いた経験があり、その以後は親と顔を合わせなくなった、部屋から出なくなった、暴力的に荒れたことがあった、死ねばいいのかという答えが返ってきた…それを思うとその手の問いかけは事実上封印されています。
特に、その時期を越えるのにかなりの時間をかけて修復してきた家族の場合は、何をどう聞けばいいのかわからなくなっています。

一方、当事者のほうも内心はビクビクしている状態です。一方では何とかしたい、何らかのきっかけはつかめないかと思っている。しかし時間がすぎるわりには具体的なことはほとんど何も蓄積されない、その間にも親は年を重ね、退職をした、年金生活になった…となると親の気持ちは自ずとわかってきます。
こうしてお互いに、何時もどこかで意識はしているけれども、触れたくない、触れられない領域、互いに入れない緩衝地帯であり、タブーができるのです。

本当は少しでも早くどうにかしたいと思う一方、何をどうするのかの見当がつきません。親にとっては手詰まり感でしょうか。当事者にとってはいつ親からそれがぶり返されるのか、そしらぬ風を装いながら“聞いてこないで!”オーラを発し、気を紛らわしながらもいつの間にかそこを考えて落ち着かなくなっている。そういう日常生活が続きます。

この状態を乗り越える方法があるのでしょうか。
当然答えは一つではありません。ただどのような答えであっても、家族以外の人との接触を持たない限りは乗り越えていく出口はないであろうと考えられます。その状態にいかに自然に、いかに平穏にたどり着くのかを探しているのです。その方法は一つではない、それが答えは一つではないことの意味です。親が動き始めるのがそれに向かってのスタートです。

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