「不登校する人の気持ちを察する、分析する、寄りそって考えるのはなぜ必要ですか」の質問がありました。
不登校情報センターにおいて何人かの青年が小学校の教科の問題集を勉強しています。「好きなこと、できることをしてください」といっても、初めからすぐにはこうはなりません。高校の勉強がしたい、中学校のことでわからないことがある、そういう経過の中で本当に必要なことは小学校の基礎的な勉強であると本人も私もわかったのです。受けとめるとはあらゆることを受けとめるスタンスが必要です。
この経過は子ども(人間)を理解し、どう関わるのかを私が実地に学ぶことでした。私が自分ではこう思うというだけのものは空回り、独りよがりになりました。何らかの肯定的な反応が得られるのは子どもの状態に触れたときです。
そのためには子どもの状態をよく見る、子どもの状態に身をおいて考える、出されたことをこと受けとめる以外には対応策は浮かんできません。
不登校情報センターには青年期の引きこもりの人がいます。彼ら彼女らは話す機会があれば静かに聴いてくれますが、実際に動くのは自分で納得したことだけです。強く言ったらいいのではありません。
この手ごわさを子ども時代から持っているのです。頑固とか強情と思われることもあるはずです。それは何かを大事にしているからです。
人間は自分の中にある宝物を探しているのです。私があれこれできるのはその宝物探しの手伝いです。宝物を出しやすい場、出しやすい人間環境をつくる。心の中に感じた宝物を表現できる機会をつくることです。
それらが不登校する人の気持ちを察する、分析する、寄りそって考えることになります。9月30日の進路相談会のパネルディスカッションの場でたことの関連記述4です。