斎藤晴雄さんが亡くなりました

斎藤晴雄さんが亡くなりました。
埼玉県で小学校教師をされているころ私は何度か雑誌の原稿を依頼したことがあります。
いちばんは『いじめ 発見・防止・克服のてびき』編集したときです。月刊教育誌『子どもと教育』(1985年12月臨時増刊号、A5版186ページ、あゆみ出版)です。
日常の子どもの生活や友人関係の中にいじめの兆候がある、それをどのように見るのか、その後どうするのかを意図にした企画です。教育実践記録を多数の先生に書いていただき、そのうち4本の詳しい実践記録を斎藤先生と大畑佳司先生に対談の形で見てもらいました。
斎藤先生は川口市立芝中央小学校、大畑先生は浦和市立文蔵小学校の教師でした。対談はかなり長くなった記憶がありますが、場所はどこであったのかは思い出せません。
いじめ問題はそれまでもときどき大きな社会問題として注目されていました。そのいじめを小学校の授業の場を含めた現場の先生がどうするのか、実例をあげて指導方法や紹介したものです。
いじめ問題のその当時の学校における状況を、編集の形で見ていたことになります。
この臨時増刊号の筆者の一人に白幡康則先生がいます。当時は山形県立川町立狩川小学校の教師です。現在は引きこもりへの支援活動をされているとネット上の情報で見ました。
私が不登校の子どもの問題を教育誌の編集としてかかわり始めたのはこの後のことです。このいじめの雑誌編集とは直接的なつながりはありませんが、問題をとらえていく視点を学んだ機会です。
斎藤晴雄先生に感謝し、御冥福をお祈りいたします。

江戸時代の印刷技術を見る

忘年会は東京江戸博物館の見学からスタート(20日)。館内は広く、博物館は充実していて、見所はいっぱいです。3名はガイドさんを頼んで一緒に回りましたが、半分も回っていないところで時間切れ。
私は一人であちこちを行きましたが、いちばんは江戸時代に出来上がった、印刷技術のところです。絵師、彫り師、刷り師からはじまる原稿作成と製版づくり、今でも業界で使われる言葉である丁合(帳合)などを示す製本過程、お店での店頭販売が確立していった様子が実物により展示されたところです。
知ってはいたつもりですが、実際に見るとまた違います。家内工業であり、芸術家というよりは職人的な労働です。精密な重ね刷りによる版画が、後にジャポニズモとして高い芸術的評価を得て、近代のヨーロッパ芸術に大きな影響を与えました。職人的であることが芸術的レベルであるのが日本人の特質のように思います。それは今日に続いていませんか。
この後は近くの安田庭園に入り、年末なのに比較的暖かい中で園内をゆっくり一周。
5時過ぎに平井のお好み屋さんで、まだお客さんの少ない時間から食事会。
参加者はお好み屋さんから参加の数名を加えて11名でした。