体罰教育は何を教えるのか

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体罰を重要原因とする高校生の自殺事件が注目されています。
体罰でなくなった生徒に対して、体罰を行った教師は「数回殴った」と言っていたようですが、生徒本人は30回ぐらいと言っていたようです。体罰を行った教師は、体罰の程度を軽く見せようとウソをついたわけです。数回殴ったことが原因で亡くなったなら、1回殴る体罰の重大性をもっと深刻に考えないわけにはいきません。
もしこの教師が生徒指導において体罰を必要と主張するなら、なぜウソをついてまで自分のした体罰の程度は軽かったと思わせようとしたのでしょうか。必要ではあると言いながら、後ろめたさは隠しきれないということではないですか。ウソをつかなくてはならないところに、体罰の決定的なダメさが出ています。
人は、特に子どもは指導する立場の人の言うことによってではなく、すること(行為)によりどうすべきかを学ぶものです。暴力はいけないと言っている人が、暴力を振るっていたら、それは暴力でもって事を進めなさいと教えているのです。体罰という暴力は、生徒に暴力により主張を通すことを教えているのです。なんと悲しい、貧弱な教育方法でしょう。
教育現場でのいじめの原因の1つに、教師の体罰があると言うことになります。学校教育の必要性と向上を願うものとして、教師の体罰はなくして欲しいと切に願うものです。

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