学校は休んではいけない、それはとてもいけないことと思いつめている生徒がいます。
親のほうも(むしろ親がそれ以上に)、学校は休むことは非行のように考えていると、子どものこの気持ちは解放されません。
本人は、ここで登校をやめたらダメだ、と自分を追いつめる状態になっています。
八方ふさがりのときに、親から「学校は休んでもいいんだよ」といわれて、子どもの気持ちが楽になることがあります。
親から見てもこれ以上は無理をさせられないと思いそう言うのです。
病気や怪我をしたときにはごく普通に考えられる学校を休むことが、これほどのものになるのは不思議なほどです。
子どもがいじめを受けているのを知らずに、登校を強いられる状態にいることがわかって、学校を休むことの肯定的な意味が一つ広がった感じがします。
不登校に関わる多くの人が、もっと広い意味で学校を休む意味を肯定しているのに少し近づいてきたのかもしれません。
反対の場合もあります。
子どもが重大決心を、今日から学校に行こう、アルバイトに行こうとしているときに、親から「苦しかったらやめて帰りなさい」と言われるようなときです。
いや、私は親の気持ちはこれでいいと思います。
ただそれを、気を張っている子どもに言うのは気持ちをそぐことになりかねません。
実に微妙です。
子どもによってはそう言われたほうがいいこともあります。
気持ちが楽になって、むしろ思い切りがよくなるときです。
野球なんかで監督が選手に対して大事な場面で「三振してもいいから思い切ってバットを振ってこい!」というのに似ています。
ですがこれからチャレンジしようとしている子どもの場合は、気がそがれた、親に対して怒りを見せることもあります。
親は心の中で応援しながら、今回はうまくいかなくてもいいんだと思いながらも、黙って子どもを送り出す手もあるのです。
この判断は、子どもの性格や、場面つまりTPOによります。
昨日の「不登校ミニセミナー&質疑応答の会」で話した1コマです。