普通には働けないの表現

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「引きこもりの高年齢化の先」その5です。
このテーマで書き続けようとしたのですが、ハプニングで中断しているうちに少し別の発想が生まれました。つまずいて飛んだ弾みにまた跳ねる感じです。
引きこもりの高年齢化において、何が必要であり、少なくとも何をしてきたのかを書くしかないと思ったのです。いろいろ言ってもそれらが出来ない理由、弁解、困難さなどを並べていると見られては有益とは思えません。

不登校情報センターは1995年にできたのですが、それが支援団体的になったのは2002年の頃からです。そのあたりからはじめます。
この年の夏前に「不登校情報センターを働ける場にしてください」という30歳前後の人の会からの要請を受けました。この会はそれまでに月2回のペースで話し合いをしていたグループです。30代中心で40代の人もいました。私はその場に参加した記憶は一度もありません。
この要請は何人かが時おり私の話してくる感じで続いていました。
ようやくその年の10月ごろに「あゆみ仕事企画」なるものが生まれ、仕事づくりをはじめました。内職とポスティングなどが具体案として出ていたはずです。
「五十田猛のエッセイと論文」2002年の後半以降にこの当時のことがいくつか書かれています。

引きこもり経験が長くなり30歳を超えると、一般企業に就職して働くことに大きな不安を感じます。メンバーの中にはアルバイトなど仕事に就いた経験のある人もいて、その不安が単なる予測ではないことがわかります。
この事情を仕事が遅い、他の人についていけない、なかなか覚えられない、どう聞いていいのかわからない、年下が上司役・先輩にあたりやりづらい、などの事情として話してくることが多いのです。
しかし、それ以上に働く場の雰囲気、気分を落ち込ませるものがあります。それをうまくは説明できないのです。

「不登校情報センターを働ける場にしてください」という30歳を超える人からの要請は、このような背景があったのです。一般の就職ができないのなら別に働ける場をつくりたいことになります。それに対応しています。
要請を受けた時点では、話し合いから行動に向かうことですねという人もいました。それは確かですが少し取り違えていました。いまにして思えば、彼ら彼女らの就職することへの不安感や幻滅感がきわめて正当に表れていた、そのことがはるかに大事だったのです。
いま私が中心的に直面している風景は、このときに彼ら彼女ら感じ、うまく伝えられないでいる事情とほとんど同じです。それから10年の間にどれだけ“材料”が出来たのか・出来なかったのかを、これから白状することになります。

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