先日の東京都議会議員選挙で当選した葛飾区の和泉なおみさんの“祝勝会”が開かれ、出席しました。小さな会議室に20名あまりが出席の小ぶりな会です。参加費は300円、手作りの軽食がだされ、私にはほとんどが初対面です。
その場に私と同年輩の母親と一緒に30歳くらいの女性が参加していました。その人の発言に何かを知らされた思いがします。
大よそこんなことです。「政治への関心は少なく、選挙は親が支援する共産党に投票してきた。ほとんど当選することがなく、政治に期待はしていない。ただ親は信頼しているから投票をしてきた。……」
この10年間、葛飾区のこのあたりに住む共産党候補者への投票者は落選が続き、若い世代に共通する感覚を話したように思います。
引きこもりの支援に関して、実は私は同じような感覚を持っています。この人の発言に知らされたのは、この10年を引きこもり当事者の身になってみると、似たような実感になるからです。政治は、政府も自治体もこの10年間に期待することはしていません。ただ自分の信じることを政治や政府・自治体の施策にかかわらず取り組んできました。引きこもり支援はときどきニュースになることはあります。しかし、大筋の流れはますます優先順位が下がり、貧相なものになっています。弱者への社会的支援が後退する一部です。
期待するようなことはほとんど何もない。ただその気になった人が可能な動きを始めている。そのささやかな動きのなかに成否がかかっているだけであって、社会の大きな動きからは素通りされたままになっている。
どこかの学者が、学説やアンケートを援用して支援策を作り当事者と家族に提示する。支援団体に助成金つきで提示する。そういうものではなかったかと思います。
個人の動きを助ける社会的な支援が必要ではないのか。まずは当事者がいます。当事者・体験者の動き、事情に沿った支援方法を身近な支援者・支援団体が試行錯誤をしながら始めます。その成長・発展を図るような学者や専門家がそれを評価・助言します。それを国と自治体が支援する。そういうものが公の支援に必要ではないかと思います。
私の執った支援がそうでしたと言っているのではありません。それは不完全で回りくどいものでした。ただ当事者第一であり、彼ら彼女らの動きや要望に応えようとしてきた、少なくとも主観的にはそうしてきたつもりです。
集会で誰かが「2013年をターニングポイント(転換点)にしよう」といいました。そうしたいですね。