子どもは感覚が鋭いといいます。そうでなければうまく生きてはいけないからです。成長するにつれてこの感覚の鋭さは知らず知らずのうちに鋭さを失います。感覚の鋭さに代わり別の力がついてきます。体力、知識、経験などが生きる力になります。
感覚には普通は五感があり、見る・聞く・味わう・嗅ぐ・触るです。ほかに平衡感覚や内臓感覚、さらに第六感というのもあります。
子どもの感覚が鋭いという場合は、周囲の人の雰囲気から危険性を察知するなど危なさや安心をとらえる鋭さを指すこともあります。これらは感覚を超えたものかもしれませんが、感覚の延長線上にあります。第六感はこれと近いのではないでしょうか。
味覚の鋭さとは、ある食べ物を体内に取り入れるとき消化できないものは味覚のところで阻止する働きをすることがあります。味覚が成長とともに退化し子ども時代に食べられないものを食べられるようになります。これが発達であり進化です。退化が発達に当たるのです。
ところが成長しても食べ物の好き嫌いが激しい人がいます。これは味覚の未発達ですが、実は食べ物の消化能力が成長していないために味覚が守っているのです。こういうものも発達障害と称されるものに入ります。
子どもが危険性を察知する感覚の鋭さは、同様に自己保存のために必要な能力です。しかしこれは五感の範囲の感覚とは同じとはいえません。触覚というよりは人や周囲の環境が表わす雰囲気をキャッチする力です。視覚・聴覚・嗅覚・触覚ときには味覚や平衡感覚を総合し、さらに経験を動員してとらえるものです。感覚の延長にあるけれども感覚の範囲にあるというのはこういうことです。
英語で言うと、感覚はsense です。周囲の雰囲気を受けとめるのは感性や感受性であり、sense に関係するsensibility になります。子どもの危険性を察知する力は感受性の領域になるはずです。
感覚senseによって直接に心身が受け、わきあがるものは感情feelings です。
感覚が鋭い子どもは感情表現も大きなものです。また一般に女性の方が男性よりも感情表現は大きなものですが、これは女性の感覚が男性よりも鋭いことを示しています。女性のそれは女性が生きていくために必要な特質ともいえるわけです。
子ども時代の感覚の鋭さに代わるものは知識、経験などによるmind、 will というもので意志や意識です。senseやfeelingsが生物として自然なことであるのに対して、mind やwillは人工的なもの、あるいは社会的な性格をもちます。