親からの質問に戸惑う・2

前日の「親からの質問に戸惑う」の答えを考え続けました。
1つは、ここ不登校情報センターは私が主宰し運営しているところです。
何かうまく説明できませんが私との相性が合う人が来続けているのです。
逆にやり方が合わないと感じた人は、はじめの数回で来なくなります。
継続している人はいろいろの不満足感を持っていても相対的にそれが少ない、元々そういう人たちと私の関わりがあったというのが「どうして他の人には会おうとしない(引きこもりの)人が松田さんには話しかけてくるのですか?」の答えになるのではないでしょうか。
さらにもう一つの説は、私がケアをするスタンスでないこと、メンドー見の悪いと自覚している状態があります。これは支援団体としては致命的な弱点かもしれませんが、引きこもりのタイプによってはそういう面倒見は不要であり、むしろうっとうしいと感じると思います。そういう人と何らかの適合性というか相性が合うのかもしれません。これは上記の1に重なることです。

あるカウンセラーさんから「松田さんは松田さんのままであるからいいのじゃありませんか」と言われたことがあります。たぶん伝わらないでしょうね。

親からの質問に戸惑う

引きこもり学習会に参加したお母さんから尋ねられて、どう答えるのか戸惑いました。
「どうして他の人には会おうとしない(引きこもりの)人が松田さんには話しかけてくるのですか?」
これに何と答えていいのか自分ではつかめません。
とりあえず年齢が大きく離れていること、20歳から30歳ぐらいの差があることは1つの理由です。しかし、それでは主な理由を答えてはいないでしょう。

思い巡らしながら、ともかく試みた答えはこういうものです。
話しかけてくることには「聞いていること」が基本です。
その次に、何かを尋ねられたときの答えは私が答えることではなく尋ねたあなたが自分で見つけ出す、そういうスタンスがあります。もちろんこの場合の質問は例えば人間関係に関することなどいろいろな仕方がある質問です。
どちらかといえば不親切な答え方が多いのではないかと思います。心がけていることはうそを言わないことです。それはときには話しかけてくる人の期待をしぼませるかもしれません。「わからない」「あなたの考えは?」ということも少なからずあります。

このような説明をしました。たぶん聞いている親たちは腑に落ちない答えではないかと心配するような内容です。周りにいる当事者からは無愛想な返事をすると聞いたことがあります。メンドー見が悪いことはある程度自覚しています。
こう書きながら思い出したことがあります。その人が具体的に何かをするときは可能な応援をします。ただこのレベルの人と(他の人とはあまり話さないが)私に近づいて話しかけてくるような人とは違うようです。
毎月第2日曜日には「大人の引きこもりを考える教室」を開いています。15にちのことです。

捨てずに残す必要な本

引越しの準備として、大量の本を処分しています。
「原則として処分をするが必要なものは残す」というのが処分の方針です。
そうすると「必要なもの」が明瞭になりますが、ここに私が何を大事にしているのか輪郭が明らかになる感じがします。所蔵の80%以上は処分対象です。

残ったものは身体に関するもの、特に解剖学や感覚器の関すること、精神神経系に関すること、物理・天文学、化学に関するもののうち生物学に近いもの、趣味の歴史・地理に関するものが中心になります。
不登校や進路に関する本はいわば情報本であって、時間の推移とともにいらなくなっていくものが多いです。どんどん捨てる対象です。

残そうとするものを未整理のまま並んでいる本棚から数冊とってみたところ傾向が出ているように思いました。こんな感じです。しかも全部古本として買ったものです。
小高修司:中国医学のひみつ、講談社BlueBacks、1991
大木幸介:量子化学入門、講談社BlueBacks、1970
橋本進吉:古代国語の音韻に就いて、岩波文庫、1980
金子隆芳:色彩の科学、岩波新書、1988
角田忠信:右脳と左脳、小学館創造選書、1981
三上章允:脳はどこまでわかったか、講談社現代新書、1991
窪田章一郎・校注:古今和歌集、角川文庫、1973

それと、自分が直接に関わった本は捨てられませんね。冊数では大分残ります。