ある小学生の例です。直接には学級担任との関係で不登校になりました。
学校全体に少し荒れた状態があるのかもしれません。1学年3クラスあり、学級担任はまた学年主任でもあります。力量があるのでしょう。親から見ると管理的と思えるようです。
子どもがさみだれ型の不登校状態にあり、親子でこの担任に相談にいきました。初めは聞く姿勢でいたようですが、ある場面から子どもに向かって感情的に怒り始めました。「学校を休んで親に心配をかけるのじゃない。いつまで甘えているのか」という主旨です。子どもに向けた言葉ですが同席した親にも向けられていたのでしょう。
この担任教師の不登校への理解のなさに驚くほどですが、残念ながら今日の学校の現状ではさして珍しいことではないはずです。
この学級担任との話を父母が一緒に教頭に話したところ、それくらいの強い姿勢で対応しないと学校が収まらないという返事があったのです。この回答の中にも学校の荒れている現状と、荒れさせている背景事情が現われています。このような上からの管理的な方法は子どもに圧迫感を与え、それが子どもの一部に行動を荒れさせ、学級・学校に悪循環を引き起こすのです。
子どもは学級担任との話し合いの後は、この担任とは顔を会わせようとしません。不登校状態はさらに強まりました。それでも保健室に行き、スクールカウンセラーとは会いますし、学校外では気の合う友達と遊んでいます。
こういう状態での子どもへの対応、子育てはどうするのでしょうか。
学校に対しては次年度で担任が代わるように求めるのがいいです。
しかし、より重要なことは子どもの気質や性格を親も子どもも理解し対応のしかたを獲得していくことです。いろいろな事態のなかでの子どもの感じ方、振る舞いのなかに気質や性格が現われます。それを手がかりに子どもを理解し、対人関係の力、社会的な力を育てるにはどうするのかを考えていくのです。
子どもの話をよく聞いていくこと、言葉や行動に現われることの中にその子の“よさ”を見つけていくことです。そこに子どもを肯定する姿が表れます。
この小学生の場合は、あることに関心を持つとそれを追求し続けるところがあります。社会科見学や理科実験が好きなところがあります。それを肯定的に評価してそれに相当する場面をより多くつくることです。学校に期待したいところですがそれが難しければ別に探し、つくるのがいいでしょう。これが子どもの育つ環境になります。
学校への期待を減らしていく方法になります。現実的な対応は子どもが不登校という形ですでにそれを始めています。それに沿った次の発展的な対応はこのようなものです。