精神科医療に対し僭越でしょうか

Shi君は20歳の男性です。
以前に4階から飛び降り自殺を図りました。
一命は取り留めましたが、重傷を負い整形外科に入院しました。3か月ほどで精神科に転院になりました。自殺未遂をした原因治療のためです。そこでは精神疾患の本格的な治療が始まりました。薬物療法が中心です。
その入院中に勉強が出来ないかと親が考えて相談に来ました。私はこの入院中の勉強はいいと思い、半ば家庭教師的なメンタルフレンドを思い浮かべました。
というのは入院先の精神科の治療方針を聞くと疑問になることが浮かぶからです。親の話によると薬物療法による精神疾患治療だけになっているというのです。そこに不安を感じて、入院中の“勉強”を思いつき相談に来たのです。
私は親に確かめました。医師からShi君の性格などに関して何かを確かめようとされたり、話されたことはありませんか、と。精神科の医師ならと私が期待したところです。
Shi君は子どものころよくいじめられていました。それが彼の今日の精神障害の重要な遠因であると考えられるのです。Shi君の考え方の純粋さ、生真面目さ、一本調子は少し話してみるとわかることです。おそらくこのことが子ども時代にいじめられた背景にあります。それはいじめの発生を合理化するものではありませんが、彼の対人関係や人格形成に影響したのは確かでしょう。
それは医学・医療的な治療対象とはいえないまでも、そこに関する所見が感じられないのは精神科医師としてはかなり残念な状態です。心理的・教育的な対象として見なくてはならないことであり、医療チームの中心にいる医師としてはどうかと思うほどです。
親の理解不足でしょうか。親は医師の言ったことを正確に伝えていないのでしょうか。私の聞くスタンスに重大なミスがあるのでしょうか。そう自省しつつも何かが必要と思えました。
親が考えてきた入院中の学習に対して、私の家庭教師的なメンタルフレンドが考えられるという提案に親が納得したのは、事態を平穏に改善する方策のように思えたのです。
精神科医療一般を批判的に言うのは日ごろから避けたいと思っているのですが、そうとばかりは言っておれない気持ちはわかっていただけますでしょうか。