支援は引きこもりの人が悩む役割をこえ対等性があるといい

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11月4日の学校がくるしい子どもたちからのメッセージは、不登校経験者4名の発表とその後の4グループに分かれての交流の場など、内容が豊富でした。テーマが具体的な経験が中心なので運営が落ち着いてされれば、参加者にとってもわかりやすいものになって当たり前の感じがしてしまいました。
予定(予想)よりも多くの参加がありました。雨が降っていたことをすっかり忘れていましたが(出掛けは曇りでしたが傘を持たずに行きました)、帰りはかなり雨が降っていたので、雨天の参加者になります(帰りは急いでいたので雨天の中を歩き、かなりぬれました)。
4グループに分かれて交流会をしたとき、私はあるグループに入りました。発表者の青年は混血のマくんです。彼を囲む形で始めることになったのですが、見渡すとこのグループには私の他に運営スタッフがいません。
そこで「マくんへ聞いてみたいことはありませんか」という形で、10名くらいの参加者に発言を促します。短時間でしたが、何かを聞いてみようとする人にその機会はでき、交流の場になったと思います。
4名の発表者の発言のなかに、「支援者と支援される人、カウンセラーとカウンセリングを受ける人、教師と生徒、医師と患者…の関係になると、不登校や引きこもりの当事者はその関係で苦しんで助けを求め悩む役割になり、そういう態度をとってしまう。せめて先輩と後輩くらいの対等性がある関係がほしいし、同年齢・同世代の関係がいい」という趣旨の発言がありました。この日の最高の光ることばでした。

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