上田秀人『奥祐筆秘帳』を読む

上田秀人『奥祐筆秘帳―決戦』(講談社文庫、2013年6月)を読みました。
といってもこの手のことに関心のない人には何のことかはさっぱりわからないでしょう。
時代小説で『奥祐筆秘帳』は12巻になる長編時代小説です。徳川11代将軍・徳川家斉時代をとったフィクションですが、史実と大きな齟齬をしない形で展開する大衆小説として読み応えがあります。それがようやく完結したわけです。
5、6巻出たころに読み始めて最後は新しい巻が出るのを待つ形でした。とはいえ新刊ではなく古本になってから買っていたので、数か月は過ぎてから読むことになりました。
著者の「あとがき」によると宝島社の『この文庫書き下ろし時代小説がすごい!』
で1位になったといいます。確かにそれだけの迫力と精密な構成がありました。
徳川政権の構造、政治と行政の違い、官僚制度などをリアル(フィクションとしてのリアル?)に表します。剣士の物語、青春小説でもあります。戦術と戦略の入り交じったスリルのある展開が、予想を超えていながら、確かにありうる場面を示して納得させます。見事な虚構性を示しています。
関心のある人には第1巻から読むようにお勧めします。

悪びれずに「修行中です」のスタンスでいこう

先日、ある進路相談会で相談員として出席する機会がありました。
相談に来た5組の内の1組は、高校生の女子とお母さんでした。
その女子高校生に相談シートを書いてもらいました。ペンの持ち方が変わっています。
その子は欠席日数がすでに3分の1以上になっていましたので、進級は出来ません。それで転校先を探しているのです。通信制高校であれば進級の条件が生まれるところもあります。その話は比較的すぐにわかったのですが、登校できなくなった理由・背景をどうするのかはこれからのテーマになります。とくに友人関係をどうしていくのかです。
いろんな事情を聞くとアスペルガー気質であることがわかります。それはペンの持ち方の時点で予想できたことです。
対人関係から社会関係の力を育てなくてはなりません。独りが好きで独りでいると楽です。それは認めなくてはなりませんが、人とのかかわりなくして対人関係の力は育ちません。その経験では失敗はつきものです。トンチンカンな対応だったり、相手の反応がおかしいと思ったら、“悪びれずに”謝ることです。
このときの反応によっては後々まで響くことがあります。しかし、しつこく謝りすぎるのはよくないです。自分にはこういうことがあり“修行中です”みたいな感じがいいのではないかと思います。
失敗を心配していろんなことに手を出さなくなるのが最悪です。必要なのは失敗を含む経験です。「またやっちゃいました」といいながら「あの人にはあんなところがあるよね」と認めてもらうのがいいように思います。

私の経験では小学生のころ「変わった人」とよばれ「学校給食を食べない人」で通しました。働くようになってからは「カシコイのかバカなのかわからないときがある」とも「日本人じゃないところがある」とも言われました。いまにして思うと、それらは周囲の人の私の理解の仕方であり受けいれ方であったのです。
アスペルガー気質の人の相談を受けると、自分の経験と類似したことはいろいろ浮かんできます。自分の経験を思い出させてくれるものがいっぱいあります。必要なのは“悪びれずに”、そういうところがあるので“修行中です”というスタンスではないでしょうか。私の場合の実感です。