居場所であろうが仕事場であろうが心理的なハードルは高い

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 振り返ると居場所における新しいことは新しく加わった人により作られてきました。このようなことがしばしば起こっていたのです。初期のホームページ(非公式の不登校情報センターのホームページ)をつくっていた人、2004年ごろ公式のホームページをつくり始めた人、2006年ごろからグループとしてホームページをつくってきた人、いずれも基本的にはメンバーが違います。創作活動に取り組んだ人たちもまた違います。個人として仕事づくりに取り組む人も違います。
違うといっても同じ場に来つづければそれなりの交流ができます。以前のメンバーが新しい取り組みに参加することもあります。しかしそれは少数でその人の持ち味によります。
居場所に来つづける時点で自分にできそうな作業を選んでいるといえます。居場所に来たからそこに用意されている作業に取り組むのとは違います。居場所に来て自分にもできそうな作業と人的な環境があるから、居場所に来るようになると理解するのがより正確ではないでしょうか。
初めて居場所に来たときからできそうなことがあるのかを思い巡らせる人はわずかです。その事情はすでに書きました(3月5日「居場所の違和感を超えるには時間をかけて自分仕様にすること」)ので省きます。

ところで「新しい取り組みは新しく参加してくる人がする」という背景全体を整合的に説明することはまだできません。現象として気づいてきたことです。
理由を説明できませんが、事態は想像できます。主に対人関係に関することです。ある程度固まっている集団には入りづらい、人とある程度の打ち解けた関係をつくるのにとても長い時間を要する、これらは自己保存のために必要なもので容易に外すことはできません。その部分は無視できないほど重大です。
リーダー的な人がいると助かる場合もありますが、リーダー(スタッフ)の振る舞い方はかなり高度な技量を要するでしょう。技量の高さとは自然に振る舞いながら受け入れられることを提示できることです。そうでなければリーダーは“ウザイ”存在であり、居場所に入る障害になります。
これは居場所の利用者の個人差が大きいものです。相手によっては私自身もそういう役割をしているのです。居場所のスタッフはそういう役割を負わざるを得ないでしょう。Cパターン(就業・復学の途中=不登校情報センターで修業途中)の人はこれらのことを教えてくれます。
これらは居場所に関係するだけではなく、一般の仕事に就く場合にはさらに高いハードルとして作用する…先日(3月17日「社会参加の形を遂げたらしい人も困難に直面しています」)紹介したSAMくんが仕事に就きその体験発表のときに出された質問にその片鱗を見ることができます。もちろん個人差のあることですから、引きこもりの経験者とはいえ、実感がない人もいると思います。

引きこもりの圧倒的な多数は、対人関係の生まれる場には出てきません。出られないのです。引きこもりの経験者にとってはそれが仕事場であろうが居場所であろうがあまり違いません。継続的に顔を合わし顔見知りになる場に行くことさえも心理的なハードルが高い所です。
この末の現象が、居場所において何か新しく何かをしようとするには、新しく来る人が集まって始めるのがこれらのハードルがやや低くなる効果があるのです。とりあえずこのように理解します。
それによってハードルが極端に低くなることはありません。少し低くなるだけです。上から目線でここを見たのではこのハードルの高さの違いには気づかないでしょうが、当事者の目線になれば心理的な高さは少し違って見えると思います。
これは引きこもり「対策」を効果的に進めるときの重要な視点でしょう。何か新しい取り組みを始めるときは、この要素を取り入れようと考えています。

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