結婚することで社会の一員として生きる道ができている人もいます。
昨年の終わりごろある女性から電話連絡がありました。彼女は十数年前に居場所(不登校情報センター)に来ており、そこに関心を持って参加していた一般男性と付き合うようになりました。しばらくして結婚したといい、私が最後に会ったのは生まれて間もない赤ちゃんを披露しに来たときです。そのときから10年は過ぎています。電話はその子どもが小学生で学校に行かなくなっているというものでした。その人が結婚した女性の第1号です。
そのご居場所に来ていた何人かの女性が結婚しました。結婚相手は第1号の人以外は居場所に来ている男性ではありません。では居場所の役割はなかったのかというとそうともいえないです。居場所の外に働く場を探せるようになるのは、居場所における経験が有益でした。同じように結婚する力(たぶんそういう力は存在します)もまた、居場所においてできるからです。
「婚活を始めました」と相談に来られた人もいます。彼女もまた以前に居場所に来ていた人です。「街中の精神的な保健室」の役割があるかもしれないと書いたことがありますが、居場所の通ってくる人にはこういう形でその使い方が生まれるのかもしれません。
記憶にある限り、女性で結婚したのは数名いますし、子どもの生まれた人も何人かいます。その場面でも苦労というか苦心をされています。どうも結婚相手の親族から言われる注文などに苦労しているようです。人間関係というか社会関係では切るに切れず付き合い続けるには難しい方程式を目の前にしているようです。
ときどき女性から聞く「なぜ結婚が難しいと思うのか」と聞いたときの答えに、この親戚との付き合いがありました。「すぐに返品されます」と笑い話にして答えてくれた人もいます。実はこれらは男性からも聞かれる不安感です。
それでも女性の現実的な生活感覚やしぶとさみたいな生命力により、生活を続けている人は多いです。しかし、うまくいかない人もいます。離婚した人もいます。就職した会社を辞めるのに似ているのでしょうか。ただ離婚になった人の言葉では親族との関係の難しさではなく、自分の依存性の強さが原因と言っていました。別居状態の人もいます。それぞれが進んで行ったその場で生まれている問題にたじろぎながらも向き合っているのです。これもまた人生ではないでしょうか。