居場所を開設するスタッフの理解やスタンスについて

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前回紹介した「引きこもり模索日記」のなかで森田はるかくんが1999年10月にできたばかりの当事者の会(居場所)の様子を書いています。なお文中の駒田くんと森田くん同一人物と考えるとわかりやすいです。
<99年秋、「人生模索の会」初会合を不登校情報センターで開いた。当時の不登校情報センターは東京、大塚の1Lマンションの一室だった。初会合には私とO君K君を含め、10人弱の人が集まった。松田さんがまとめて話しを進めたが、はっきり言って松田さんは「青年期の引きこもり」をよくわかっておらず、ハッキリ言って的外れな話をしていた。>
居場所を開設する私が「引きこもりをわかっていない」と言っているのです。いまから振り返るとその通りです(いまでも十分からはかなり遠いでしょう)。これを根拠に、居場所の開設には引きこもりのことを知らなくていいとはいえません。ただしそれは絶対的な条件ではなくてもいいと思います。何がいるのかというとさしあたりの答えとしては、引きこもりに関心を持ちそれを理解しようとしていることが必要としておきます。

この会合の内容を森田くんはこう書いています。
<この会合の帰りにはO君と反省会をした。「もっと参加者同士が話し合える時間が必要では…?!」という意見だった。松田さんも後に「この集まりは難しかった」と言っていた。>
私はその会合の内容を『引きこもりと暮らす』のなかでこう書いています。
<25歳をすぎ30歳を前にして、「このままでは、もしかしたらずっと社会参加できないのではないか」という心配、焦り……だったように思う。駒田くんが「雰囲気が重たかった」というのはこのことが明確になったことをさしている。>
森田くんと私のこの違いは森田くんに言わせれば「的外れ」な理解です。彼はその会の運営を中心に様子を評価しています。私は参加者の状態を見た様子を書いています。このような違いはしばしば起こります。
大事なことは、(ここに挙げた例が適切とはいえませんが)居場所の開設者が当事者の状態に近づこうとすることが必要な関心でありスタンスになるのです。開設者の考え方、居場所の枠組みに固執していてはうまくいかないでしょう。物理的・社会的な条件の可能な範囲でできるだけ柔軟にいきましょう。

森田くんはこの手記の終わりあたりで、こう総括しています。
<私がここまで回復出来たのは自分一人の力ではなく、いろいろな人に助けられてきたのは間違いない。「人生模索の会」を始める機会を与えてくれた松田さんには批判的なことも書いたが感謝していることの方がはるかに多い。また「人生模索の会」で出来た友達、バイト先で良くしてくれた人たちにも感謝している。>
これは居場所の参加者が人との接触を重ねることで学び、成長し、異なるタイプの人を認めていく歩みをその人なりにたどっていることを示しているのです。

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