さて居場所論に戻ります。
居場所についてこの後をどう解きほぐして語るのかはまだ決まっていません。舞台裏にある楽屋をお見せするようなことを書きます。居場所の性格・役割を要素に分解して一つひとつをよく見たいのですが、そういう要素を切り分けるのに難渋しているのです。居場所の可能性といっていいか、目差すべき居場所像なのか、当事者にとっては活用のしかたということになるのかもしれません。
ヒューマンスタジオの丸山康彦さんは、居場所を階段式に行くのではなくスロープ式にいく方法を提唱しています。ある引きこもり支援の講演会に行ったときその場で示されたことは、ある支援施設から別の支援施設への引継ぎの方法です。こちらでやることは終わりましたので「今度はあちらの施設にいってください」というのではなく、その場を紹介し、同行し、顔合わせをして引き継いでいるのです。支援施設はいくつかの段階があり、その間をスロープ化する方法かもしれません。しかし、うまくいくのか実際的にはわからないところがあります。
10年余前に「不登校情報センターを働ける場にしてください」と要請されました。それ以前にあった感覚の一つは「居場所を第二の引きこもりの場にしないこと」でした。とはいってもそれを実現するための特別な方法があったわけではありません。居場所からの卒業制度を取っていなかったし、制度としての卒業がいいとも思えませんでした。
その要請に対して「不登校情報センターを収入の得られる場にしよう」と応じて今日に来ました。そう判断したひとつに「引きこもりのまま社会参加をしたい」という声があったことも事実です。こういった人は複数いたのですがニュアンスは少し違っていたかもしれません。一人は自分の引きこもり気質は変えることができない、それを否定することはないという雰囲気がありました。別の人には、社会に入って働くことへの恐れ、尻込みが「ここにいる人たちとなら一緒に働けるのではないか」と思ってのものと受けとめています。
「居場所を収入の得られる場にする」のは階段やスロープの考え方とは同じではありません。しかし、考えるうえでは対比してみるものです。引き継ぐのではなく居場所自体がミニ社会になる道を示しているのかもしれません。
このように、社会につながる居場所の役割や居場所づくりについて、まだうまく説明できない事態に直面しています。舞台裏の楽屋とは私の頭の中の未整理状態を指しています。いましばらくお待ちください。