話しをつくるばあいとウソをつくのは同じではありません

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Cさんが家族との関係で困っていることを話してくれました。からだを振り回され暴力的なこともあり、虐待に近いのではないかと思いながら聞いていました。後になって聞いた別の事情ではCさんが何かをしだすと、しつこく聞いてきて、止めさせようとすることもあります。Cさんが自分から動き出すのに不安を感じるようなのです。いわゆる共依存的かなと思いました。ときどき家に帰るのをつらそうにすることもあります。
Cさんがある人と二人で話をしています。家族の様子を話し合っているのですが、少し離れたところから漏れ聞くことは私が聞いていたこととはずいぶん違います。家族とは平穏な関係なのですが時どき嫌なことを言うので困るという話しぶりです。

人は相手の理解できる範囲で、相手が受けとめられる程度で話しをするようです。これはその人との距離感や親密性の程度とも関係するはずです。信頼感が高くなると(ときには情緒的に近くなると)、自分にとってのより深刻な部分を話してくるのです。
精神医療に関する本を読んでいたところ、患者は目の前の医師がどれほど理解できるかにあわせて自分の症状を話すという意味のことが書いてありました。ときには偽症状をまぜて医師を混乱させることもあるといいます。

ある席で母親から子どもが「話をつくるところがあり心配」と言いました。そのときに思い出したのがこのCさんの例です。しかし、子どもが「話をつくる」ときは上の例だけではなくもっといろいろな事態を想定しなくてはなりません。親に心配をかけまいとするときもあります。必ずしもウソを言っているわけではありません。

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