忘れたころに離れていった人からの連絡に感じること

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十年近く前に不登校情報センターから離れていった人、その家族から連絡が入ることがあります。そう珍しいことではありません。そういうことを想定して、なるべく何らかの連絡は取れるようにしています。
先日も、十年以上前に通所していた男性の母親から連絡がありました。離れたきっかけは仕事に就いたことですが、それで引きこもりが終わったわけではありません。この十年の間に何度か職場が変わりました。最近はその後の二度目の引きこもりに近い生活になっているとのことです。
この間の彼の生活、社会との関係における精神的な気苦労という意味ですが、を思わずにはいられません。彼の感じていた社会の雰囲気に大きな変化があったとは思えませんし、人によってはさらに精神的に追い込まれる状態になっている人もいるはずです。少なくとも時間は確実に過ぎていますし、それだけの年齢を重ねています。その間に得たものも少なくないと思いますが、これからできることのバランスを思うとだんだん不利に傾いていくと感じているのです。
20代の前半までに感じられた周囲の反応も違ってきます。たとえば40歳に近づくと医療機関に行っても対応の熱意が違うそうです。これまですでにいろいろなことを試してきたのでしょう。うちでも出来ることはしますが、結果がどうなるのかは予断できないです。そういう雰囲気があり、どうにかできる可能性が低くなっていることをその時点で察知できるほどだといいます。
離れていったいろいろな人から忘れたころに届く連絡は、そういう背景事情も感じさせてくれます。何とか逆転できる方法を見つけ出したいものです。

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