ハートマーク(♡)はこころと心臓を象徴しています

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ご存知の ♡ (ハートマーク)は、心を表わし、また心臓を象徴しています。
いつごろからこのように使われるようになったのでしょうか。日本だけではなくほかの国でも使われているかもしれません。そのあたりはわかりません。
心を表わす象徴は心臓であって、頭を表わす記号が心を表わすのではありません。頭を表わす記号はないので顔がそれにあたるのかもしれません。しかし顔を表わす特定のマークはないはずです。
♡ (ハートマーク)は心を表わすといいますが、そのうちの愛または愛情を表わします。怒りとか苦しみとか悔しさを表わすために使われるのを見たことがありません。心とはいえ愛または愛情という感情を表現するのです。
これは日本の特殊事情なのでしょうか。世界各地で使われているとすればある程度は人間共通の使い方といえるわけですが、それは確認できません。
誰が何のために♡ (ハートマーク)をこのようなものにしたのかは私にはわかりません。頭ではなく心臓が心と愛情を、すなわち人の精神状態・精神生活を表わしているのです。これまで考えてこなかったのが不思議なくらいです。

◎「結論から申しますと、“あたま”と “こころ”がまるでゴッチャになっている。これは、どうも日本人の特徴らしいのですが、たとえば「精神」という言葉が、ある時は“あたま”ある時は“こころ”の意味に用いられる。心情と同義です。だから“こころ”もとうぜん“あたま”の意味に用いられて不思議ではない。…心理学のことは、全体として「自我意識」の分析か、あるいは「感覚生理」の実験といった色合いが濃いように思われる。心理学ではなく、なにか“脳理学”とでもいえるよう-なニュアンスなのですね」(三木成夫『内臓とこころ』、97-98ページ)。

心といえば頭、脳・神経系の働きを考えてきたのです。柳澤桂子さんの『生命の奇跡』の第3章は「心が生まれる」です。神経伝達物質、神経細胞、神経ネットワーク、脳細胞…は出てきますが、心臓はでてきません。記憶の範囲ですがこれは柳澤さんに限ったことではないのです。(柳澤桂子『生命の奇跡』PHP新書、1997年)
逆に言えば、ここでも私は孤立した立場を選びそうなのですがやむを得ないでしょう。柳澤さんはこう言います。
「神経細胞の数や回路ばかりでなく、受容体の数や神経伝達物質の量も、遺伝的にあるいは環境によってきめられるのであろう。極端に単純化した話をすれば、幸福感をあたえる神経伝達物質のシナプスをたくさんもつ人と少ない人では、同じ環境に置かれたときの満足度がちがうであろう。意識、感情、性格などがどのように生じるかということは完全にはあきらかにされていないが、多様な神経伝達物質と受容体、神経回路の組み合わせによって、やがて説明がつくであろうと私は考えている」(102ページ)。
意識はこれでいいように思います。性格はわかりません。感情はどうでしょうか。私がこれまで確信してきたことによれば脳・神経系の働きが感情に関わることを否定することはできません。しかし心臓・内臓の働きを何らか役割において認めていくことになるというのが私の予感です。
 
 

 

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