はじめて杖をついて歩きました

部屋の壁に背もたれし、座った形で足を前に伸ばし休んでいると、目の前にいろいろと並びます。おにぎり、パン、バームクーヘン、クロワッサン、皮をむいて切ってあるりんご、バナナ……まるでお地蔵さんの供え物のようです。なるほど病人になると大切にされるものです。それほど食べる気持ちはないのが伝わったのでしょうか。「これ少し食べていい?」ともっていく人がいました。パンなどが少し減りました。確かにそれほどは食べられないでしょう。
お地蔵さんは目の前の供え物を持っていかれたらこんな感じになるのかな、なんていうつまらないことを空想してみました。
そうしたら百円ショップで買ってきたという杖が目の前に並びます。108円で買えた杖ですが丈夫そうでたいしたものです。
きょう朝出かけるときにその杖を持って出かけました。症状はかなりよくなったのですが、きのうクリニックに向かうとき誰かにぶつかったらまずいと思っていたので、その予防策として杖を持つことにしたのです。杖をついて歩く人には注意をしてくれるだろうと考えたのです。

4日ほど前に、腰痛になったと思いました。きっかけがはっきりしません。翌日も痛さは続いたのですが、なんだか腰痛とは違い神経痛的な感じになりました。左側上腰部の局所に痛さの発生源があるようです。からだを動かすある角度のときに痛さが発生します。数秒動かなくしていると痛みは遠ざかります。
数年前にぎっくり腰の腰痛になりました。不自然な格好で重たいものを無造作にかかえた結果です。そのときは医師にかかる必要はないと思いました。確かに数日でよくなりました。それからは腰痛には気をつけるようにしていたのです。今回は腰痛ではなくて腰椎の痛みではないかと感じ始めました。
決心して昨日(3日)は整形外科に行きました。実に28年ぶりに医師への受診です。変形性腰椎症または腰部脊椎症という素人診断を予測して受診しました。
医師には私の自己診断を告げませんでしたが少し違った説明をされました。
レントゲン撮影をすると椎骨が棘状に変形していないときは何が原因かわからないことがある。椎間関節が劣化しているときレントゲン撮影では写らないが、神経を刺激して痛くなることがある。触診をした後の説明です。
結局、レントゲン撮影をせず、安静の指示と鎮痛薬をもらって帰りました。1週間でよくなると聞きました。
昨日はこの鎮痛薬を忘れていたのですが、寝る前に思い出し1錠飲んで寝ました。
朝起きたらかなり改善されています。それでも気をつけているのですがたぶん大丈夫でしょう。予防策の杖を突き、朝昼と鎮痛薬を1錠ずつ飲みました。1週間を待たずによくなりそうです。

感情コントロールの力を意識的に身につける方法

怒りやすくキレやすい、物を壊したり、親に向かい暴力を振るう子どもがいます。こういう様子はときには事件になり、ニュースで報じられます。
私はそれを我慢、忍耐、辛抱という面から調べようとしました。ところがこれらの言葉は手持ちの心理学や身体科学の本の中にはでてきません。仏教由来の言葉らしいのです。心理学や身体科学の本に出るのはストレスの発生とそれへの対処法としての言動や生活などでした。

ところが最近入手した『セロトニン欠乏脳』(有田秀穂、生活人新書、2003年)にこれに新しい視点からの見方と対処が述べられています。
「「キレる」という言葉は医学用語ではありません。…ストレスをコントロールできずに感情を爆発させ、常軌を逸した行動をとることを意味しています。ですから、きちんとした診断基準が確立されているわけでもありません。病気として果たして治療が必要なものであるかどうかすら、明確になっていません。何が原因で、どこに異常があり、どのように対処すればよいのか、共通の理解が得られていないのが現状です」(16ページ)。
有田さんによれば、このような要因はある種の生活習慣病とも言えるものです。薬を使わない対応策は、日々の生活を工夫し、セロトニン神経をきたえることであると訴えています。それはスパルタ教育ではなく、情操教育とも異なります。「感情をコントロールし、心身を元気に保つコツを知ること」(26ページ)といいます。
方法の基本は、歩行、咀嚼、呼吸に代表され、「毎日、一定時間、意識的にリズム運動を繰り返すこと」です(25ページ)。朝の散歩、ウォーキング、ジョギング、水泳、エアロビクス、自転車こぎ、ラジオ体操、太鼓の連打、チューインガムを噛む、階段昇降、早朝の呼吸法、座禅、ヨガ、気功法、太極拳、歌う、お経を唱える、など。
このうち呼吸法などを材料に生理学的な調査結果を紹介しています。有田さんはその結果を慎重に扱い断定的な評価を避けているように思えます。
またセロトニン神経を、ノルアドレナリン神経、ドパミン神経とともに「三つの神経が相互に影響しあって…心の模様が作られる」(28ページ)としてセロトニン神経の解剖学的な説明もしています。

これらの主張は、生活のなかの健康法・心身訓練を、身体科学の視点から再評価するもののように思います。有田さんが言われる領域は歩行、咀嚼、呼吸に関係する範囲です。しかし、その範囲を超えて例えばリラックス方法、ヒーリング・セラピーなどの各種の民間療法・伝統医療を身体科学の面から評価できる可能性を感じます。
具体的に示されているからだの動き、遊びや運動などは少なくとも1960年ごろまでは、子どもたちの普段の生活に中で自然にできていたことです。それが高度の経済社会に到達したといわれる1970ころには衰退し、遊びや仕事の手伝いの形は大幅に縮小しました。子どもの体が“おかしい”と表面化したのは1970年のことです(日本体育大学の正木健雄グループによる)。
社会的な背景としての核家族化の進行、食べ物と衣・住生活の変化、地域の遊び場の消失と子ども世界からの集団遊びの激減、室内でのゲームの開発などの事情が重なります。意識的にしないと体を動かす機会がなくなり、それに代わる条件が充実してきたわけです。

30年ほど前に私は長野県の若林繁太先生が言われたことを思い出します。高校生の非行問題に取り組んでいた若林先生はこういいました。「これまでの教育方法は貧しい時代の教育方法だった。これからの時代に必要なのは豊かな時代の教育方法になる」。
貧しい時代、日本の就業人口の過半数が農業に従事していた時代は、子どももよく動き、働き、遊んだ時代でした。だから日常生活の中でセロトニン神経は成長し鍛えられたのです。感情抑制による感情のコントロールも今日の子どもたちほどには苦労なく成長できたのでしょう。
豊かな時代、日本が高度な経済社会から情報社会に向かう今日は、子どもたちは(そして大人も)意識的に歩行、咀嚼、呼吸のために体を動かさないとセロトニン神経は成長しません。若林先生はそれを予感されたのです。

小児科医師・藤森弘先生は生理学的な材料を基に、子どもの成長(それは大人にも当てはまる)に不可欠なものを列挙します。空気、光と熱(太陽)、水と栄養(食べ物)、睡眠と運動、家族そして友達と学習になるでしょう。
この要素を含む歩行、咀嚼、呼吸の意識的に取り組みには個人差があります。本人の興味・関心と身体条件(年齢と男女差)、設備を含む周囲の環境などが作用するからです。どこかに重点をおきながら全体的なバランスをとる方法を見つけ出さなくてはなりません。
薬に頼らない子どもの感情コントロールを育てる方法を身体科学の視点と実際の方法で要点を説明すればこうなります。むろん親の愛情が前提になってのことです。
(『ポラリス通信』9月号)