脳科学とは違う地球生物の視点から理解する本に出合う

ブックオフで安売するというので出かけていきました。すべての本が安売りになるとは思わなかったのですが、文庫本なので100円程度で買えるはずと『内臓とこころ』(三木成夫、河出文庫、2013年)も買うことにしました。あれこれと全部で5冊買ったのですが予想した値段とはかなり違います。この本も430円でした(新刊の定価は842円)。

私はこれまで身体の知識を求める中心を感覚器官にしてきたようなので、この本もそこから紹介します。感覚器官は五感の知識から始まり、『臨床の知とは何か』(中村雄二郎、岩波新書、1992年)を読み、より体系的な理解をえました。この文庫本ではまた別の理解があると知りました。

身体を大きく体壁系(動物器官)と内臓系(植物器官)に分けます。
体壁系はすべて外界との接触面になり3つの部分で構成されます。外皮系(感覚)と神経系(伝達)と筋肉系(運動)であり、動物機能が営まれます。感覚器官は目、耳、鼻…などの外皮系です。脳は神経系になります。
体壁系に対比されるのが内臓系です。こちらも3つの部分から構成されます。腸管系(吸収)、血管系(循環)、腎管系(排出)であり、植物の世界に通じるので植物器官といいます。心臓は循環系の内臓系になりましょう。
感覚器官のうち『臨床の知とは何か』で分類した、特殊感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡感覚)と体性感覚(触覚、圧覚、冷覚、痛覚、運動感覚)にはこの文庫本は触れていません。テーマは内臓感覚(臓器感覚、内臓痛覚)にあたる部分です。というよりはもっと細かく説明されています。
本のなかでは膀胱感覚、口腔感覚、胃袋感覚になります。腸感覚や心臓感覚などがないのはテキスト本ではなく講演のまとめによるものだからです。講演は保育園に子どもを預ける母親に向けられたもので1983年です。

三木成夫さんは解剖学の学徒です。この本が私の関心を引くのは、人間を4億年の生命の到達点とし、人体を分解的に説明しながらも継続的で一体のものとして把握しようとしている点にあるように思います。人体を臓器の集合体として扱うのとは対極にあるかもしれません。
身体を大きく動物器官(体壁系)と植物器官(内臓系)ととらえることも斬新です。それに加えて、生命の本能としての個体維持と種族維持を、食(消化腺)と性(生殖腺)においてとらえている点、人体は地球というか宇宙の環境を受けておりそこを整合的に解釈しようとしている点なども、脳・神経系から身体の奥に進んで精神活動を理解していく考え方とは異質です。
これらはヨーガやハーブなどの身体の健康に関する理解や東洋医学を従来の科学とは別の視点から探求する仕方を暗示しているように感じます。かなり散漫になるのを承知で思うところを書き続けていきます。

ハートマーク(♡)はこころと心臓を象徴しています

ご存知の ♡ (ハートマーク)は、心を表わし、また心臓を象徴しています。
いつごろからこのように使われるようになったのでしょうか。日本だけではなくほかの国でも使われているかもしれません。そのあたりはわかりません。
心を表わす象徴は心臓であって、頭を表わす記号が心を表わすのではありません。頭を表わす記号はないので顔がそれにあたるのかもしれません。しかし顔を表わす特定のマークはないはずです。
♡ (ハートマーク)は心を表わすといいますが、そのうちの愛または愛情を表わします。怒りとか苦しみとか悔しさを表わすために使われるのを見たことがありません。心とはいえ愛または愛情という感情を表現するのです。
これは日本の特殊事情なのでしょうか。世界各地で使われているとすればある程度は人間共通の使い方といえるわけですが、それは確認できません。
誰が何のために♡ (ハートマーク)をこのようなものにしたのかは私にはわかりません。頭ではなく心臓が心と愛情を、すなわち人の精神状態・精神生活を表わしているのです。これまで考えてこなかったのが不思議なくらいです。

◎「結論から申しますと、“あたま”と “こころ”がまるでゴッチャになっている。これは、どうも日本人の特徴らしいのですが、たとえば「精神」という言葉が、ある時は“あたま”ある時は“こころ”の意味に用いられる。心情と同義です。だから“こころ”もとうぜん“あたま”の意味に用いられて不思議ではない。…心理学のことは、全体として「自我意識」の分析か、あるいは「感覚生理」の実験といった色合いが濃いように思われる。心理学ではなく、なにか“脳理学”とでもいえるよう-なニュアンスなのですね」(三木成夫『内臓とこころ』、97-98ページ)。

心といえば頭、脳・神経系の働きを考えてきたのです。柳澤桂子さんの『生命の奇跡』の第3章は「心が生まれる」です。神経伝達物質、神経細胞、神経ネットワーク、脳細胞…は出てきますが、心臓はでてきません。記憶の範囲ですがこれは柳澤さんに限ったことではないのです。(柳澤桂子『生命の奇跡』PHP新書、1997年)
逆に言えば、ここでも私は孤立した立場を選びそうなのですがやむを得ないでしょう。柳澤さんはこう言います。
「神経細胞の数や回路ばかりでなく、受容体の数や神経伝達物質の量も、遺伝的にあるいは環境によってきめられるのであろう。極端に単純化した話をすれば、幸福感をあたえる神経伝達物質のシナプスをたくさんもつ人と少ない人では、同じ環境に置かれたときの満足度がちがうであろう。意識、感情、性格などがどのように生じるかということは完全にはあきらかにされていないが、多様な神経伝達物質と受容体、神経回路の組み合わせによって、やがて説明がつくであろうと私は考えている」(102ページ)。
意識はこれでいいように思います。性格はわかりません。感情はどうでしょうか。私がこれまで確信してきたことによれば脳・神経系の働きが感情に関わることを否定することはできません。しかし心臓・内臓の働きを何らか役割において認めていくことになるというのが私の予感です。