「自由選択方式」で訪問を始めたPくんについて話します。
私が訪問を始める以前の3年間ぐらいに、前任者が2人いて訪問を繰り返しました。会えなかったようです。前任者が訪問活動を中断してやや間を置いた状態で、私が3人目の訪問相談者になりました。前任者が訪問したときには、会わないために家から抜け出たこともあったと聞いています。
私が訪問を始める際に、「自由選択方式」を取り入れました。訪問の前任者がいたので、担当者変更に必要な手続きとした方法です。といっても家族が選択項目を提示したのではなく、私が家族と相談して選択項目をつくり提示しました。
×月末までに次の方向での結論を出してください。
①、1日でもアルバイトを始める。
②、家から出て一人暮らしを始める。
③、不登校情報センターに来てパソコンを習う。
④、以上について松田と相談する
初めて訪ねて行った日に、Pくんの部屋(階段を上がった2階)に外から声をかけた後、ドアにこれを紙に書いて貼りつけて提案しました。これはほんの2、3分です。特に反応がないのを確認して階下で家族と10分ほど話して帰りました。
1週間後訪ねて、「松田です。先日の提案について話したいのですが…」と声をかけます。
ちょっと待ってこれという反応がないと確かめた後、「しばらく階下で話していますから…」と見えないPくんに声をかけて、下の部屋で両親と話し始めました。
話し始めてすぐにPくんが階下に降りてくる気配です。下に来たところで顔を合わせると私はPくんと話せる2階の別の部屋に一緒に行きました。
話しといってもほんの二言、三言です。Pくんは「不登校情報センターに行きます」という返事です。5分ほどの“相談訪問”になったかどうかあやしいほどです。「来週は迎えに来ます」と短時間で終わりました。タイプによってはそれは珍しくありません。両親には「後で報告します」と伝えてこの日はすぐに帰りました。
翌週は一緒に情報センターに来ました。1時間弱の電車の中でもほとんど話しはしません。
午後の時間帯に情報センターについたら、先着の通所者がいました。紹介しましたが特に関わりを持つことはなく、私は室内の説明をします。
そして①パソコンをどう使うのか(用意した文書の入力など)、②CDを持ってきて聞いているのもいい、③本を持ってきて読んでいる、を提案しました。
その日は30分ここにいればいいというのが目標だったので、それくらいの時間で帰宅にしました。人と話すことは大変なエネルギーを要することなのです。
その後、定期的に週1回ペースで来るようになりました。4回目のときから文書入力をし始めました。パソコンは7、8年前にはやっていたそうです。その後、パソコンをやってみたいというので、別の通所者メンバーにお願いして主にワードの文書練習を始めるようになりました。
この状態を繰り返していましたが、寡黙でほかの通所者とはあまり話しません。しかし、毎週1回はきちんと来ます(定例日に来られないときは振替日を設定して来るという律義さをみせました)。
情報センターのパソコン学習に不足を感じたのか、その一方で市中のパソコン教室でも学び始めたようです。周囲の人に感じ取られている自分のイメージを自分から変えるのはなかなか難しいのです。違う場所で違う自分を表現していたと思います。
情報センターに通い始めて4年ほどで仕事につきました。
Pくんの場合も「自由選択方式」の実践例になります。ほとんど強制的なものは感じられず、
比較的すぐに当事者側から答えを返してきたように見えます。しかし、私の訪問以前の前任者による訪問の繰り返しや、家族の努力も見落とせないのです。その部分にPくんにとっての不本意はあった、功罪両面を見ているのではないかと思います。
Pくんの場合は定式的な「自由選択方式」を場面や条件に応じて変えて活用する(カスタマイズする)見本としてみていただきたいのです。不登校情報センターに呼んで通所先(外出先)を提示できたことがよかったと思えます。