ひきこもり中の当事者から電話がかかってくることもあります。顔見知りでひきこもった状態に戻った人もいますし、顔見知りでない人も少しいました。
話してくる内容はいろいろですが、外出困難に関係する例を考えます。これまで紹介した3例は家族からの依頼ですが、本人からの依頼である点が基本的な違いです。
①、外に出たいのに出られない、前日には風呂に入って外出の用意をした、服装も靴も準備していた、玄関のところまで行った、体が動かなくなる…という状態を話してくれることはよくあります。これらは不登校の十代からよく聞く行動に関する例です。同じことを30代のひきこもり状態の人から聞くことになります。
②、一人でいるとゾッとするほど怖くなる、孤独です・苦しいです、外がとても怖い、人の声が聞きたいです…などは心理的に追いつめられた状況です。十代の不登校ではこういう例はあまり聞きません。年齢が高くなると聞くようになります。
③、高校時代にいじめられ壊された、会社で大恥をかかされてから人が信用できなくなった、親が協力的でない・理解しない…は家族や対人関係、社会関係の原因を指摘する言葉です。
これらは可能な限り聞き役になります。それが一段落するとまた違った言葉が出てきます。「助けてください、どうすればいいですか」…などです。ここまで話が進まないと手が出せません。しかし、ここまで来ても手を出すのは控え目がよく、支援者というよりは伴走者になります。
このシリーズ(1)で「引きこもり状態を続けることとは、このような苦痛を続けるのに我慢できるか、苦痛を感じる程度が低いか、さらには何らかの楽しみを見つけているのかもしれません」としたのですが、限界点に来た、危機感が迫っているひきこもり当事者の訴えがここには表われています。
これへの対応は基本的には強制はないように見えます。しかし、的外れな“指導”では強制を生みだします。
ひきこもり当事者からの直接の連絡・要請には「自由選択方式」は利用できません。
いまの自分にできることを探します。考えることは、すでに考えてすぎるくらい深く考えています。何らかの行動があってようやく考えてきたことの裏づけや訂正が可能になります。できそうな行動を探し勧めます。大きな動きを考えているのを小刻みにして「それならできそうな」目標にしていきます。それが「どうすればいいのか、助けてください」という問いかけへの答えになります。当事者が自ら答えを引き出すのが伴走者の役目です。
家族が関わる場合は次のようなことです。
(1)当事者の試みを手出し・口出ししないで応援すること。これが共通する原則です。
(2)家庭内ですることを決める(掃除・ゴミ出し、食事の用意、家計簿)。
(3)インターネットのできる環境づくり。
(4)外から人が入ってくる機会をつくる(室内の改装などで大工さんが入る)。
(5)別居ないしは一人暮らしの方法。
(6)訪問支援を継続して受ける。
(7)医療機関や公共の相談機関(保健所など)との協力。
(2)項以下は人により違ってきます。本人からの要請がある場合、家族が独自に動く場合などそれぞれです。
いま、30代の引きこもっている当事者からの要請で対応が始まっています。できることを積み重ねながら一人暮らしに向かいます。どう進展するのかは予断できません。いつかこの取り組みを報告できる時期がくるかもしれません。