「パラダイムシフトがわからない」に答えます

今朝の「複数の全日制高校に「現状打破に関する提案」を送る」のなかにある“パラダイムシフト”がよくわからないとの意見がありました。歴史的・社会的な場面の転換という意味ですが、国語的な意味ではなく転換した内容を問われました。長くなりますが、それを説明しましょう。

私なりの時代区分があります。
いちばん身近な基準は子どもの状態から区分けします。1970年ごろ「子どもの体がおかしい」と言われるようになりました。日本体育大学の正木健雄先生のグループが提唱されました。次は「子どもの心がおかしい」で1984年ごろから不登校の子どもが急増しました。1997年ごろ「子どもの命の感覚がおかしい」というのは子どものなかで自殺や殺人が目立つようになりました。13、4年で1つの時期が代わるのです。心と命による区分けは私の感覚による区分けです。
そうすると2010年ごろに次の区分けの時期がくると想定していたのです。しかし、それが出来ないままです。子どもの状態を超えた事態から見なくてはならないのか、2011年の大地震という自然現象により従来の基準が通用しなくなったのか、判断できないでいます。

長期的な基準もあります。人間は文明時代を次のようにたどりました。近代以前の農業社会、近代の工業社会を通ってまもなく情報社会に至るという説です。ある人がすでに日本は情報社会の真ん中にいる調子で書いているのを見て「まだ情報社会ではなくその直前にいる」と感じたことがあります。
これは私の身近にいる青年たちの様子からは情報に関して不慣れで、農業社会の農民以外の人の様子、工業社会の工業労働者以外の普通の人の様子とは違うと思いました。そういうことも特徴の一部かもしれませんが…。
情報社会のなかで情報に職業的に携わる人はそれらしくなりますが、周囲の裾野にいる人の様子がその社会に対応してはいないと思えます。青年はともかく高年齢者にいたっては情報社会の情報からは離れています。
情報社会というのは、私の活動方向との接点を持ちます。どういうことか? 引きこもりは、引きこもりがなくなることにより解決しないからです。社会の変化が引きこもり状態を歓迎し、その人たちの役割を承認することで問題が問題でなくなるだけです。その社会が情報社会です。「引きこもり的な気質の適職はIT分野です」という言葉の意味はその面をさしています(3月15日「IT分野が適職と出た不登校の経験者」)。
この情報社会へたどるスロープが(子どもの状態基準で区分けした)1998年から2011年の間に出来つつあるのです。例えばホームページからSNSへの移行はそういうものでしょう。学校や教育状況もいくつか関係します。その時期の転換、それがパラダイムシフトです。
しかしもっと全体的な社会状況から私が納得した説明がありました。次にそれを紹介します。

複数の全日制高校に「現状打破に関する提案」を送る

不登校・中退者を積極的に受け入れる全日制高校があります。かつては大いに注目されましたが、このところ低迷しています。生徒数が10年前に比べて半数以下の学校もあります。
いろいろな事情を調べて、僭越とは思いましたが数校に「現状打破に関する提案」を送りました。私には時代のパラダイムシフトが生じたと判断できるからです。
この提案の全体を公表するのは適当ではないですが、ポイントは次の3点です。
(1)通信制課程をつくり、都市域で全日型・通学型の学習センターをつくる。
(2)発達障害の生徒に少人数の特別クラスを設けて対応する。
(3)3年卒業後に不安を持つ生徒に、2年制の専科をつくり、対処する。

不登校情報センターは情報提供するNPOですが、同時に相談・支援をしています。とくに困難をもつ子どもと青年に対応できる学校をめざしていたのですから、低迷が続けば退場を迫られるでしょう。
不登校生への対応において、サポート校から始まる通信制高校が教育全体に大きな変化を切り開いたのに対して、宿泊型の全日制高校は対称的な状況です。
私が情報として集めた学校や支援団体の状況は時代の重要な変化を告げています。そのときどきに気付いたことは紹介していますが、複数の学校に対して直接に提案をしたのは初めてです。