ゼロ年代のパラダイムシフトを振り返る

パラダイムシフトが生じたこの時期を、ゼロ年代(二千ゼロ年代=2000年~2009年を中心とする時期)と呼ぶことにします。主に教育と子どもに関することを振り返ります。
不登校生の急増が事態を動かしたことに間違いありません。私が「登校拒否は教育と社会を揺るがす」と書いたのは、1993年でした。振り返るにそれは大きな社会の変動の一端を示すものだったわけです。
[http://www.futoko.info/…/Center:1993%E5%B9%B42%E6%9C%88%E3%…]
このゼロ年代には、80年代に生まれた通信制サポート校が広がり、有力なサポート校は相次いで通信制高校を設立しました。通信制高校やサポート校には週5日登校の“全日型・通学型”と言われるものから、訪問型や集中登校日型など多様な状態を示します。
全日制高校には寮制度など宿泊型の対応で不登校・中退生を受け入れてきたところがあります。しかし、この時期は全体として停滞しており、その打開策が必要です。
これらは高校への進学率が極限的に高まり、希望者全員入学が実質的に達成された事態で生まれたものです。希望者全員入学のたどり着いたところは天国ではなく、沃野もあれば荒野もあるのです。
中学生・小学生の不登校への対応はほとんどの自治体に適応指導教室がつくられました。そのことが80年代に始まり、徐々に広まったフリースクールの成長を困難にしたのかもしれません。フリースクール単独での継続は難しく、生き残り策としてサポート校をめざしたところが多く見られます。
中学・小学校の不登校とならんで、高校の中退者もカウントされるようになりました。
大学では心理学部が一種のブームになりました。多くの学生が心理学とカウンセラーに何かを期待したのですが、社会も制度もまだ十分に応えているようには見えません。それでも少しずつ社会的な土壌は築かれてきたと思います。
発達障害が注目され、発達障害者支援法ができました。その実際の運用は満足できるレベルとは言えませんが、枠組みができたと言えます。ニートという言葉が導入され、若者自立塾、ジョブカフェ、若者サポートステーションなどがつくられ、政府や自治体は対策に乗り出しています。しかし、若者自立塾のように既に消滅した事業もあり、一部を除くと苦戦しています。
文科省が採用したことには、高校卒業に必要な単位数を76単位にさげる、大学受検資格(大検)を高卒認定資格に変えるなども含まれます。公立高校では多部制・昼間定時制高校がつくられ、事実上の全日制高校の“規制緩和”した状態のなかで不登校対応が進みました。
大きな問題は乳幼児への虐待と、子ども世界における深刻ないじめの広がりです。子どもへの影響は深く長く続きます。この対応は不登校の原因の深部に及ぶものですし、行政機関や支援団体をこえて社会全体の課題です。
私の個人的な実感はこうです。初期には不登校や引きこもり状態の人を社会参加に近づけようとしてきたつもりです。中期からは社会のいろいろな分野から引きこもり状態に近づく人が増えてきました。これが引きこもりと社会が接近する形になるとは本当に予想外でした。実感としてのこの反転はゼロ年代のことです。

新しい現象、とくに困難を持つ子ども・生徒への対応はいつも不十分さ・不慣れ・不純物が付きものです。不純物に迷わされず、本質的なものを見失わないでおきたいものです。通信制高校とサポート校が正当な評価をえていないのはこの作用が大きいのです。
しかし、困難が広がるのに対して下からの市民的な立ち上がりも大きくなりました。従来の市民運動、行政機関、報道関係などに加えて、情報社会の成長も関係します。NPO(特定非営利活動)法人もつくられたのもこの期間としていいでしょう。困難を打開する取り組みには行き詰まりも生まれますが、これまでとは違う対応が生まれていることもまた確かです。
インターネットで広がる世界では、人間関係のフラット化も進みます。それは対等な人間関係の基盤にもなれば、強い指導力を求める基盤にもなります。この基盤のなかで強権的な方法が現われるとそれへの幅広い抵抗が見られます。世の中は、日本人はなかなかのものなのです。

外務省・佐藤優の逮捕と国策捜査にみるパラダイムシフト

時代の転換、パラダイムシフトは特定個人によってはつくられません。しかし、ある場面でそれを特別に実感する人はいます。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕された外務省主任分析官・佐藤優さんです。その著作『国家の罠』(佐藤優、新潮文庫、2007)から、主に国策捜査について引用します。
取り調べる西村尚芳(ひさよし)検察官のモノローグにしますが、実際は佐藤優(まさる)被疑者との“尋問”という名の対話です。

「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は、『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作りだして、それを断罪するのです。
しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査は近年驚くほどハードルが下がっているんだ。一昔前ならば、鈴木さんが貰った数百万円程度なんか問題にしなかった。しかし、特捜の僕たちも驚くほどのスピードで、ハードルが下がっていくんだ。今や政治家に対しての適用基準の方が一般国民に対してよりも厳しくなっている。時代の変化としか言えない。
実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準は決めなくてはならない。僕たちは法律専門家であっても、感覚は一般国民の正義と同じで、その基準で事件に対処しなくてはならない。外務省の人たちと話していて感じるのは、外務省の人たちの基準が一般国民から乖離しすぎているということだ。機密費で競走馬を買ったという事件もそうだし、鈴木さんとあなたの関係についても、一般国民の感覚からは大きくズレている。それを断罪するのが僕たちの仕事なんだ。…
国策捜査は冤罪じゃない。これというターゲットを見つけだして、徹底的に揺さぶって、引っかけていくんだ。引っかけていくということは、ないところから作り上げることではない。何か隙があるんだ。そこに僕たちは釣り糸をうまく引っかけて、引きずりあげていくんだ。(366-369ページ)」

筆者・佐藤優はこの国策捜査を、内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換の時代のけじめをつけたものと分析しました。小泉内閣が誕生したのは2001年4月。「内政上の変化は、競争原理を強化し、日本経済を活性化し、国力を強化する…この路線転換を完遂するためにはパラダイム転換が必要とされる」、それを大衆的にわかりやすくアピールする機会にこの逮捕劇が使われたのです(374ページ)。
こうして日本における競争至上主義的な新保守主義の時代が本格的に始まりました。この時期には社会の多くの分野で従来の方法が壊され、新たにつくられたものも多くあります。国民の下からの創造も多方面で生まれました。そのうち主に教育分野について稿を変えて説明します。