対価を払わないのはそんなに不都合なマイナスか

Facebookのタイムラインに「プロにタダで教えてくれという平然と言ってしまう人たち」のコメントに関する第3回目です。おおよそ相談業務のような個人サービス業の世界の事情と考えてください。
この記事(?)を紹介された甲斐由美子さんのコメントは、私がうまく語れなかった部分を説明するのに有効です。
甲斐さんご自身も対価を求めない取り組みがあったとコメントで返されました。「それはずっと長年やってきましたよ。ただしお子さんです。22歳くらいまでですね」。こういう経験を踏まえての対価のある取り組みの重要性を主張されていると理解します。
その経験を踏まえて甲斐さんが対価ない取り組みに懸念をもつ理由は、コメントに書かれている範囲では2か所です。
(1)「人を助けるためには、無料ですることがいいとばかりは言えないことを私は知っています。ましてや見も知らない人をネットで人を助けるなどできません。中途半端な答えなど害にさえなります。仕事として対価を頂きやっていることです。」
(2)「不登校の親御さんたちの無料カウンセリングもさせていただいていた時期もあります。しかし、向き合う姿勢の違いが確実にあることを感じています。それは決していいことではないと私は感じます。」

(1)の「見も知らない人をネットで人を助けるなどできません」は、私の経験は乏しいので何とも言えません。前に引きこもり経験のある人が参加した会で話しました。自分が引きこもり生活から抜け出したのはメールで相談を重ねたおかげだと言いました。この人のように有効な人もいます。甲斐さんの意見はご自分の体験の範囲のことと理解します。
次に「中途半端な答えなど害にさえなります」はその通りだと思いますが、対価をもらわないと中途半端な答えになる、と続くのでしょうか? 無関係ではないかと思います。対価をもらっても、対価をもらわなくても、いい仕事はできるし、逆に対価をもらっても、まずい結果を招くこともある。それが実情ではないかと思います。
対価をもらえればいい仕事ができ、対価をもらわなければいい仕事ができない。私のような個人の「対人関係サービス」を職とする者には、これはピンとこないです。
高額な資材や装置を必要としていれば、それらの有無により仕事の良否が変わるのかもしれませんが、高額な資材や装置のない相談やカウンセリングでは想像できないことです。むしろ得意分野とか信頼関係の到達状況が関係するように思います。私の個人的な経験の範囲での感想です。

(2)「向き合う姿勢の違いが確実にある」というのは、相談をしようとする人(以下、相談者とします)の姿勢をさすと思います。一応そうだと了解しますが、「半分は…」としたいです。
私は6月17日に「対価はなくとも収支はプラスなので働きます」のなかでこう書きました。「私には特別の救済精神はありません。救済精神はどちらかといえば淡白です」。この意味は説明しづらかったのですがいい機会です。
自分のことを薄情な人間だとは思いませんが、相談者に対して私は伴走者や助言者のようなものです。主体は私ではなく相談者です。
ある人の言葉尻を取るつもりはありませんが「全身全霊をこめて」しまうと、知らないうちに自分自身の意見を押し付けてしまうと危惧します。いろいろな経験から得た実例をあげて、参考にしてもらうように図ります。それらの考え方、実例、方法を自分のなかに取り入れる、消化する、拒否する…その判断をするのは私ではなく相談者です。相談者が考え、判断できるように余裕をもたせたいと思います。
相談者が、私を下請けのように使うのであればうまくいきません。主体は私ではないのに私が主体として動く状態に置かれるからです。私を指令者のように扱かってもうまくいきません。同じく相談者が主体にならないからです。
引きこもりや不登校の場合は、相談者と主体はさらに複雑で、本当の主体は子どもですし、相談者は親が多く真実の主体とはいえないこともあります。そこは省いて説明しています。
私と相談者が対等であることが必要であり、それがいいのです。この点を意識して「特別の救済精神はありません」と一歩引いた表現にしたのです。救済とか“人を助ける”というのは、私の感覚ではおこがましい言い方です。いつの場合も助けるのは、主体となる当事者自身です。私ができるのは周囲の応援者、伴走者、助言者にとどまります。
しかし、対価をもらうことは、私と相談者をいくぶん対等な関係にする効果はあります。それは認めなくてはなりません。そうであっても相談を受ける側の私のスタンスは対価があろうとなかろうと、相談者との上下関係ではなく対等な関係をつくること向かうのが基本になります。
そこを考えると、無料のカウンセリングを受ける方の姿勢は、「向き合う姿勢の違い」を感じても、その時点での主体性が作用している姿とも思えます。あるいはその人の主体的な関心や判断が未成熟なのかもしれません。信頼関係の到達状況が低いのかもしれません。
そういう状況において対価をもらえばこれらを越えるのでしょうか。その判断は私にはまだできません。しかし、対価を払わないのは相談者の“中途のスタンス”とイコールではないと思えるのです。これも私の個人的な経験の範囲の感想です。

巡回型の空き家対策の可能性を探す

江戸川区役所に総勢3名で行きました。
都市開発部の住宅課と建築指導課の担当者に話を聞かせていただく機会を持ちました。
不登校情報センターが、引きこもり対応の延長として、空き家対策法が施行されたのを機会に、地域の空き家を巡回し可能な管理と家主への連絡を主とする事業をはじめる可能性を調べるためです。
次の事項について質問させていただきました。

(1)江戸川区内の空き家軒数、平井小松川地域における軒数。
(2)アパート・マンションなど集合住宅、空き商店の場合。
(3)住民から寄せられている空き家に関する状況。
(4)空き家の家主から聞いたことのある対応の障害例。
(5)不動産会社、町内会等から寄せられる空き家にかんする情報。
(6)これまでに行政の対応、空き家対策法が施行に伴う行政区としての対応策、特定空き家を防止または指定していく体制
(7)空き家対策法の施行による事業者の参入の様子。
(8)空き家対策として必要なこと。家主が遠方に生活する場合の必要策。

素人ですからわからないことだらけですが、いろんな事情がわかりました。
これらを参考に引きこもり対応セクションや不動産会社などからも話を聞かせもらい、可能性を探っていくつもりです。