斜視や色覚異常の場合も一部はそうなのでは

吃音(どもり)が発達障害支援法の障害に加えられたのは昨年12月です。吃音の全部がそうなるとは思えませんが、根拠はあると思います。根拠というのは身体的な不全が社会生活上に重要な障害がつながる場合でしょう。身体条件ではなく社会生活の判断が関係するのです。
LGBT(性的マイノリティ)も同様な事情があります。発達障害ではありませんが身体的な条件が社会生活上の障害になっているのです。世界的に同性同士の婚姻が認められる方向にあるのは社会生活上の規制を除く道になるからです。
先日の引きこもり講演会で講師の斎藤環さんは「旧世代は食うために、若者世代は承認のために」働くと表現しました。A.マズローの有名な欲求段階説を端的に表したのです。現代は、そういう時代です。日本では1970年代の初めから徐々にその傾向が強まり、21世紀に入って大きな潮流になっています。

吃音やLGBTは、身体条件ですが、社会生活上の不利益、障害になっています。「承認のために」以前の「食うために」困難があれば、社会保障の対象になる動きです。食うための困難がないところでは、社会的な制限を解消する動きが顕著です。
私が関心を持つ斜視もまたその要素があると思います。色覚異常(特に全色盲)もそうなるでしょう。他にもいろいろな身体状態・精神状態が社会生活上の不利益になっている事情が表面に出てくるでしょう。その全部が社会保障の対象になるのではありませんが。
決定的なのは該当する当事者です。その人が意思表示をしないことには伝わらないからです。少数の弱者としてではなく、人としての正当な扱いを求める動きです。人間は(教科書的に知られている以上に)多様であり、変化(進化)の途上にあるのだと思います。